- 排除の論理
何ヶ月か前、小泉首相は、日産のカルロス・ゴーン氏と対談を行った。カルロス・ゴーン社長のもとで日産が蘇ったと言うことが、日本経済の再生の参考になると首相は考えたのであろう。対談の結果、首相は大変役立つ話を聞いたと満足していたと報道されている。筆者の考えでは、この首相の発言は決して「お世辞」ではなさそうである。本当に日産の同じやり方で日本経済は回復すると思っている可能性が強い。
世間で言われているほど日産自動車の体質が飛躍的に良くなったとは考えにくいが、一頃に比べれば収益力は向上していると思われる。しかしこれも報道されていることであるが、日産の飛躍的な決算数字の良化には裏がある。日産の再建計画である「リバイバルプラン」の実行される前の期の決算数字を意識的に悪くしている。翌期以降に発生するであろう損失を最大限見積もり、引当を行っていたのである。これは「リバイバルプラン」の成果が、大きくてインパクトのあるものにするためである。したがって逆に翌期必要でなかった損失の引当は繰り戻し益となって、利益がかさ上げされている。
夫々の大企業の再建計画と言うものには、大きな違いはない。不採算部門の縮小や流通経路の簡素化、さらに仕入れの見直しなどである。日産の「リバイバルプラン」も基本的にはこのような手法を踏襲している。もっと端的に言えば、これまで甘かった経営を厳しくして、経費を大幅に削減したのである。この結果、たしかに日産本体の人員の削減は最小限に抑えられたかもしれないが、下請企業がその分しわ寄せを受けている。中には納入価格を引下げられず、取引を切られた下請企業もあるはずである。つまり下請では大幅な人員削減が行われている可能性がある。
企業がこのような生残りをかけた合理化に努めることは避けられない。たしかに以前は、企業の社会的責任と言うことを意識し、人員に手を付けないと言うことを、なんとなく不文律として経営者はわきまえていた。また自社のOBが出向していていたり、株式を持合っている下請企業からは、ある程度の価格で部品を買うことが普通と考えられていた。しかしこれだけ不況が長引き、円高が続けば、経営者も自分の企業の存続を第一に考えざるを得ない状況になっている。考えられるあらゆる合理化を実行せざるを得ないのである。
もっとも日産の「リバイバルプラン」は、単に合理化だけではなく、製品の開発力のアップによる競争力の回復も狙いの一つである。しかしこちらの方は、まだはっきりとした成果を上げていないと言うのが筆者の感想である。今のところ「リバイバルプラン」の実績は、経費の削減による収益力の回復と言う印象である。
企業の経営と政府の運営は共通点が多い。両者は組織で機能している。収入より支出が上回れば、借入を行う。さらに今日両者とも、効率的な経営や運営が求められている。企業の経営者の中には、自分達の合理的な経営手法を引合に、政府の運営を非効率と非難する者もいる。このような状況では、小泉首相がカルロス・ゴーン社長に「リバイバルプラン」の話を聞きたくなるのは解る。
しかし両者では、決定的な違いがある。民間企業は「排除の論理」で行動できるのに対して、政府はこれができない。民間は不採算部門を切り捨てる。また要求する納入価格を実現できない部品メーカとの取引を止めることができる。コストを考え、生産部門を海外に移転することもある。まさに「排除の論理」である。
一方、政府は、機能の効率だけを考えるわけには行かない。政府には「社会の安定とか安定的な市民生活の保障」と言ったもう一つの重要な働きが求められる。しかし実際、今日の日本では、社会に失業者が溢れ、破産する人や自殺する人が多い。つまり今日の日本の社会は決して安定的な良い社会とは言えない。
特に民間企業が「排除の論理」で行動した場合には、はじき出される人々がそれだけ多くなるはずである。どの企業もリストラを急いでいる。つまりそれだけ政府が「排除の論理」ではじき出された人々の面倒を見る必要が大きくなっている。しかし今の政府がこれを重大な問題と考えているとはとても考えられない。だいたい小泉首相自身が「失業の多くは求人者と求職者のミスマッチ」と言う認識である。つまり「失業は失業者本人の問題」と考えているのである。
たしかに政府関係者や改革を唱える経済学者も頻繁に「セーフティネット(筆者の最も嫌いな言葉の一つ)」が必要と言っている。しかしこれはあくまでも口先だけであり、真剣に考えているとはとても考えられない。また何ら具体的なアイディアがある訳ではない。むしろ彼等の本音は民間の「排除の論理」ではじき出された人々は、「世の中から静かに消えてくれ」と願っているとしか考えられない。しかしこれらの人々は簡単には世の中から消えない。そしてこのような人々が増えれば、社会不安が大きくなるのは当り前である。そのうち犯罪が増えたり、公園で寝泊まりする人の数も増えるのである。
残念ながら、現在の日本経済の活動レベルでは、民間部門は明らかに人員が多すぎる。したがって民間が人員の削減を行っている。ところが本来これらの人々の受け皿となるべき政府部門までが、「改革」と言う名の合理化を進めると言うのであるから信じられない。 今日の経済状況で、カルロス・ゴーン社長から民間の合理化の話を聞き、「参考になった」と言っている小泉首相と言う人物は「根っからの経済オンチ」である。これは前から言っているが、そもそもこの人物は政治家に向いていない。どうも政治家に向いていない政治家ほど人気があるのが今日の日本のようである。
- 為替変動の罠
国の経済力の源泉は民間企業の競争力であると言う考えがある。これに従えば一つ一つの企業が、各々の競争力を高めることによって、国力も増すと言う考えである。つまり全ての企業が日産の「リバイバルプラン」のような合理化を進めれば、日本は不況からも脱出できると言う考えである。たしかに日経新聞を開けば同様の意見で溢れている。しかしこれは本当であろうか。
筆者は、これは為替が変動しない場合だけに適合する論理と考える。日本の国内には生産力に見合った十分な需要がない。したがって多くの余った生産物を輸出することになる。日本の全ての企業が合理化すれば、輸出競争力が強くなり、日本の貿易黒字は大きくなる。この結果、そのうち為替が円高になり、各企業の合理化の努力は「元の木阿弥」となる(もっとも現実の為替の変動には資本の移動や旅行収支なども関係してくる。しかしやはり為替の長期のトレンドは貿易収支を中心とした経常収支と考える)。これは30年以上も繰返してきたパターンである。そして360円の為替レートがとうとう3倍の120円になってしまったのが今日である。
日産と言う一企業が合理化に努め、競争力を高めることはその企業にとって必要なことである。この場合、日産と一企業にとっては、為替レートは所与の(自分では操作できず、外部的に決まる)ものである。つまり為替レートは一定であるため、合理化の努力を行えば、それだけ収益は上がることになる。しかし日本の全て企業が日産と同様の合理化に走れば話は別である。結果的に為替が円高となり、全ての企業の収益は元の水準に戻るのである。この話をもっと正確に説明すれば、合理化を平均より進めた企業は収益が増え、平均以下の企業は合理化を行ったにもかかわらず収益は減ることになる。
しかしこれまでの限り無く続く円高は日産にとって荷が重かった。ちなみにフランスのフランは昔60円くらいであった。ところが今日1フランは15円くらいである。つまり四分の一になったのである。もし固定相場制のままなら、日産がルノーから出資を受けるのではなく、反対にルノーに出資する立場だったかもしれない。そして筆者は、日産がフランスの自動車メーカに負けたのではなく、トヨタや本田に負けた(考え方によればソニーに負けたとも言える)と考える。つまり日産は日本国内の輸出企業との競争に負けたのである。これが変動相場制の恐いところである。 さらに変動相場制の意味するところは、同様に日本の農業もこれらの有力輸出企業と競争していることになる。つまり輸出企業が頑張れば頑張るほど、為替は円高になり、輸入農産物との競争が不利になるのである。
よく国内向けの産業の生産性が問題になる。たとえば電力料金である。これが安くなったら、日本の企業の国際競争力は強くなると言う話である。しかしかりに電力料金が安くなっても、全ての企業のコストが下がるのだから、その分為替がいずれ円高になり、結果的には国際競争力は変わらないことになる。
不景気になるとどう言う訳か「清貧の思想」と言うものがはやる。よく話題になるのが上杉鷹山(ようざん)である。この人物は江戸時代の米沢藩の名君である。上杉鷹山が藩主になった当時、米沢藩は破滅的な財政の赤字を抱えていた。藩の経済も、うち続く飢饉で疲弊していた。さらに家老グループが藩の政権を実質的に長期に渡り支配していた。彼等は私腹を肥やすことに奔走し、農民達の不満も頂点に達していた。
鷹山がまず行ったことは、これらの家老グループの更迭と藩の支出の徹底した削減である。そして次が殖産興業である。具体的な一例は不耕作地での農作物の耕作の奨励である。また国産品(藩の産出品)の消費を奨励した。しかし一番力を入れたのは商品作物の生産の奨励である。漆(うるし)・楮(こうぞ)・養蚕などである。特に養蚕では生糸を作るだけでなく、技術を他から入れ、これを使って最終製品である「召し物」まで作るようにした。
鷹山の改革は、財政支出を削減しただけでなく、殖産興業によって藩のGDPを増やし、藩の財政再建を実現した。まさに今日の日本経済に必要な改革がこれだと思う人も多いはずである。おそらく小泉首相も上杉鷹山の熱烈なファンと想像される。日本も米沢藩同じ改革を行えば、きっと財政の再建と景気回復を同時に達成されるはずと考えているのである。
米沢藩の改革の特徴の一つは、デフレ経済下で、さらに財政支出を削減したことである。当然、藩内の有効需要は大幅に不足する。この需要不足を補うのが、商品作物の生産とこれらの他藩への販売である。藩を一つの国と見なせば、これは他国への輸出である。つまり米沢藩の経済は輸出依存型である。まさに今日までの日本経済の姿そのものである。
ところで良く考えてみると、米沢藩が経済の立直しに成功したのは、米沢藩の製品を買ってくれた藩(国)があったからである(その分その藩は貧乏になっている)。たしかに米沢藩の製品の品質が良く、価格も安いかったならば、売行きも良かったはずである。したがってどんどん輸出を伸ばし、藩の経済を良くすることも可能だったのである。
しかし今日輸出をどんどん伸ばすには、大きな問題に直面する。為替の変動である。輸出超過国の為替は高くなり、輸入超過国の為替は安くなる。つまり為替は動いて、輸出国と輸入国の夫々の貿易収支が片寄らないように機能する。したがって今日のような変動相場制の元では無制限に輸出を伸ばすと言うことはできない(中国のように為替を操作すれば別であるが)。
一方、米沢藩がどんどん製品を他藩に輸出できたのは、為替が安定していたからである。江戸時代の日本は銀本位制(当時は金ではなく銀であったと記憶する)であった。実質的に日本中単一為替の固定相場制である。どれだけ製品を輸出しても為替レートは変わらないと言う恵まれた状況にあったのである。このように輸出主導で景気を良くし、藩の財政も再建することは、為替レートが変わらない、つまり固定相場制の時にだけ可能な手法なのである。
今日のような需要が大幅に不足している日本経済では、個々の企業が合理化を進めたり、個々の自治体が頑張っても、全体の経済はどうしようもない。むしろしばしば「合成の誤謬」と言う言葉で表現されるように、かえってこれらの努力が日本経済にとって、さらなるデフレ圧力となる。そしてこの場合には、政府が最終的に財政を出動して、民間企業の合理化で発生する失業を解決する立場にいるはずである。ところがその政府までもが、改革と言う名の合理化を進めようとしている。上述したように筆者には信じられない事態が進行しているのである。
個々の民間企業が一斉に合理化して競争力を向上しても、日本全体の経済は良くならない。そのカギとなっているのが為替の変動である。今日、政府・日銀は現在かなり大きな為替介入を行って、円高を阻止している。しかしこれは短期的な政策である。むしろ介入資金によって買った外国の債券に利息が付き、これが将来の円高圧力となって返ってくるのである。そして筆者の結論は、政府に求められるているものは大きな財政支出による内需拡大策である。日銀のさらなる金融緩和策だけでは、いかにも弱い。
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