平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




02/3/25(第246号)
ニュークラシカル派の論理
  • ミツバチの話
    昔、ミツバチの生態に関して興味深い話を聞いたことがある。働きバチ(ミツバチ)は名のごとく、皆せっせと真面目に仕事をしているように見える。しかしよく観察してみると、一定の割合でただうろうろしているだけのハチや、サボッているハチが必ずいると言うのである。例えば100匹の働きバチがいるとすれば、そのうちの20匹はこのような不届きなハチである。したがってこのような不届きなハチを全て排除すれば、一生懸命働くハチだけになるはずと誰もが単純に思う。しかしこの20匹を取り除くと、どう言う訳か、それまで真面目に働いていた80匹のハチのうち、同じような割合でサボるハチが出てくると言う話である。

    今日の日本経済の現状を考える時、このミツバチの話は身につまされる。「悪い銀行は退場させろ」「建設・土木のような生産性の低い産業は淘汰が必要」「整理されるべき流通業者は早く整理しろ」と言う声が強い。そしてこのようにすることが「構造改革」と言われているらしい。悪い企業や産業が排除されるならば、日本の経済も上向き、デフレ経済から脱却できると言うのである。大きな企業が破綻する度に、「これで日本経済の構造改革も進む」と喜んでいる市場関係者が多いのも事実である。たしかに労働生産性の観点からは、儲からない企業は生産性が低い。したがって赤字の企業や債務超過の会社が市場から退出すれば、残るのは生産性の高い、つまり良い会社ばかりになると言う主張である。

    現実に、ミチバチの話のように悪い企業や産業が市場から続々退場している。既に相当の数の中堅ゼネコンや大手流通業者が破綻している。大手の銀行も何行か退場し、証券会社や保険会社もいくつも潰れている。このように人間や企業を「勝組」と「負組」に単純に分け、「負組」がさっさと退場することによって構造改革が進むと言う論調が世間では主流である。したがって「負組」が市場から退出することを邪魔するような政府の経済政策や補助政策は、改革に反すると言うのである。

    さらに改革を進めるには、財政支出を削り、規制緩和を徹底的に行えと言うのである。そして彼等は、政府に頼らない社会生活、つまり「自己責任」をやたら強調する。サラリーマンの医療費の3割負担などもこの流れの延長線上にある。このような人々の考えの特徴は、政府の経済への関与を徹底して嫌うことである。彼等は、端的に言えば「小さな政府」論者達であり、「供給サイド重視」「マネタリスト」と言われている人々もこれに含まれる。

    これらの人々の一番の特徴は、とにかく「ケインズ」的政策の全面的な否定である。つまり政府が経済政策に介入することを極端に嫌う。第二次世界大戦後、サミュエルソンなどの新古典派が登場した。彼等は「需要が不足している間はケインズの言うように有効需要政策が有効であるかもしれないが、生産資源の稼働率が上がってきたなら、政府は経済に関与しない方が良い」と穏やかに、ケインズ主義の修正を主張していた。しかし今日の「小さな政府」論者はそのような次元ではない。政府の経済への関与そのものが「悪」と考える。「マネタリスト」のフリードマンに到っては、IMFもいらないと言っているほどである。

    筆者などは、これまでサミュエルソンなどと同じように、今日の「小さな政府」論者も「新古典派」、つまりネオクラシカルと認識していた。しかし実態は違うようである。実際、後者は、自分達を「ニュークラシカル」と称し、昔の「新古典派(ネオクラシカル)」とははっきり一線を画している。そして彼等が、今日の経済学会の主流派(注意が必要なのは、彼等が主流派なのは学会内だけのことであり、現実の経済政策は別である)となっている。


    しかしこれだけの企業が退場しても、成長率はマイナスであり、一向にデフレ経済は解消される気配がない。働きの悪い不届きなハチを退治しても、これまで一生懸命働いていたハチが新たな問題児になるのである。おそらく今日問題になっている銀行や企業が整理されても、次はこれまで健全と今日言われているところが問題になるのであろう。このようにきりが無いのである。

    ここ20年くらいの日本の経済政策は、この「小さな政府」論者、つまりニュークラシカルと需要政策を主張する人々(ケインズ政策を支持)の間の綱引きで行われてきた。両者の力が拮抗していたため、日本では中途半端な経済政策がずっと続いてきた。しかし徐々にニュークラシカル的な政策が主流になっている。まず土光臨調の時代にはケインズ主義の立場が弱くなり(増税なき財政再建路線によって、財政支出を削った)、最近では橋本、小泉政権ではニュークラシカル路線がより鮮明になっている。特に今日の小泉政権においては、ケインズ主義的な財政支出を唱える者は「改革への抵抗勢力」とレッテルが貼られ、マスコミを始め、ほとんどのエコノミストから袋だたきである。このような世間の雰囲気では、筆者の主張である「シーニアリッジ政策で公共事業や公務員の増員を行う」などはとんでもないと蹴飛ばされるに違いない。


  • 福神漬のよう存在
    世界の経済学会の主流派はこの「小さな政府」論者、つまりニュークラシカルと言うことである。ノーベル賞の選考委員もこの主流派が占めている。当然、ノーベル賞受賞者もこの主流派が納得するような学者ばかりである。もちろん日本も例外ではない。日本でもケインズ主義的な論文は全く相手にされないと言う話である。ここでも彼等はまさに「排除の論理」を実践しているのである。

    さらに日本では、「小さな政府」論は、経済学者やエコノミストだけでなく、あらゆる分野の人々にも浸透している。政治家にも信奉者が多い。民主党や自由党を始め、自民党の若手、特に政策新人類と言われている二世、三世議員のほとんどが「小さな政府」論者である。官僚の主流派もそうである。もちろんマスコミ関係者の大半もこの「小さな政府」論者である。例えば日経新聞の編集委員、論説委員のほとんど全部がそうである。

    日経新聞は特に極端である。日経のコラムの執筆者の全部が「小さな政府」論者と言っても過言ではない。例外は頑固にケインズ政策を主張しているのは金森久雄氏だけである。テレビに登場する例外的なエコノミストもリチャード・クー氏ぐらいである。たしかにこの両者以外で、時々「小さな政府」論に反する意見に接することがあるが、本当に稀である。今日、これらのケインズ主義的な意見は、カレーライスに例えるなら「福神漬」のような存在である。


    次に各国が実際どこまで「小さな政府」論者の主張通りの政策を行っているかが問題である。たしかに米国のように航空業界で規制緩和が行われ、航空運賃が安くなった例がある。しかしマクロ経済にとっては、航空運賃の値下がりがどのような影響があったのかはさして重要ではないと筆者は考える。飛行機を利用する人には良かったが、航空業界の人々には災難だったと言うだけである。彼等が主張しているように、規制緩和が色々な分野で行われたから、米国の経済が好調になったと言う意見にはとても賛成できない。

    ところで昨年の同時多発テロ後、世界の経済は急速に悪化した。米国もITバブル崩壊後、金利引下げや減税で経済を支える政策を続けていた。そこに同時多発テロである。ゼロ近辺まで下がっていた貯蓄率が一瞬4%台までにハネ上がったのである。米国はこれに慌て、FRBは緊急利下げを決め、政府も緊急に財政政策(減税と軍事支出の増大)を行った。米国だけでなく、各国も緊急の内需拡大策を実行した。しかしこれらの経済政策はまさに「ケインズ政策」そのものである。金利を引下げ、政府支出を増大させ、有効需要を創る政策は、極めてオーソドックスなケインズ政策である。このように経済学会ではケインズは全く無視されているが、現実の経済政策はケインズ政策そのものなのである。

    このような事態に直面した場合、もし「小さな政府」論者、つまりニュークラシカルの学者なら全く違う政策を主張するはずである。貯蓄率が大きくなり、消費が減った場合には、商品の価格が下がり、また消費が増えるから、政府は何もする必要はないと言うはずである。つまり政府の経済への介入は不要と答えるであろう。むしろ政府の介入によって資源の効率的な配分が阻害されると言うはずである。

    しかしもちろんプラグマティズムで現実的な米国政府は、このような学者の意見なんかまるで相手にしていない。面白いのは、ブッシュ大統領を始め、共和党は「小さな政府」を指向しているはずである。たしかにブッシュ大統領も日頃から「小さな政府」と言っている。しかし現実に行っている政策は、軍事費の増大であったり、最近では鉄鋼製品のセーフガードの発動である。つまり口先では「小さな政府」と言っているが、実際行っていることは正反対である。つまり「小さな政府」はあくまでもファッションなのである。ところが日本の愚かな政府関係者や経済学者は「小さな政府論」を心の底から盲目的に信奉しており、その線に沿った政策をどうしても行おうとする。この結果、日本の国力は毎年のようにすり減って行くのである。


    「小さな政府」論者の主張は実に暗い。ピンセットで役に立たないハチを排除したら、経済は強くて良くなると言うのである。しかし現実は、失業が増え、自殺者が増えているが一向に経済は上向かない。驚くことに彼等は、だから構造改革を急ぐ必要があるとさえ言っているのである。そして国民はもう「痛い」と言っているのに、構造改革派、つまり「小さな政府」論者達は、排除の論理を貫徹せよと主張している。まるでサディストである。ところが展望も全くないのに「当分痛みは続くが耐えてくれ」と「あほう」なことを言っている小泉政権の支持率は、落ちたと言えまだ高い。このように痛いのにこの政権を支持している人々はまさに「マゾ」である。

    筆者は、最近、毎月丹羽大阪学院大学教授を中心にした経済の勉強会・研究会に参加している。そして先月ちょっと話題になったのは、構造改革派の人々やニュークラシカルの学者の考え方のこの「暗さ」である。丹羽教授は、これは「ベトナム戦争」の後遺症と言っておられた。筆者には、この解説の意味が解るようでもう一つ解らない。近々またお会いする機会があるので、これについてまた聞いてみようと思う。たしかにニュークラシカルの学者の中心人物(ノーベル経済学受賞者)の何人かは、貧乏な移民の子であったり、父親の会社が倒産し、幼少の頃辛苦を舐めてきた人々である。筆者には、彼等の発想がどこか屈折しているとしか思われてならない。ところが彼等の思想にどっぷりとり憑かれるいるのが、日本では社会的にエリートと言われている一群である。彼等を結び付けるものが一体何なのか、ちょっと興味がある。

    筆者は、ニュークラシカルの経済学にはまるっきり興味はない。こんなものは経済学以前の「ケイザイガク」と言うくらいの認識しかない。端的に言えば「子供の屁理屈」である。もしこのような奇妙な経済学が少しでも有効としたなら、「蟹工船」や「女工哀史」、つまり小林多喜二時代の資本主義の社会であろう。少なくとも世界が今日直面する経済問題の解決には何の役にもたたない。実際、米国政府始め、どの国の政府も彼等をまるで相手にしていないのである。筆者は、早晩このようなカルト的な経済学は世の中から消え去ると思っている。

    不思議なことに、このような経済学をまともに相手にしているのは実に日本だけである(ひょっとしたなら次には中国がこれにかぶれそうである。そしてその徴候が現れている)。ノーベル家もノーベル経済学賞の実態があまりにも酷いので、経済学賞はもう止めると言い始めている。ノーベル家は、表面上は「ノーベル経済学の受賞者がアメリカ的な経済感の持主に片寄っている」と言っているが、本音では「最近の経済学があまりにも下らなさ過ぎる」と言いたいのであろう。

    最近のノーベル経済学受賞者を見ていると、筆者もノーベル経済学賞の廃止に大賛成である。そしてニュークラシカルの経済学には全く興味はないが、このような霊媒師的な理論にのめり込んでいく日本のエリートの生態には大変興味がある。つまり社会現象や心理学の面で注目している。数年前に騒ぎを起こしたカルト宗教団体の生態を見ているようである。



来週号は、今日進行しているカルト経済学者の日本での実験について述べる。日本国民はまさにモルモットである。

本誌の読者に岩波書店の編集者の方がいて(本文でも触れた丹羽教授を中心にした経済の勉強会・研究会に偶然にも参加されておられた)、その方が岩波書店の月刊誌「世界」の4月号を送って下さった。これに「日本経済スローパニック」と言う特集があり、筆者も興味を持って一読した。

今週号で述べたように、観念論者のニュークラシカル派の人々が構造改革の名のもとに経済政策を進めているが、この政策は巨大なデフレギャップが存在する日本では極めて危険である。しかし一方には「抵抗勢力」と呼ばれる現実派の人々や中間派の人々がいて、需要政策を主張する。この結果、実際に実行される政策は両者の妥協の産物のようなものになってしまう。経済が目に見えて落込むと、小出しの「補正予算」を組み、株価が下落すると「デフレ対策」と称して「公的資金による株価維持政策」や「カラ売りの規制強化」を行っている。

しかし株価が少し上昇し、米国の景気が上向き、円安で輸出が少し増え、景気にちょっと良い徴候が出てくると、小泉首相のように「次のデフレ対策は必要はない」と言い始める。今日の状況を見ているとこのようなことが今後もずっと続きそうである。実際、このような中途半端な経済運営は、小淵政権の後半から続いている。つまり小泉政権の実態は森政権の延長である。

このような中途半端な経済運営は、デフレギャップによる不況を引き延ばすだけである。その結果、日本は少しずつ国力を消耗して行くのである。さらにこのような政策が続くことが一因となって、経済の不調が続き倒産も多い。したがって銀行の不良債権は、償却するより新規の発生の方が大きいのが現状である。つまり不良債権は減るどころか、逆に増えているはずである。したがって銀行も段々と体力を無くしているのである。まさに日本経済は「スローパニック」に陥っている。



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