- 基本的な考え
本誌は、ずっとセイニア−リッジ政策、つまり政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動による、財政出動を主張している。しかし最近でも、「このようなことを行えば、ハイパーインフレーションが起ったり、円の信認が損なわれて、円の暴落が起るのではないか」と言ったご意見を読者の方からいただく。結論から申せば、今日の日本の経済状況を前提にすれば、ご心配のようなことは、よほどの通貨の大量発行を行わない限り起こり得ないと考える。
数年前のロシア危機などとは全く事情が異なるのである。ロシアの場合には、生産力が不足している状況で、通貨の大量発行(エリツェンが公務員の給料を払うために紙幣をどんどん刷った)を行った。その結果、ルーブルが暴落し、物価が急騰したのである。もっともルーブルが暴落したため、外国製品がばか高くなり、ロシア国民が「それならば自分達で農産物や工業製品を作ろう」と生産に励みだし、今日でもロシア経済は順調に成長していることは前から述べている。
歴史的にも経済成長の始まる前に、インフレを経験する場合が多い。物の値段が高騰すれば、生産意欲が上昇したり、過去の不良債権の清算が進むことが多いからであろう。日本も戦後の高度成長の前には、インフレを経験している。しかし筆者達は、むちゃな物価上昇が起っても良いとは決して考えていない。物価の上昇が起っても、数パーセント、つまり今日先進各国が経験している程度の物価の上昇率を念頭に置いている。英国を始め、各国でインフレターゲット政策が行われており、物価の上昇率を目標に収めることが実際に行われている。これが日本ではできないと言う理由はない。
むしろ今日のようなデフレ下(資金需要がなく銀行から先に資金が回らず、銀行は国債ばかり買っている状況)でインフレターゲット政策を行おうとする方が無茶である。財政出動によって銀行の先に資金が供給されて、始めて需要が喚起され、経済活動が活発化し、物価が上昇する可能性が生まれる。そして経済がこのような状況になって始めて、インフレターゲット政策と言うものが、意味を持つのである。
まず基本的な政府の貨幣(紙幣)発行特権について述べる。どの国にも政府の貨幣(紙幣)発行する特権がある。これはどの国も持っている固有の権利であり、ちょうど他国からの侵略に備える自衛権のようなものである。例えばある国が独立した場合、この国には、自動的にこの国独自の貨幣(紙幣)を発行する権利が発生する。問題はどれだけの額の貨幣(紙幣)を発行するかである。金本位制の元なら、金の保有量で自ずと発行限度額と言うものが決まってくる。しかし今日世界の中で金本位制の国は皆無である。
現在、どの国も管理通貨制度を採用している。管理通貨制度と言うことは、政府の信用で通貨を発行すると言うことである。通貨の発行量は、その国の政府が自由に決められる。政府が経済の国の規模などを基準に決めれば良いのである。少なければ、物価が下落したり、経済取引が停滞する。逆に通貨の発行量が多ければ、物価が上昇し、まさにインフレになる。また、通貨の発行量は、金利や為替に影響にも影響する。要するに、管理通貨制度の元では、政府が、経済政策の一環として適切な通貨の発行量を決めることになる。
日本でも、昔は政府が通貨(貨幣、紙幣)を発行していた。五箇条の御誓文の由利公正が中心になって発行した太政官札である。これは明治新政府が発行したお札である。ちなみに中央銀行としての日銀が設立されたのは、ずっと後のことである。明治新政府はこれを財政支出に使っていた。西南戦争の戦費もこれで賄ったのである。ところで明治新政府は太政官札を発行していたが、物価は極めて安定して推移していた。つまり政府の紙幣発行量が適切であったと言うことである。
法律上、政府の通貨(貨幣、紙幣)はもちろん現在でも発行が許されている。しかも発行量は無制限であり、担保も不要で償還する義務もない。さらにこれを発行すれば、これに伴い政府に利益が入る。実際、今日政府紙幣は発行されていないが、政府貨幣の方は発行されている(戦後まで政府紙幣が一部流通していたと言う話を最近聞いた)。10円玉や100円玉、そして記念コインなどである。厳密に言えば、政府の貨幣発行に伴う利益は、額面額から製造コストを差引いたものである(1円玉と5円玉は赤字かもしれない)。そして紙幣を発行しても一向にかまわない。もし10万円札を政府紙幣として発行し、製造コストを20円とすると、9万9,980円の利益が政府に計上されることになる。
また紙幣を実際に印刷しなくとも、政府の紙幣発行権と言うものを日銀に売却することができる。500兆円の政府の紙幣発行権を日銀に売れば、この時点で政府の累積債務問題は形式的に解決するのである。もちろんこの500兆円を、公共投資や社会保障と言った財政支出に充てることもできる。このような仕組みを一部の政治家や官僚は知っているはずであるが、どう言う訳か口に出さないのである。
したがって「2,003年に財政破綻で日本が潰れる、サバイバルグッズを買え」と騒いでいる財政学者や浅井隆氏などは、まさに大ばか者である。また国債発行の30兆円枠がなんとか言っていること自体が「ナンセンス」そのものである。しかし恐いのは、財政破綻と叫んでいる人々が、倒産や失業を引き起す政策を進めることである。つまり彼等が実際に「ハルマゲドン」を起こすことである。その時、彼等は「今日の倒産や失業は財政の赤字を放っておいたからだ」と言う真っ赤な嘘をつくのである。
- 日銀の国債引受け
政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動に似た、財源確保の方法として、国債の日銀の直接引受けがある。法律上(財政法第5条)、日銀の直接引受けは禁止されている。しかしこれには但書きがあり、国会の決議の範囲内で日銀引受けはできることになっている。本誌が主張していた政府・地方の累積債務の解決方法はこれであった。600兆円、あるいは700兆円の国債を日銀引受けにして、累積債務問題を解決したり、財政支出に充てると言うアイディアである。ちょうど政府の貨幣(紙幣)発行特権を日銀に売却するのと似ている。国は日銀に対して、国債の利息を払うが、この利息は最終的に国庫に納付されるので、実質的に国債発行の金利負担はない。
政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動と日銀の国債の引受けの違いは、前者が政府に債務が発生しないことである。後者の場合は、政府は日銀に債務を負い、日銀は国に対して債権を持つことになる。ただし日本政府は、日銀のほとんどの株式を所有しており、日銀は政府の子会社にあたる。そして両者を連結決算で見れば、債権・債務が相殺されることになる。つまり国債のうち日銀の引受け分は実質的に、政府の借金にならないと解釈される。
戦前には、高橋是清がこの国債の日銀引受けで得た資金を財政支出に使い(この他に為替を大幅に切下げた)、日本をデフレ経済からみごとに脱却させた。世界的なデフレ経済から、高橋是清のおかげで日本は一番早く脱却することができた。これは他の先進国から「やっかみ」を買うほどの成功であった。
しかし当時の日本のデフレギャップが、他の先進諸国に比べ小さかったことも幸いしている。つまり当時の日本の生産力は小さかったのである。このため、景気回復が順調過ぎ、逆に物価上昇の兆しが見え、高橋是清は、日銀引受けにした国債を市中で売却し、通貨の回収を図った。さらに軍事予算まで削ろうとしたため、2.26事件のテロによって殺されたのである。しかし今日の日本のデフレギャップは莫大なものになっている。ちょっとやそっとの財政支出の増大ぐらいでは、物価は上昇しない。また中国などの生産力も大きくなっており、少なくとも「物」の値段は簡単には上がらない。
日銀が国債を引受ける方法として、もう一つ市中から国債を買上げる方法がある。通常、日銀は国債を買ったり売ったりして、金融の調節を行っている。所謂「買いオペ、売りオペ」である。しかしこれとは別に、毎月「買い切りオペ」と言うものを実施している。国債の発行残高が年々増えており、金利が上昇してしまうからである。日本の国債の利回りが低位に推移しているのも、銀行の国債の買増しに加え、日銀の「買い切りオペ」があるからと筆者は考えている。日銀の国債の買い切り額は、今年3月に8,000億円から、1兆円に増額され、さらに最近2,000億円程度増やされている。この結果、日銀国債の保有残高は、75兆円前後になっていると筆者は推定している。
日本ではセイニア−リッジ政策は行われていないことになっているが、この日銀の75兆円の国債保有高のうち、底溜りになっている部分については、広義のセイニア−リッジ政策に該当するものと考えられる。そしてこれは既に実施されていることであり、もちろん合法である。日銀は、一応「国債の保有額は発行通貨の範囲内と言う歯止めがある」と言っているが、「発行通貨の範囲内」と言うことが、それほど根拠のあるものではない。
筆者は、国債の利回りが一定水準に収まるよう、日銀が市中から国債を買うシステムを考えている。もちろんこれは通常の政策ではない。しかし今日の日本経済は、普通の状態ではないのであるから、政策も通常ではないものを採用せざるを得ないのである。
このようにセイニア−リッジ政策、つまり政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動は、「通常」ではないが、決して「異常」な政策ではない。特に政府の貨幣(紙幣)発行特権の発動と国債の日銀の直接引受けは、日本で過去に実施され、良い成果が得られたものである。また日銀の国債の買い切りは、現在実際に行われていることである。さらにこれについては、政府と日銀が政策協定(アコード)を結ぶことが考えられる。実際、米国では、戦後、米国債の買入れに関して、政府と連銀の間で政策協定(アコード)を結んでいた。これについては、来週号で述べることにする。
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