平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




02/4/1(第247号)
ニュークラシカル派の実験
  • ベンチャーズ
    先週号で述べたように、今日世界で主流派となっている「ニュークラシカル派の経済学」は世間からは浮いた存在である。ノーベル家からはノーベル経済学賞の廃止発言が飛び出している。注目されることは、ノーベル家の人々が決して経済の専門家と言う訳ではないことである。そのような門外漢の人々から見ても、今日流行している経済学の現状が酷いのである。たしかにノーベル平和賞についても、その選考に問題点が提起されたことがある。しかしさすがに「廃止」と言う話はない。経済学の現状がいかに悲惨なものかが解るのである。

    もっとも経済学会内部の話に止まっている限り、経済学の現状がどれだけ悲惨であっても構わないことである。単に経済学が停滞していると考えれば良いのである。話が違ってくるのは、このようなどうしようもない経済学を現実社会に適用しようと言う動きがある場合である。それもこともあろうに、この「ニュークラシカル派の経済学」を、大きなデフレギャップの存在が問題になっている日本に適用させようとしているのだから正気ではない。

    「ニュークラシカル派」の経済学者が念頭に置いているのは、供給サイドが弱く、人々の消費意欲が満たされない経済社会である。あるいは国内の産業が競争力がなく、国内の市場が海外勢に席巻されているような国である。このような国では、物価が上昇し、金利も高いのが普通である。たしかに世界を見渡せば、たしかにこのような条件が部分的にあてはまる国もある(正確にはあったと表現すべき)。サッチャー時代の英国やレーガン時代の米国は、これらの条件が比較的当てはまっていたとも考えられる。しかし今日の世界は、中国、ロシア、東欧と言った旧社会主義国の市場の参加や、飛躍的な生産技術の発展によって、世界的かつ慢性的な供給過剰に陥っている。つまり「ニュークラシカル派」の経済学者が念頭に置いているような状況は、今日の世界にはほとんど見当たらないのである。

    供給サイドが問題になって経済成長が実現できないような国は、少なくとも今日の先進国にはない。供給サイドが怪しい米国でさえ(設備稼働率が常に高く、最近では電力供給が問題になった米国でさえ)、ここ10年間の経済成長は需要が引っ張ったと筆者は考える。これについては01/6/18(第212号)「需要があっての経済成長」で述べた通りである。米国は90年初頭に8%あった貯蓄率がゼロないしマイナスになったのである。これだけ消費が盛んになれば、経済も成長するはずである。政府に代わって、一般消費者が毎年巨額の景気対策を行ってきた(筆者の試算では、毎年10兆円の景気対策が行われてきたのと同じである。これは今年が10兆円なら来年は20兆円、そして再来年は30兆円の景気対策と言う意味である。)のと同じなのである。これだけ民間の需要が強いのなら、政府は支出を削減するのが正解であり、財政の再建も実現するのが当り前である。


    経済の状況が、「ニュークラシカル派」の経済学者が想定しているまさに反対の極にある国が日本である。減ったとは言え、貿易収支は大幅な黒字である。また国内の市場に海外製品が溢れていると言う訳ではない。金利は世界史上最低の水準である。物価にいたっては、下落状態が10年以上も続いている。このような日本の経済の不調に対して、「ニュークラシカル派」の処方箋、つまり「財政支出の削減」「規制緩和を始めとした構造改革」で解決できると主張している人々は、まさに「クレージ」そのものである。日本経済の問題は需要不足、あるいは供給力の過多である。さらにもし需要が順調に増えれば、自然と民間の投資も増え、労働生産性も潜在成長率も向上するのである。


    先進国において、「ニュークラシカル派」の経済学者が想定している経済状態の国はない。むしろ供給力の過多と需要の不足の方が問題である。日本だけでなくドイツも経済不調に陥っている。今後問題になってくるのは、イタリアと筆者は読んでいる。いずれも第二次産業の比重の大きい国である。そして筆者は、「ユーロ」と言う単一通貨を採用することが、そのうちドイツやイタリアにとって負担になると考えている。

    とにかく「ニュークラシカル派」の経済学者の言っていることは、少なくとも先進国の経済政策では、既に相手にされないものである。むしろ彼等の想定とは逆の状況で、いくつかの先進各国は苦しんでいるのである。したがって日本のエリート達がこのような奇妙で、他の国では相手にされない経済理論にどうしてのめり込んで行ったのか、不思議でならない(本当は解っているが)。

    「ベンチャーズ」と言う米国のバンドがある。今日でも毎年日本にやって来て、コンサートを行っている。「ダイヤモンドヘッド」などのヒット曲で知られる。このベンチャーズは、いまだに日本では根強い人気があり、たまにはテレビにも登場する。しかし本国の米国では忘れ去られており、今日ではほとんど無名である。実に「ニュークラシカル派の経済学」とそっくりである。


  • 人体実験
    以前、テレビに出演していた亀井前政調会長は、番組の最後に「日本の経済政策は経済学者の実験である」と発言していた。亀井氏は「勘」の鋭い政治家である。このセリフは実に本質をついている。筆者も、日本は今日の主流派となっている「ニュークラシカル派」の実験場となっていると考えている。さしづめ国民はモルモットである。

    財政支出を絞ったりして、どれだけ失業が増えるかなどを実験しているのである。企業倒産や自己破産の増え方も彼等の実験テーマである。色々な所で破綻が続き、これが原因の自殺者も増えている。全国的にホームレスも増えている。ところで最近、筆者が注目しているのは、企業の犯罪の動向である。食肉商品のラベルの張替や補助金の詐取などが問題になっている。このような企業犯罪の動向と経済状況の関係が注目されるのである。筆者は、そこまで日本の企業は追い詰められていると理解している。企業も刑務所の塀の上を歩くような行為への誘惑にかられている。いくら歴史のある大きな企業と言えども、段々「品性」と言うものを失っていくのである。

    「ニュークラシカル派」の実験は、今回が初めてではない。橋本政権の時にも行っている。この時には、金融不安が起り、橋本首相が退陣し、実験は途中で中止になった。しばらくはこれらの「ニュークラシカル派」の人々も死んだふりをしていた。当時本誌は、橋本政権の政策を主導した人々の責任を徹底的に追求すべきとずっと主張していた。しかし日本の「あいまい」な社会風土のせいか、これがなされなかった。むしろ彼等の勢力が、それだけ既に日本の社会の隅々まで広がっていたと理解すべきなのかもしれない。そして小淵政権の後半頃から、彼等は復活してきたのである。

    小泉政権発足によって、彼等「ニュークラシカル派」は完全に復活した。そして注目されることは、橋本政権の経済政策が失敗したことに対するコメントである。小泉首相だけでなく、加藤元幹事長や石原、岩崎と言った政策新人類と言われる人々も全く同じのことを話していた。彼等は、「二、三年苦しい経済状況が続くことを覚悟してほしいと前もって言っておくべきであったが、橋本政権はこれを行っていなかった」と言っている。つまりこのような事を事前に言っておかなかったため、「経済が傾いた時に国民から反発が生まれたのだ」と言うことらしい。経済が失墜したことではなく、このような事前の説明がなかったことが失敗だったと言うのである。つまり橋本政権の政策の方針自体は間違っていなかったと言っている。不思議なことは、もちろん彼等には二、三年後の展望があるはずがないと言うことである。まさに「カルト集団」である。


    先週号で述べたように、日本の経済学会だけでなく、政界や官庁、そしてマスコミの主要ポストはこの「ニュークラシカル派」の人々に占領されている。半分は「ニュークラシカル派」の考えが正しいと心から心酔している人々であり、あとの半分は「なんとなく」彼等に同調している人々である。

    財界も、「ニュークラシカル派」の影響が大きくなっている。もともと「ニュークラシカル派」の牙城の経済同友会は別にしても、経団連もこの傾向が強くなっている。そして唯一正気であった商工会議所も最近では雰囲気が変わっていると言う話である。ある大都市の商工会議所の専務理事は官僚出身である。この専務理事にある経済学者が「日本のデフレギャップは30%も40%もある」と説明すると、彼は「だから30%から40%の企業は整理する必要がある」と真面目に答えていたそうである。商工会議所もこのような状態であるので、会員の企業もどんどん減っていると言う話である。

    このむなしい「ニュークラシカル派」の人体実験はまだまだ続きそうである。次は「ペイオフをやってみよう」とか「課税最低限度を下げてみよう」と言った調子である。またモルモットの国民が一遍に死んではまずいので、時々小さな補正予算を組んだり、PKOで株価の買い支えを行うと言った延命処置も行っている。



来週号では、経済数値の推移と予想を行ってみることにする。



02/3/25(第246号)「ニュークラシカル派の論理」
02/3/18(第245号)「日本の所得格差の動向」
02/3/11(第244号)「通常では行わないような経済政策」
02/3/4(第243号)「セイニア−リッジ政策への準備」
02/2/25(第242号)「資金の使途(その3)」
02/2/18(第241号)「資金の使途(その2)」
02/2/11(第240号)「資金の使途(その1)」
02/2/4(第239号)「確信犯(その1)」
02/1/28(第238号)「政策の実現性」
02/1/21(第237号)「国債の日銀引受け政策」
02/1/14(第236号)「経済政策の目標」
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