平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




03/6/23(第302号)
経済の循環(その1)

  • 三面等価
    日本経済も混乱しているが、経済論議も混乱している。一頃は構造改革で日本経済は蘇るという意見が圧倒していた。しかし最近では単純な構造改革論はすっかり影を潜めている。近頃、構造改革派では、変種の「創造的破壊論」が幅をきかせている。この論者は、日本経済が再生するにはまず古い産業構造の破壊が必要と訴えている。

    古い産業構造の破壊され、新しい需要が生まれ、さらなる経済の成長が可能というのである。そのためには古くて役にたたないものを破壊しつくす必要があり、今日の経済の痛みはその過程と説明している。昔の岡本太郎の「芸術は爆発だぁー」を思い出す。そう言えば、学生運動が盛んな頃、新左翼の活動家は、「とにかく古い体勢を破壊することが必要」と全員言い張っていた。創造的破壊論者はこれに似ている。

    一方には、筆者達のような「とにかく今日の経済スランプは需要不足が原因であり、まず需要創出政策が必要」という主張がある。また積極財政を続ける方が財政再建にプラスというシュミレーションを元に、積極財政への必要性を訴えている人もいる。創造的破壊論者、つまり構造改革派とこの積極財政派の間には、大きな溝があり、まるで議論が噛み合っていない。また両者には妥協点というものがない。特に創造的破壊論者は、財政政策を行うことは、創造的破壊を遅らせることになるとまで言い切っている。今日の日本の経済論議はまるで「空中戦」の様相を呈しているのである。


    今日では、経済だけでなく、このように経済論議までもが混乱している。このような時代には、経済学の基本に立戻ってみるのも良いかもしれない。今週号と来週号で取上げるのは経済の循環である。これは経済学の教科書の最初に出てくる項目である。経済の循環では、三面等価という関係が成立している。つまり生産と分配(所得)と支出の額が等しくなるのである。これを簡単なモデルで説明する。ただし今週号で述べるのは前半であり、議論の核心は来週号の後半である。

    まず使用する経済のモデルを単純に国内の民間経済に限定し、海外との取引や政府の存在がないものとする。まず通常、現実の生産は必ずしも、生産力と一致しない。一定期間(たとえば年間)の生産力が仮に600あっても、需要が500なら、実際の生産(額)は500に止まる。生産力の600と実際の生産の500との差額100はデフレ・ギャップである。この100は使われない生産資源であり、具体的には設備の遊休や失業と言った現象で現れる。

    また生産額は最終的に個人の所得として分配されるので、実際の生産は分配(所得)と一致する。生産額は、賃金、地代、利潤といった形で分配される。利潤は配当されない分が社内留保となるが、これも株主の持ち分であり、個人の所得と見なされる。

    また生産額(所得)一部は他社からの原材料の購入に充てられる。一方、原材料を納入した企業も、納入額が生産額となり、同様にこれらは個人に分配される。そしてこの場合の他社からの原材料の購入は中間消費(中間投入)である。一国の生産額を算出するには、一旦全企業の生産額を合計し、それから中間消費(中間投入)を差引く必要がある。つまり中間消費(中間投入)分が集計上の重複部分である。


    これらの経済の循環を理解するため、さつまいもを原料にした焼酎の製造を例に説明する。まず500円の焼酎が売れるケースである。需要があるため、焼酎メーカは500円の焼酎を1本製造する。焼酎メーカの生産高(売上高)は500円であり、さつまいも代の100円を除き、400円が儲となり、この400円は、賃金や地代に充てられ、最終的には個人の所得になる。また100円のさつまいも代は、さつまいもを納入した農家の所得になる。この場合の中間消費(中間投入)は100円ということになる。

    またさつまいも以外の材料、例えば焼酎のビンを50円で外部から購入している場合には、焼酎製造メーカの400円の儲は50円減り、350円になる。しかしビンメーカの生産の50円が増えることになる。この場合の中間消費(中間投入)は150円ということになる。焼酎メーカ、さつまいも農家、ビンメーカの生産額(産出額)の合計は650円になる。そして650円から150円の中間消費(中間投入)を控除した500円が生産額であり、これが分配所得になる。

  • セイの法則
    このように生産と分配(所得)と支出(需要)は常に一致する。これが生産、分配、支出の三面等価である。ちなみにこの関係は一国の経済に広げても適用できる。さらにこれに政府(地方自治体も含む)や海外との取引もプラスする。そして国内総生産(GDP)=国内総所得=国内総支出という関係式が成り立つ。(モデルの範囲を拡張した部分でちょっと混乱するかもしれない。ここについては来週号で補足説明を行うつもりであり、今のところ生産、所得、支出が等しくなることに納得してもらいたい)

    三面等価が成立しているため、国内総生産(GDP)を推計するには、どの数値からのアプローチでも良いことになる。しかし実際には基礎統計の相違によって一致せず、その違いが統計上の不突合として計上されている。ちなみに平成13年度の不突合額は4.2兆円である(平成15年度版国民経済計算年報より)。また参考までに、国内総生産(GDP)の三ヶ月毎の速報値は、基礎統計の豊富な需要面から国内総支出として推計している。

    この生産、分配、支出の三面等価は、供給、所得、需要と置き換えられる。ところでこのモデルでの経済循環なら、現実の経済と異なり、どこをスタートにしても均衡することになる。たとえば500の生産を行えば、500の所得が発生し、500の支出が行われることになる。そして500の支出が行われるなら、最初の500の生産は全て消費されることになる。

    つまり生産額が決まれば、消費額も決まるという世界である。そしてこのモデルを前提にすれば、生産者は、利益を極大にするため、生産能力の限界まで生産することになる。このような生産を行っても、最終的に生産したものが全て売れるのである。そしてこのような状況になれば、設備の遊休や失業はない。いわゆるフル操業状態である。したがって上述したように生産能力の天井が600なら、600まで生産、分配、支出が増えるのである。

    物資が不足していた時代や物不足の国では、近似値的にこのような経済状況が現出される。物を作ればどんどん売れる時代である。日本においても、経済の高度成長期には、これに近い状態であった。古典派経済学で言えば「セイの法則」が成立つような世界である。

    しかし現実の経済の循環を理解するには、このモデルでは不十分である。これに経済循環から漏出(ろうしゅつ)するものと、注入(ちゅうにゅう)されるものを付け加える必要がある。前者の主なものは「貯蓄」「税金」「輸入」などであり、後者は「投資」「政府支出」「輸出」などである。



来週号は、経済循環の後半である。これによって筆者の主張である積極財政の必要性の説明を行いたい。また創造的破壊論という荒唐無稽な議論が、経済循環の上でどのような意味を持っているのか考えたい。



03/6/16(第301号)「経済政策の混乱」
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03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」
03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」
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