- 後知恵
先週号のポイントは、第一次オイルショック後の75年には、既に日本にデフレギャップが発生していた可能性が強いと言うことである。しかし福田元総理の積極財政政策があったりして、この事実が人々には感じられなかっただけである。考えてみれば、日本では大きな貯蓄率を背景に毎年大きな設備投資が行われており、また技術革新も目覚ましかった。生産力が余るのも当然である。事実、日本の設備稼働率は常に米国などに比べ、昔から著しく低い水準で推移している。
しかし当時は依然として失業率は小さく、表面的には人手不足状態が続いていた。しかし実際は、多くの企業(特に大企業)は、高度成長期の人手不足を忘れることができず、必要以上の雇用を確保していた。どんどん新設工場や販売拠点が増えるものと考えていたのである。この当時の人手不足は、実際に人が足らないと言うより、将来の「仮需」と言う性格が強かった。したがって生産設備は余っていても、失業者が少なかったため、日本がデフレと認識する人もいなかった。
もし当時日本が初期的なデフレに陥っていると分っていたなら、日本の経済政策も随分変わっていたはずである。まず貯蓄を奨励するような政策は止めていたと思われる。また年金も積立方式から賦課方式に変えていたかもしれない。退職金の税制上の優遇を止め、その分所得税率を下げる方法もあった。その他色々なことが考えられる。しかし今となってはまさに「後知恵」である。
ここで先週号の表の年度を少し変えて表示する。
78年度から91年度までの経済数値の推移(公債発行額を除き%)
| 経済成長率 | 物価上昇率 | 公債発行額(兆円) | 公共投資増加率 | 輸出増加率 |
78年度 | 5.4 | 3.8 | 10.7 | 13.0 | 0.0 |
| 79年度 | 5.1 | 4.8 | 13.5 | ▲1.8 | 1.7 |
| 80年度 | 2.6 | 7.6 | 14.2 | ▲1.7 | 17.4 |
| 81年度 | 3.0 | 4.0 | 12.9 | 0.7 | 10.7 |
| 82年度 | 3.1 | 2.6 | 14.0 | ▲1.2 | ▲2.0 |
| 83年度 | 2.5 | 1.9 | 13.5 | ▲2.5 | 7.0 |
| 84年度 | 4.1 | 2.2 | 12.8 | ▲3.4 | 16.1 |
| 85年度 | 4.1 | 1.9 | 12.3 | ▲6.5 | 4.9 |
| 86年度 | 3.1 | 0.0 | 11.3 | 5.6 | ▲0.8 |
| 87年度 | 4.8 | 0.5 | 9.4 | 8.5 | 0.2 |
| 88年度 | 6.0 | 0.8 | 7.2 | 0.0 | 5.5 |
| 89年度 | 4.4 | 2.9 | 6.6 | 1.7 | 4.5 |
| 90年度 | 5.5 | 3.3 | 7.3 | 4.6 | 4.8 |
| 91年度 | 2.9 | 2.8 | 6.7 | 7.2 | 3.0 |
80年代前半の経済数値の特徴は、財政再建路線を反映した公債の発行減と公共投資の減少である。このため新幹線などの大型公共投資は実施を凍結された。またゼロシーリングの予算編成によって、公共投資だけでなく、あらゆる歳出が節減の対象になった。
何年も緊縮型の予算が組まれた背景には、国債発行残高の増加の問題だけでなく、政府の「消費税」導入がからんでいた。「大型の間接税」の導入を行う試みは大平内閣に始まった。財政当局にとって景気動向に左右されない税源の確保が悲願だったのである。特にオイルショック後の税収の大幅な落込みは、この動きを加速させた。
しかし「大型の間接税」に対しては、世間の抵抗が非常に強かった。特に「政府支出に無駄が多いのに増税とは何事か」と言う主張に説得力があった。そして一番やり玉に上がったのは、いつもの通り新幹線などの公共投資であった。
- 清貧の土光臨調会長
大平首相の急死後、政権を引継いだ鈴木内閣の元では、完全に緊縮型の財政運営となった。特に82年には、鈴木首相は財政事情非常事態を宣言した。鈴木首相のように、財政破綻によって明日にでも日本が潰れるかのような感想を持つ人々は、いつの時代にもいたのである。
そして彼等は口々に「国債なんか買う者はそのうちいなくなって、国債は紙屑になる」と叫んでいた。今日の国の借金は巨額になっている。しかし国債は信じられないくらいの低金利で推移している。それでも国債はどんどん買われている。この現状を知れば、これらの人々は腰を抜かすであろう。当時の国債の発行残高はわずか100兆円であり、GDP比はたったの36%であった。今から考えれば、超健全財政である。そして筆者は、財政の再建を急がなければならないと行った政策が、結果的には大間違いであったと考える。
75年にデフレギャップが発生し、その後これが拡大して行ったと言う観測は重要である。消費は、ほぼ所得の一定割合であり、大きく伸びることはない。また当時、住宅投資も低迷していた。ところがこのような状況にもかかわらず、80年代前半はずっと緊縮型の財政運営を続けたのである。
供給力が需要を大きく上回っていたのであるから、製品は国内で捌けず、どんどん輸出されることになる。82年度を除けば、輸出は毎年増加の一途であった。そして日本の産業構造もますます外需依存型になった。
本来、為替はパラメータとして動き、経常収支が均衡することを助ける働きがあるはずである。ところが輸出の伸びによって83年頃から経常収支の黒字がさらに大きくなっているにもかかわらず、為替は逆に円安で推移している。78年度に200まで円高になっていたのに、82年度頃には278円まで円安が進み、85年のプラザ合意までは概ね240円から250円くらいの円安水準で推移していたのである。これでは輸出が激増するのも当然である。
この為替の奇妙な動きの原因は米国の高金利政策である。これを主導したのはボルガーFRB議長であった。このため日本を始め、各国から資金がどんどん米国に流入し、米ドルが異常に高くなった。当時、日本の金融機関は競って高利回りの米国債を買っており、毎年、資本収支は大きな赤字を記録していた。
81年に登場したレーガン大統領の「強い米ドル政策」と言われているが、実態はインフレを抑えようととして、ボルガーFRB議長が金利を強引に引上げ過ぎたのである。この結果、米ドルは必要以上に高くなり、外国からの製品輸入が激増することになった。このため米国の製造業は、競争力を失い衰退して行った。かろうじて製造業で残ったのは、自動車と軍需産業ぐらいのものである。したがって今日デフレに陥りそうになると、米国は戦争を始める必要があると言う人もいるくらいである。
日本は緊縮財政を続けていても、輸出がどんどん増えるため、低いなり経済成長は実現していたのである。しかしとうとう窮地に陥った米国を救うため85年にプラザ合意が成立した。それ以後、円は急速に高くなった。今度は日本が窮地に陥る番である。250円の円安から、一時は120円台の円高になったのである。そして日本は文字通りの「円高不況」に陥った。
80年代以降、一貫とした基調は財政政策に消極的なことである。たまたま米国の高金利政策による円安によって、需要不足を輸出で補うことができた。しかしこれによって日本の貿易黒字は巨額になり、欧米諸国との摩擦も大きくなり、とうとう急激な円高を受入れることになる。しかし「円高不況」に対する経済対策はこれまた財政ではなく、金融に片寄ったものであった。円高不況にかかわらず、87年度から赤字国債の発行は減少し、特に91年度から93年度にかけては赤字国債の発行はなかとゼロであった。
財政政策は貧弱であり、その分金融を過剰に緩和した。このため実物投資は小さく、資金はほとんど土地や株と言ったマネーゲームに流れた。この結果バブルが発生したのである。バブル期は好景気だったと言われているが、意外と経済成長率は小さく、物価も上がっていない。急騰したのは地価と株価である。
もし米国の異常な高金利政策がなかったら、日本の輸出に依存する経済体質も是正されていたかもしれない。そうなれば、プラザ合意後の超円高とその後のバブル発生は避けられていたかもしれない。しかしこれも今となっては「後知恵」である。
ところでこのような緊縮財政は、かなりの国民から支持を受けていたことを忘れてはならない。財政当局としても悲願である消費税導入には、国民の支持が必要である。このためにも政府は財政支出に厳しく対処する必要があったのである。しかし当時、既にデフレギャップが相当大きくなっており、輸出が順調に伸びない限り、日本は需要不足で直ぐに不況になる体質になっていたことを認識することが重要である。
話は変わるが、当時、国民的ヒーロは土光臨調会長であった。第二臨調は鈴木内閣の時に発足したが、注目を集めたのは中曽根内閣の時である。土光会長は、中曽根内閣のキャッチフレーズ「増税なき財政再建路線」にピッタリのキャラクターであった。「めざし」に代表されるように、土光氏には「清貧」のイメージがあり、国民の信頼も厚かった。
ある年、景気が悪くなったため、政府・自民党は景気対策として補正予算を組むことにした。しかしこれに対して土光氏は、涙を流して中曽根首相に強く抗議を申入れた。そしてこのことが今日でも美談として語られているのである。
日本人には「清貧の人」「清貧の思想」に強い思い入れがある。どうしても土光氏などがプラスイメージで捉えられる。反対に開発をどんどん進めるような政治家は悪いイメージが持たれる。ましてやこのような人物がスキャンダルで失脚すると、めちゃくちゃに扱われる。しかしこの土光会長に代表される「清貧の思想」が往々にして国を窮地に追込むのである。
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