- 軽い日本人
今週は多少趣きを変え、サッカーを中心に話を進める。
日本中、サッカーのワールドカップ大会で大変である。
どのテレビ局もサッカー関連の番組で一色である。決勝
リーグ進出も決まり、経済問題などは吹き飛んでしまう
勢いである。しかし一方にはサッカーが苦手な人がいる
はずで、この人達にとっては苦痛の一ヶ月であろう。
ただ筆者が不思議に思うのは、「いつ頃から日本人はこ
んなにサッカーに興味を持ち、好きになったのか」と言
うことである。たしかにサッカーは、やる分について
は、面白いスポーツだと思う。「スポーツの面白さは、
使うフィールドの広さに比例している」と言う話があ
る。これもなかなか説得力があり、この点からもサッカ
ーが面白いスポーツと言うことは納得させられる。
しかし観るスポーツとして面白いかと言えば、何とも言
えない。正直に申せば、筆者にとっては観るスポーツと
しては、あまり面白とは思わない。実際、日本では長い
間、サッカーは観るスポーツとしては全く人気がなかっ
た。たしかに1,968年のメキシコオリンピクでは、日本も
銅メダルを取り、一時的に日本人もサッカーに注目し
た。当時は釜本や杉山と言ったスター選手もおり、この
時分にサッカーを始めた人も多かった(筆者の友人知人
にもサッカーをやっていた者が多い)。しかしこの人気
も長続きしなかった。サッカーが世界的な人気スポーツ
と言うことは、大抵の人々は知っていたが、不思議なほ
ど日本では人気がなかった。関係者は、サッカーの人気
を盛り上げようと色々と努力した。とうとう釜本が素っ
裸になってポスターに登場するくらいであった。しかし
日本では、一向にサッカーの人気は上がらなかった。
異変が起ったのは、Jリーグの誕生の頃からである。突
然、サッカーが人気者になったのである。サッカーを応
援する人々は、特別にサポータと呼ばれている。日本中
に、このサポータと言われる人々が、突然、大量に出現
したのである。筆者なども何ごとが起ったのかと思った
ほどであった。あれだけ人気がなかったサッカーが、一
夜にして人気者になり、水曜日と土曜日には、にわかサ
ッカーファンがテレビにかずりつくようになったのであ
る。
しかし時間を経るにつれ、Jリーグの人気も下降線を辿っ
た。テレビでのサッカー中継も、視聴率が取れないた
め、年々減っていった。人気回復を狙って鳴り物入りで
登場した「サッカーくじ」ももう一つ盛上がらない。筆
者は、サッカーを理解し、本当にサッカーの試合を観て
面白いと思っている人々の数は、限られているのではな
いかと考えている。しかしどう言うわけか、ワールドカ
ップだけは別で、人々の注目を異常に集めているのであ
る。
サッカーの全く人気がないのが米国である。「米国が世
界一でないスポーツは、米国では人気がない」と言う解
説がある。しかしそう言うわけではなさそうである。8年
前、その米国でサッカーのワールドカップ大会が行われ
た。ところが米国人は全くサッカーに興味を示さなかっ
た。自国のチームも出場していたにも拘わらずである。
ワールドカップのサッカー中継のテレビ視聴率は、いつ
も5〜6%とみじめなほど低かった。米国には、サッカー
が盛んな国からの移民もかなりいるはずなのに、この低
い人気である。
米国人の代表的な感想は、「サッカーはボールが行った
り来たりしているだけで、全く面白くないスポーツ」で
ある。つまり観るスポーツとしては、全く面白くないと
言うのである。この点では、筆者も同じ意見である。あ
る意味では、米国人は正直なのかもしれない。しかし見
方を変えれば、サッカーは普通のスポーツとしては観て
はいけないのかもしれない。
ところで日本の代表選手について、気になることが一つ
ある。ほとんど全ての選手が髪を染めていることであ
る。2,3人が染めていると言うのではない。金髪や茶髪だ
けでなく、赤髪もいる。このことにクレームをつけた政
治家もいた。たしかに「顔つきはベタベタの東洋人」な
のに「髪の毛は西洋人」なのである。監督はフランス人
だからしょうがないが、筆者も何故日本選手は黒髪のま
まではいけないのであろうかと考える。
日本では、近年、サッカーの選手だけでなく、髪を染め
ている人が急速に増えた。まさに「顔つきはベタベタの
東洋人」なのに「髪の毛は西洋人」が急増している。フ
ァッション的には、黒髪はベタッとしていて、重く感じ
られると言う解説がある。つまり金髪や茶髪の方が「軽
やか」に見られると言うことである。最近、「亜麻色の
髪の乙女」と歌がリバイバルしている。たしかに「亜麻
色の髪の乙女」は「軽やか」に感じられる。そう言えば
サッカーのテーマソングも実に軽い。そしてこの「軽
い」と言う言葉こそ、まさに日本社会の今日の「キーワ
ード」である。
- 正しいサッカーの楽しみ方
日本人の本質は、元々「軽い」ことではなかったと筆者
は考える。明治維新を境にそれまでの、封建的な価値観
は疎まれ、人々は西洋文明にあこがれ、これを追い掛け
始めた。古い儒教的な考えにこだわる中国や朝鮮を尻目
に、日本が近代産業国家として発展したのも、この「軽
さ」があったからと考えられる。逆に、今日においても
宗教的な戒律に縛られている超保守的な国の経済的発展
は難しく、このような国々は貧しいままである。こう考
えるとこの「軽さ」と言うことは、必ずしもいつも否定
的に捉える必要はないのかもしれない。
客観的に見て、日本人は実に「軽い」。明治以来、人々
には西洋文化への崇拝があり、欧米に留学し、「箔」を
つけたがった。ところが戦争中は一転して「鬼畜米英」
で、英語を使うのも禁止していた。しかし戦争に負ける
と、人々はさらに一転して親米派に転向した。またイン
テリと言われている人々もいい加減である。戦中、戦後
は彼等の間では「共産主義」がブームであったが、ソ連
が崩壊するやいなや「小さな政府」が正しいと言い始め
た。実に「軽い」のである。
明治の時代、この西洋かぶれの日本人の軽薄さにいちゃ
もんをつけたのが夏目漱石である。しかしこの夏目漱石
の文章もとうとう教科書から消え去ることになったよう
である。このように今日の日本人の軽薄さも、政府の公
認となったのである。こんなに軽い国民だから、マスコ
ミや官僚に簡単に操作されるのである。
ところでイングランドとデンマークの試合では、日本人
の観客の多くがイングランドのサポータとなった。どう
もイングランドにベッカムと言う人気選手がいたからと
言う話である。しかしどれだけの人々がベッカムと言う
選手を昔から知っていたと言うのであろうか。たしかに
ここ一ヶ月くらい、ケガをしたベッカム選手の出場を危
ぶむ報道はあった。多くの人々は、これでベッカムと言
う選手の存在を知ったのではないのか。しかし本来の日
本人の心情を持っているなら、小国であるデンマークを
応援すべきと筆者には思われる。日本人(サッカーファ
ン?)はいやになるくらい軽いのである。
日本人はまさに「エアーホッケー」のようなものであ
る。ちいさなショックで何処へでも飛んでいく。一世を
風靡した日本新党は既に影も形もなくなった。90%近く
あった小泉政権の支持率も半減している。テレビのワイ
ドショーが連日追い掛けていた田中真紀子代議士も落ち
目である。日本人のこのようなうつろいやすさに、隣国
の中国や韓国が不安に思うのも解るような気がする。
経済政策に関する主張の変遷もひどいものである。橋本
政権当時、世論調査では「財政再建」こそ最重要課題と
言っていたのに、景気が急速に悪化すると、「減税」を
求める声が大きくなった。そして世論に押され政府は2度
も特別減税を行った。しかしさっぱり効果はなかった。
すると「特別減税」だから効果がなかったのであり、
「恒久減税」を行うべきと言う声が大きくなった。しか
しこれも効果はなかった。そして今日また先行減税論で
ある。デフレ経済にこんなものが効くわけがないが。
日本人の心はこんなに軽くうつろいやすいのであるか
ら、簡単に操作される。時々、日本の経済政策は、テレ
ビ局のディレクターが決めているのではないかと思われ
ることがある。これは本誌で前に取上げたことである
が、以前田原総一郎氏がテレビ番組で話していたことで
ある。「日本のエコノミストは嘘つきである。番組では
「減税、減税」と言っているが、番組が終わると「田原
さん、減税なんかやっても効果はないですよ」と言って
いる。」と田原氏はあきれていた。
しかしエコノミストに「減税」と言わせているのは、当
のテレビ局のディレクターかもしれないのである。先日
も、野村総研の植草氏も「公共事業は色々問題があるか
ら、先行減税を行うべき」と言っていた。これがギリギ
リの発言なのであろう。
少なくとも今日「減税は効果が小さいから、効果の大き
い公共事業を行うべき」と言うエコノミストがテレビに
登場するケースは皆無である。このような正直なエコノ
ミストは、二度とテレビには登場しなくなるのである。
このようにして、間違った世論は形成されて行く。ここ
で筆者は、声を大にして言うが、今日、有効な経済政策
は財政支出の増大であり、減税ではない(これについて
は本誌でも02/5/20(第252号)「小泉政権のデフレ対
策」と02/5/27(第253号)「消費税の減税効果」で論
じている)。ところでテレビ局のディレクターの中には
文学部の出身者がいるかもしれない。もし文学部の出身
のディレクターに、エコノミストは発言をチェックされ
ているとしたら面白いことである。
サッカーの話に戻る。どうもサッカーは一般のスポーツ
と同じ次元で観戦することが間違っていると感じる。サ
ッカーでは、ホームで勝ち、敵地(アウェイ)で負ける
のが普通である。また勝敗は審判の判定に大きく左右さ
れる。さらに偶然の要素が大きい。このようなスポーツ
は他にはない。したがってテレビでよく作戦面や技術的
な解説を行っているが、あまり意味がないのではないか
と思われる。
筆者の感想では、サッカーは隣国や隣村との戦争の代償
行為みたいなものである。武器を持って争う代りにボー
ルを蹴り合うのである。考えてみれば、古代オリンピッ
クも戦争の代償行為として始まったものである。たしか
にサッカーにも一応のルールがあり、審判もいるが、勝
敗を決めるのは、作戦や技術を越えたものと思われる。
サッカーは普通のスポーツとは異なるのであり、むしろ
「ケンカ」に近いものである。そしてサッカーがこのよ
うな要素を持っているため、観ている人々も、他のスポ
ーツに比べ、ずっと興奮するのであろう。
したがって日本人同士が闘うJリーグのゲームの人気が上
がらないのも理解できる。一方、欧州などは、一枚岩の
ように見えるが、地域同士の対抗心が異常に強く、けっ
こう互に仲が悪い。これがサッカーの人気を煽っている
と思われる。ところでサッカーを米国人が観ても面白い
ようにするには、ルールをかなり変える必要があると考
えられる(他のスポーツ、例えばバスケットボールやバ
レーボールなどは時代の要請によってルールを結構変更
しているが、サッカーだけはほとんど変わらない)。し
かし保守的な欧州の国々はこれを頑固に拒否するであろ
う。理由の一つは現行のルールで欧州各国が優位だから
である。負けると簡単にルールを変えるノルディック複
合とは事情が違うのであろう。もっとも米国人が観て喜
ぶようにルールを改正したら、ヨーロッパでのサッカー
人気は凋落するかもしれない。
ヨーロッパのマスコミは、おとなしいと言われていた日
本のサポータも、サッカーの応援の仕方に馴れてきたと
言う評価している。しかし筆者に言わせてもらえば、顔
に国旗を描いたり、川に飛込むくらいでは、まだまだ甘
い。やはりヨーロッパのフーリガンのように、酒を飲ん
で暴れ回るのが、正しいサッカーの楽しみ方のように思
われる。もっとも筆者は仲間に入りたくないが。
|