- 消費を抑えている人々
日本の住宅ローンの残高は、現在190兆円から200兆円と推定される。86年度末の残高が70兆円であるから、もの凄い増加である。しかしこれは個人の住宅投資が、バブル崩壊後の日本経済を、財政と共に支えていたことを如実に物語っている。もし個人が借金をせず、住宅投資を抑えていたなら、日本経済はもっと落込み、失業者もずっと増えていたと考えられる。
財政の支出を抑えたい政府は、有効需要を増やすため、税制を始め色々な住宅建設の優遇政策を行ってきた。特に住宅金融公庫の貸出残高は急激に増えている。また銀行も、民間企業の融資が不調である。したがって個人の住宅ローンは、貴重な融資の受皿であり、大事な収益源となっている。銀行は、出資した住専に土地融資を紹介し、自分達は、本来住専の仕事である住宅融資を積極的に行うようになった。このようなことを背景に、住宅ローンの貸出残高はかなり増えたのである。
しかし貸したものは、返してもらうことになる。今後、このような巨額な住宅ローンの返済が、日本経済に少なからず影響を与えると考えられる。米国でも住宅ブームによって、住宅ローンの残高の増加が問題になっている。米国の場合、2兆ドル、つまり240兆円の住宅ローンの残高がある。
しかし米国の場合、住宅の転売が容易であり、かつ住宅価格が上昇しているケースも多い。一方、日本の場合には、地価の下落は続いており、また上物の評価は時間が経過とともに落ちるのが普通である。さらに所得の伸びは鈍化しており、むしろ給料の引下げやボーナスのカットが話題になっている。つまり日米の比較では、比べものにならないくらい、日本の方が住宅ローンの問題は深刻である。そして今日、住宅ローン返済が経済にも重大な影響を与えていると考えられる。
筆者は、ずっと本誌で、消費は所得の従属関数と言っていた。つまり所得が決まれば、一定の割合で消費がなされると言う意味である。そしてその消費比率と言うものが、ほとんど変化しないと考えていた。実際、日本の消費性向はかなり安定的に推移している。しかしこれには、「とんだ落とし穴があるのでは」とずっと考えていた。たしかに日本全体の消費比率は一定のように見えても、一部の人々の消費比率は小さくなっていることが考えられる。一方、消費を増やしている層があり、結果的に、全体では消費比率が変化していないように見られるのである。
最近、30代、40代と言った若年層の消費性向が上がらないと言う指摘がある。12月10日の日経流通新聞の日本政策投資銀行調査部副調査役の宮永径氏のレポートもその一つである。宮永氏は、若年層の将来不安がこの原因と分析している。一方、退職高齢層の消費の堅調さを宮永氏は指摘している。
また同じ日経流通新聞の9月の日経消費研究所の日経消費予測指数(CFI)は、別の角度から若年層の消費減少を分析している。これは住宅ローンの重みが消費に影響を与えている現状を説明している。特に土地の下落が続いており、「不動産を売却しても、ローン返済ができない」とする人の割合は全体で32.9%である。この数値は97年9月が20.7%、2000年9月が24.8%であり、不動産価格の下落に伴って、年々大きくなっている。
また不動産を売却してもローンを返済できない割合(住宅ローンのある世帯)は、20〜30歳代48.1%、40歳代46.3%、50歳代23.3%、60歳代以上8.9%となっている。これを97年9月と比べてみると20〜30歳代が16ポイント増、40歳代が24ポイント増、50歳代が7ポイント増となっている。
重要なことは、不動産を売却してもローンを返済できない人のCFIが99年12月以降、全体のCFIを大きく下回っていることである。ちなみに今回の調査では、返済できない人のCFIは69.4と、全体より7.9ポイント下回っていた。注目されることは、このように消費を削って、ローン返済を行っている人の割合が増えていることである。住宅ローンの残高が空前のレベルに達していることに加え、資産価格の下落が止まらないことは、人々の消費行動に大きな影響を与えていると考えるべきであろう。
- セイニア−リッジ政策の必要性
日本全体で見れば、消費水準はそれほど落込んではいない。たしかに高年齢層、特に退職高齢層の消費が堅調と言うことが挙げられる。今日ゴルフ場では高齢者ばかりがプレーしていると言う話もある。またバブル期に土地などの資産を売却し、売却代金を預金していた人々の消費が活発化している。たしかにデフレ経済で不況なのに、高級ホテルや高級レストランは結構繁盛している。
一方、給与所得者や自営業者の所得は減少している。今年度の税収の落込みを見てもこれははっきりしている。つまりフローの所得は減っているのである。しかし大きな預金を持っている人や、収入の大半が安定した年金と言う人々の所得は減少していない。特に物価の下落により、預金などの金融資産(株や株式投信を除く)の価値は大きくなっている。今後も物価の下落することを確信して、金融資産を保有している人々は消費を増やしているものと考えられる。いわゆる一種の「ピグー効果」が認められるのである。
ここで乗数効果について述べる。乗数効果は、自生的(独立的)支出(政府支出、投資、輸出など)が、次々に所得を生む現象である。具体的に説明すると、1兆円の自生的支出、たとえば政府支出を考える。この1兆円の政府支出は同額の所得1兆円を生む。この新たに生まれた1兆円の所得から、もし消費比率が6割とすれば、6,000億円の消費がなされ、これによって同様に6,000億円の所得が新たに生まれる。そしてこの6,000億円の所得の6割の3,600億円が消費される。同様に3,600億円の消費は3,600億円の所得を生み、これが2,160億円の消費を生む。このように1兆円の政府支出は、次々と所得を生む。そして最初の自生的支出が生みだす所得の合計の倍数が、乗数あるいは乗数値である。
乗数効果は、波及の過程で減衰する。そして生まれる所得の総和は、無限及数の和である。したがって乗数は、消費比率をcとすれば、1/1-cになる。上の例ならcは0.6であるから、乗数は2.5になる。つまり政府支出1兆円に対して、合計で2.5兆円の所得を生むことになる。また算式から分るように、消費比率が大きいほど乗数も大きくなる。逆に人々が、貯蓄やローンの返済を多くして、消費を抑えたなら、乗数は小さくなる。例えば消費比率を0.5まで下がると乗数は2になる。
ちなみに実際の従来の乗数を示すと次のようになる。
名目GDP押し上げ効果(旧経済企画庁)
| 所得減税 | 公共投資 |
| 1年目 | 0.46 | 1.32 |
| 2年目 | 0.91 | 1.75 |
| 3年目 | 1.26 | 2.13 |
ところで参考に掲載した所得減税の乗数が小さい。これは公共投資などの政府支出などと違い、スタートでの所得の発生がないからである。1兆円の減税と言っても、このうち消費されるのは、消費比率が0.6とすれば、6,000億円となり、これから乗数効果の波及が始まる。つまり減税の乗数は理論的にも、政府支出より1だけ小さくなる。実際、経済企画庁のモデルの数値でもほぼ1だけ小さくなっている。したがって減税のために政府支出を削減するなんて、とんでもない政策である。
これだけ不況が続いていても、全体では日本の消費比率はあまり小さくなっていない。しかしこれが誤解を招く。上述したように、将来不安や住宅ローンを返済している若年層の消費は確実に減っている。一方、大きな預金を持っている人や、高額な年金を受取っているか、もしくは年金が確保されているグループの人々の消費は増えており、これが消費の下支えになっている。大雑把に前者を代表しているのが勤労者であり、後者の代表は金利生活者である。つまり勤労者の消費が減って、金利生活者の消費が伸びているのである。
このような状況で、財政政策を行った場合の効果が問題になる。単純に国全体の消費比率から乗数を算出すれば、消費水準がそんなに下がっていないのであるから、乗数も変化がないことになる。ところで勤労者のほとんどの所得は、財政支出などの自生的支出の乗数効果の波及過程で生まれる。
しかし一方、金利生活者の消費は、この波及過程とほとんど関係ない。したがって金利生活者の消費は自生的支出と分類すべきと考える。また失業者の雇用保険金からの消費もある。さらに失業者が過去の預貯金を取崩して消費を行っているケースも増えており、これも乗数の波及過程の所得とは関係がない。つまりこの種の消費金額の大きさが、今日では無視できないくらいまでに大きくなっているのである。そして問題は、勤労者の消費比率が低下していることである。したがって財政政策による乗数も小さくなっている可能性が強く、このことは財政政策による経済効果が以前に比べ小さくなっていることを意味する。
ところで乗数の認識には二通りあるようだ。一般的には、乗数は波及過程の全ての効果を合計したものである。しかし効果の波及には時間がかかる。最低三年くらいかかるのが普通である。ところが内閣府(旧経済企画庁)やシンクタンクは、通常一年目の波及効果を「乗数」と言っているようである。たしかに例えば補正予算のGDPの押上げ効果を試算するには、一年目の乗数が重要になってくる。つまり乗数は、2.4とか2.5とか言われるが、彼等にとっては、乗数は一年目の1.3である。
これまで述べたように乗数は少し小さくなっている可能性が強い。実際、あるシンクタンクでは、乗数をもっと小さい数字に設定していると聞く。当然、全体の波及効果も少し小さくなっていると考えるべきである。ところで財政支出の効果が小さくなっているからと言って、「財政支出より減税」と主張する人々がいる。しかし乗数効果の波及過程を見ても解るように明らかに、減税の効果もさらに小さくなっているはずである。
たしかに財政支出による、需要拡大効果は以前に比べ弱くなっていると思われる。したがって多少の積極財政で、今日のデフレ経済が克服できるとは思われない。一方、筆者達は、政府通貨(貨幣・紙幣)発行特権による、財政政策を主張している。これに対して、「財政政策の効果が小さくなっているから、効果が期待できない」と言う意見がある。しかしこれは全くの誤解である。むしろこう言う状況だからこそ政府通貨発行特権(セイニア−リッジ)政策が必要なのである。
本誌で繰返し述べているように、政府通貨発行特権によって調達された資金は、穏やかな物価上昇(リフレ)が起るまで使うことを想定している。つまり財政政策の効果が小さくなったと言うことは、それだけ物価が上昇しにくくなっていることを意味する。したがってこのような場合には、財政政策の金額をそれだけ増やせば良いのである。たとえば20兆円のところを24兆円に増やせば良い。ところが、どこからか財源を捻出して行う従来型の積極財政では、とうていこのようなことはできない。したがって政治も、デフレ経済の克服が極めて困難と認識するようになれば、セイニア−リッジ政策は避けて通れないないと気付くはずである。実際、一部の国会議員も政府通貨発行特権について、熱心に勉強を始めている。
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