- 「けち」になる競争
以前、本誌01/5/14(第207号)「消費不振の分析」で登場した筆者が知っているある老人の話である。この老人は賃貸マンションを3棟と駐車所を二ケ所所有している。筆者の勝手な計算で、年収は一億円くらいと思われる。この人の夕食はたいていホカ弁と缶ビールである。つまりこの老人の収入のほとんどは、そのまま銀行に直行している。この老人のようなお金持ちが日本ではゴロゴロいるのである。大金持ちと言うよりも、そこそこの金持である。そして問題は、このような老人の貯蓄はどんどん蓄積されるが、それを使う予定が全くないと言うことである。たとえ金利がゼロでも貯蓄するのである。
昨年度の個人の貯蓄額が、不況が反映して少し減ったと報道されていたが、よく中味を見てみると、株価下落による株式と株式投信の減少によるものであり、貯蓄性の預金は依然増え続けている。この増え続ける貯蓄が、全て国内の設備投資に使われるのなら、日本の経済にとっては問題はない。しかし貯蓄が多すぎるため、とても使い切ることができない。つまりマクロ経済で見れば、日本経済は慢性的な需要不足になっているのである。これまではこの需要不足を、輸出(正確には貿易収支の黒字)と国と地方の財政赤字による財政支出で補い、どうにかバランスを取ってきたのである。
しかし米国の景気後退などの影響で輸出は減少し、逆に中国からの開発輸入(主に日本企業による)が増加しているため、国内の需給ギャップはさらに大きくなっている。とうとう9月の製造業の稼働率指数は、89.1と80台まで下落している。この指数が80台になるのは、97年度以降始めての事態である(96年度以前は指数の捉え方が異なり、比較が困難)。失業が増え、倒産が増えるのは当たり前である。つまりこの需給ギャップを埋めることができるのは、政府の財政支出しかなくなっているのである。
ところが逆に、政府は構造改革と言う財政支出の削減をこれからやろうとしているのだから信じられない。しかし今日言われている、特殊法人の民営化などは、本来の構造改革や構造の変革ではない。筆者のイメージする構造の変革とは、例えば農業国が工業国になるとか、人口の大半が地方から都会に流れると言った現象である。小泉政権の言っている構造改革の具体的な姿は、最終的に財政の支出を3兆円節減し、国債の発行額を30兆円にすることである。具体的には、地方交付金のカツトと公共事業費の1兆円の削減、そして5兆円支出されている特殊法人への補助金のうち1兆円を減額することである。
もっとも税収が当初の予想より落込むので、もっと財政支出を削減しないと、とても国債の発行を30兆円に抑えることはできないはずである。とにかくマクロ経済上ではこのような小さなことを、「構造改革」といって、マスコミや国民、そして民主党ははしゃいでいる。さらに「構造改革」とやらが行われた場合のビジョンが全く示されていない。いや「ビジョンが全く示されていない」と言うより、全くの「嘘」をビジョンとしているのである。「改革なくして景気回復はなし」と言うタイトルで経済財政白書がまとめているらしいが、このようことは絶対にあり得ない。「構造改革」を実行することによって、年率2%の経済成長が可能になると言うのである。このようなことを信じている者は「大ばか者」であり、もし分かっていながらこのようなことを言っているなら「大嘘つき」である。平気で嘘をつくようになっているところを見ると、今日の日本の政府は、戦前と同じような道を辿っている。
とにかく政治家がなさけない。石原行革担当大臣は、「第二東名はいらない」「地方に高速道路はいらない」と言っている。そして言い訳のように、「どうしても必要な道路なら全額国費を投入して造れば良い」と一見正論のようなことを言っている。しかし国費を投入して高速道路を造っていたなら、今日の半分も完成していなかったと思われる。新幹線を見れば分るように、毎年たった数百億円の予算のため、信じられないくらい長い歳月を費やしているのに完成しないのである。このような事態を回避するため、郵便貯金を使って高速道路を建設してきたのが今日までの姿である。郵便貯金を使っている関係でコストがかかる。これを補填していたのが、補助金である。
本来なら、高速道路は全額国費で建設すべきである。つまり国債を発行し、郵便貯金でこの国債を購入すれば良いのである。しかしこれだと国債の発行がどんどん増えるので、郵貯の資金を財政投融資として、これを高速道路の建設資金に使っているのである。つまりこの仕組は、高速道を早く造りたい人々と国債の発行を避けたい財政当局の妥協の産物である。そして筆者も、このシステムが一概に問題とは考えない。日本では、このような半分「ごまかし」のような方法しか採れなかったのが現実なのである。
いつの世にも「けち」な人々がいるものである。首都高も建設する時には「2車線ではなく、3車線にすべき」と言う人々がいたが、「3車線は無駄だ」と言う意見に押切られ、2車線になった。1車線を工事で潰すと、渋滞で動けなくなるのが首都高である。このように2車線での建設は失敗であり、3車線にしておくべきだったのである。おそらく当時は、2車線を主張した人々の方が「しっかりした人々」と見られたのであろう。ただ先が見えなかっただけである。
名古屋で地下鉄に乗ったことがあるが、やたら狭いのにはびっくりした。この理由を地元の人に訪ねると、「建設当時には、こんなに大勢の人が地下鉄を利用するとは思わなかった」と自嘲ぎみに答えていた。これも「けち」な人々の主張が通ったのであろう。ところが今日の世の中では「けち」な人間ほど人気がある。選挙の候補者でも「けち」なことを言う方が、国会議員や県知事に当選する。政治家も「けち」になることを競争している。
本四架橋は3本もいらなかったと言う意見があるが、筆者は違う。必要なら4本でも5でも架ければ良いのである。ただし4本目を架けるより、他に優先する公共事業があるなら、そちらを先にすべきと言うことである。だいたい本四架橋に関しては、当時どの橋を建設するかで、ものすごくもめた。もし1本だけ建設すると言うことになっていたなら、ひよっとしたなら今日でも建設されていなかったかもしれないほどであった。
3本も本四架橋を造ったから、利息も払えないひどい状況と言われている。しかし今日の超低金利の長期金利を適用すれば、金利ぐらいは払えるのである。ようするに借り換えを行えば良いのである。このことは他の財政投融資の資金を使っている特殊法人にも言える。もし低金利の借入金に借替えることができるなら、道路公団など、どれだけの莫大な黒字になるか分らないほどである。しかし財務省は借り換えを絶対に認めない。財投資金の原資となっていた当時の郵貯資金が金利の高かったからである。つまり郵貯の固定金利と言う制度上の問題もある。もっとも高金利時代の郵貯の満期が昨年・今年とあり、貯金していた国民はかなり大きな利息を手にしているのである。
最初の話に戻るが、日本には使う予定のない莫大な預貯金がある。これを国債を発行して集め、橋や道路と言った社会資本の建設を行うことがどうしていけないと言うのであろう。また大手ゼネコンが破綻しているように、建設・土木会社には仕事がない。失業者もどんどん増えている。そこで政府はどんどん大型の公共事業をゼネコンに発注すれば良いのである。
公共事業の場合、半額が前金で支払われる。今日の情勢を考慮して、ゼネコンに前金として全額を払うのである。ゼネコンは、これを銀行の借入金の返済に使う。銀行にとって借入金が順調に返済されるなら、ゼネコンに対する貸倒引当金を繰り戻すことができる。ゼネコンは信用不安がなくなり株価が上昇する。一方、銀行も不良債権が減ることによって株価が上昇する。ようするに政府の決断一つで日本経済は再生することが可能なのである。
ところが今日の日本は全く逆の方向に走っているのである。「けち」な政治家が、何のビジョンもないくせに「けち」なことを主張している。そしてこれが国民の人気を博しているのである。また「このような会社が危ない。これらを整理することが日本経済の再生になる」と、30社ほどのリストを持って回っている日銀出身の「大ばか」エコノミストもいる。
- 特殊法人の問題の論点
個別の特殊法人についてちょっと述べる。まず住宅金融公庫である。5年で廃止と言う方針である。ところで昔は、住宅融資と言えば、住宅金融公庫の融資と年金事業団の年金融資しかなかった。民間の銀行は、「そんなちまちました融資は行わない」と言う方針であった。銀行がようやく住宅融資を手掛けるようになったのは、70年代の半ば頃からである。それも自前ではなく、住宅金融専門会社、つまり住専と言う出資会社を設立し、これに任せていたのである。銀行が住宅融資を本格的に行うようになるのはもっと後のことである。
銀行が、住宅融資が収益的に有利であり、貸倒が比較的少ないと気が付いたのは、バブル期前後である。ちょうど大企業が証券市場から直接資金を調達することが普通になり、銀行からの借入に依存しなくなった頃である。なんと銀行は、自分達が出資した住専と言う住宅融資会社が有りながら、自ら住宅金融に力を入れ始めたのである。銀行の住宅金融への進出は、住専と競合することになる。そして銀行から資金を借入れている住専にとって、不利な競争を強いられることになった。結果的には、住専はよりリスクの大きい不動産融資にのめり込むことになった。銀行に追込まれたと言った方が正確かもしれない。住専の末路は哀れであったが、これを演出したのも出資したはずの銀行である。
小泉首相は簡単に「民間ができることは民間がやるべき」と言っているが、どれだけこれまでの経緯や実状を把握しているか疑問である。まるで住宅金融公庫がこれまで、銀行に住宅融資を行わせないことをやってきた犯罪者のような印象を与えるような言動を行っている。銀行も過去の経緯があるため、決して住宅金融公庫が問題と言っていないはずである。
筆者は、住宅金融公庫をどうするかと言うより、まず今後国としてどのように住宅政策に関わっていくかが問題と考える。廃止するかどうかはその議論の中で検討することである。どの国でも政府には住宅政策と言うものがある。日本の場合は、住宅金融公庫を廃止した後のビジョンが全くないのである。
少なくとも、日本の場合は、住宅の建築と言った場合、住宅金融公庫の融資がシステムに組み込まれている。企業や不動産会社も住宅金融公庫の融資の斡旋を前提に住宅の持ち家制度の推進や住宅の販売を行っている。おそらくこれがなくなれば、住宅の建設にかなりの支障が出ると筆者は考える。だいたい住宅融資は民間の銀行ができると言っても、20年後、30年後まで無事と言い切れる銀行がいくつあるのかが今日の問題である。
小泉首相が掲げる「構造改革」が話として進まなかった原因の一つは、首相の側に付いて改革を推進している人々が、現状をよく知らないと言うことを指摘できる。彼等の多くはメディアの上での有名人である。はっきり言えば「素人」である。「自民党の族議員と官僚の抵抗が改革を妨げている」と言うことになっているが、改革を推進している人々の知識があまりにも乏しいからと筆者は見ている。道路公団の問題でも「50年だ」「いや30年だ」と主張し合っている。しかしどれだけ噛み合った深い議論がなされているか疑問である。それにしても試算に用いられている金利が異常に高く、現実離れしていることを、誰も指摘しないとは一体どう言うことであろうか。
また石油公団では、改革を推進している人々が「石油開発会社の数が多すぎる」と文句をつけている。たしかに100社を越える会社の数は多すぎるような気がする。しかし石油公団と共同出資して、油田の開発を行っている商社や石油会社の立場から眺めると別の風景が見える。そもそも石油開発はリスクを伴うものである。民間だけでこのリスクの負担できないと言う事情がある。そして国策として安定したエネルギーの確保と言う観点から、国が油田開発のリスクの一部を負担すると言うのが石油公団設立の主旨である。
つまり石油公団が出資しているほとんどの石油開発会社は、民間の会社との共同出資になっている。ところで油田の開発はほとんどが失敗に終わる。たとえ石油やガスが出ても、商業ベースに乗らないケースが多いのである。これはある意味ではしょうがないことである。
そして次の問題は出資した民間の企業の方に発生する。民間としては、失敗した石油開発への出資金を早く税務上の損金としたいのである。ところが税務当局は、開発に失敗しただけでは簡単に損金計上を認めない。会社自体を清算しなければ認めないのが普通である。そこでもし石油開発会社を統合すれば、ますます損金への計上が遅れることになるのである。極端に言えば、筆者は、出資している民間会社は、「できることなら試掘井一本ごとに会社を設立してもらいたい」とまで思っていると想像する。つまり一本の試掘が失敗と分れば、すぐに会社を清算し、出資金を損金計上できるのである。石油開発会社の数が多いのも、投資有価証券の償却と言った税務上の問題がからんでいると筆者は見ている。
このように改革を推進している人々が色々言っているが、どこまで現状を把握しているのか疑問である。何か彼等の「週刊誌」レベルの発言がいやに目立つのである。これでは論議が進まないのが当然である。筆者は、実際のところ、彼等が「色々と勉強になりました」と最後に言っているとしか考えられないのである。
ところで筆者は、特殊法人に全く問題がないと言っているわけではない。そもそも特殊法人の一部は、昔は各省庁に属していたのである。これを過去の行政改革で「現業部門は外部に独立させよ」と言うことで、これを行う特殊法人を設立させたのである。しかしこれが裏目に出ているケースが実に多いのである。所管の官庁でさえがコントロールできない状態ではないかと想像する。今、「民営化」「独立法人」とか言われているが、筆者は、いくつかの特殊法人は、むしろ一旦、元の省庁に戻した方が良いのではないかと考える。
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