- デフレギャップの発生
今週は、まず今週のテーマを理解するために役立つと思われる経済数値を表示する。なお経済成長率は実質であり、物価上昇率は消費者物価、輸出増加率は数量ベースである。
73年度から87年度までの経済数値の推移(公債発行額を除き%)
| 経済成長率 | 物価上昇率 | 公債発行額(兆円) | 公共投資増加率 | 輸出増加率 |
| 73年度 | 5.1 | 15.6 | 1.8 | ▲7.3 | 8.1 |
| 74年度 | ▲0.5 | 20.9 | 2.2 | 0.1 | 22.2 |
| 75年度 | 4.0 | 10.4 | 5.3 | 5.6 | ▲0.5 |
| 76年度 | 3.8 | 9.5 | 7.2 | ▲0.4 | 20.0 |
| 77年度 | 4.5 | 6.9 | 9.6 | 13.5 | 7.8 |
| 78年度 | 5.4 | 3.8 | 10.7 | 13.0 | 0.0 |
| 79年度 | 5.1 | 4.8 | 13.5 | ▲1.8 | 1.7 |
| 80年度 | 2.6 | 7.6 | 14.2 | ▲1.7 | 17.4 |
| 81年度 | 3.0 | 4.0 | 12.9 | 0.7 | 10.7 |
| 82年度 | 3.1 | 2.6 | 14.0 | ▲1.2 | ▲2.0 |
| 83年度 | 2.5 | 1.9 | 13.5 | ▲2.5 | 7.0 |
| 84年度 | 4.1 | 2.2 | 12.8 | ▲3.4 | 16.1 |
| 85年度 | 4.1 | 1.9 | 12.3 | ▲6.5 | 4.9 |
| 86年度 | 3.1 | 0.0 | 11.3 | 5.6 | ▲0.8 |
| 87年度 | 4.8 | 0.5 | 9.4 | 8.5 | 0.2 |
まずこの73年度から87年度の間の大きなトピックスは、73年11月の中東戦争が原因となったオイルショックと85年度のプラザ合意後の円高である。またこの間の経済成長率は、概ね4〜5%であり、これを安定成長と呼ぶ人が多い。たしかに60年代の10%を超える成長を考えると明らかに、日本経済は成長しなくなった。一方、物価上昇率は、73年度のオイルショックの影響が収まるにつれ、年を追って確実に小さくなっている。
なぜ筆者がこの時代の経済数値の推移に注目するかには訳がある。最近、日本経済がデフレであることがようやく認知されて来た。そしてこの原因を、「中国などの発展途上国から安い製品が入って来るようになったから」や「バブル崩壊後の不良債権の発生や設備投資の減退」などと主張する人々が多い。しかし日本のデフレは、これらの影響が現れるずっと前から起っていたと筆者は見ている。上の表にもその徴候がはっきり現れている。そしてここが今週号のメインテーマである。
デフレをどのように認識するかが一つの問題である。物価が下落することをデフレと言う人がいるが、これは正確ではない。需要を供給力が上回った状態、つまり需給ギャップ、あるいはデフレギャップが生じる場合がデフレである。それも全産業的規模で起ったことをデフレと言うべきである。物価の下落は、デフレの結果である。物価が下落するだけなら問題ではない。デフレの背景に、設備の遊休や企業倒産、そして失業があるから問題なのである。
また単なる物価の下落なら、デフレと関係ない場合にも起る。たとえば規制の緩和によって競争が激しくなった場合は物価が下落する。また技術革新によって製造コストが安くなった場合にも物価が下落する。単純に物価下落がデフレと言うのなら、消費税を20%にすれば、デフレは解決することになる。
- デフレギャップの発生
次に日本においてこのデフレギャップがいつ頃から発生したのかが問題になる。丹羽春喜大阪学院大学教授は1975年頃からデフレギャップが発生したと言っておられる。ところで筆者は、それより4年前の71年に週刊東洋経済の「日本で需給ギャップが発生している」と言う特集記事を読んだ記憶がある。しかし教授は、1973年の世界的な好況(オイルショックもこのような経済状況を背景に起った)で一旦デフレギャップは解消していると言うお考えである。たしかに当時、洗剤やトイレットペーパーが店から消えると言う騒ぎがあった。
教授によれば、75年頃から再びデフレギャップの発生し、その後ずっとデフレギャップが大きくなっているという話である。まずこのデフレギャップの発生を認識することは重要である。しかし当時、日本経済の体質が変わったことを気付く人はほとんどいなかった。しかし政府はオイルショック後の狂乱物価を抑えるため緊縮財政を採った。デフレギャップが発生しているにもかかわらず、総需要抑制政策を行ったのである。したがって企業は輸出に活路を見い出す他はなかった。その結果、76年度は20%と言うとんでもない輸出増を実現したのである。しかしこれによって日本だけは何とか経済成長ができた。
オイルショックによって、世界の購買力は産油国に移り、世界中不況になった。この苦境から真先に脱出に成功したのが、輸出を伸ばし経済成長を実現した日本とドイツである。このため日本とドイツが機関車役になって、内需を拡大し、世界の経済を引張ることが期待された。特に78年のボンサミットでは日本は7%成長を約束して来た。
サミットから帰った福田首相は、さらに積極財政を押し進めることをスタッフに指示した。この結果、77年度から79年度にかけ、公債発行による積極財政が行われ、公共投資も増えた。福田内閣の積極財政によって経済は5%前後とまずまずの成長率を実現した(もう少し大きくなる可能性はあったが)。また輸出の伸びも抑えられ、貿易摩擦もある程度解消された。
しかし福田政権が積極財政に転換してしばらく後、日銀が金融の引締めに転換している。奇妙な行動である。78年度は金利が低下したが、79年度、80年度と金利は逆に高くなっている。これが積極財政にもかかわらず、成長率が今一つ伸びなかった理由と考えられる。第二次オイルショックによるインフレを警戒した行動とも考えられるが、当時は既にデフレギャップが発生していたのである。
ところでこの福田首相は不思議な政治家である。大蔵省出身と言うこともあるのか、基本的には財政均衡論者である。池田首相の「高度成長政策」に反対した数少ない政治家でもある。当時、日本の外貨準備高は乏しく、経済成長政策を行うことに異を唱えたのであろう。またオイルショック後の総需要抑制政策を主導したのも、当時大蔵大臣だった福田氏であった。
ところが赤字国債を発行したのも福田赳夫であり、また77年度以降の積極財政を進めたのもこの人物である。筆者には、どうも日本経済にデフレギャップが発生していることを福田首相は、薄々承知していたのではないかと思われる。財政を拡大しても物価は数年前のようには上昇しないことを分っていたのである。実際、78年度の物価上昇率はわずか3.8%であった。
筆者は、福田首相を首相経験者の中では数少ない経済通の一人と思っている。日本経済の体質が変わっていることに気付いていたのである。考え方がとても柔軟である。しかしこの福田首相の秘書をしていたのが小泉首相である。この人物は反対に経済はまるでだめであり、考え方も硬直的である。福田首相から何も学んでいないのである。故福田元首相も小泉秘書が、日本の総理大臣になったことを知ったならさぞかし驚くであろう。
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