- こんにちの「経済現象」を語る場合、「投機」について触れないわけには行かない。バブル期における土地投機とその後の「逆資産効果」や金融機関の大量の不良資産問題、また2年前には投機筋の円買いにより為替はオ-バシュ-トとなり、一時的には80円を超える水準にも達した。このように投機資金の動きにより、実体経済が影響を受ける度合が近年大きくなっている。
経済発展もある程度の段階に達し、新たに投資する機会が乏しくなった場合、資金はさまざまな所に「利」を求め、移動することになる。そして、それを操る人間が未熟の場合は、資金が迷走することとになり、実体の経済も、それでとんでもない迷惑を受けることがある。だから「投機」と言うものと縁がなくとも、「投機」について考えることは、それなりに意味のあることである。 まず、「投機」と「投資」について考える。両者の間には厳密な違いはない。強いて言えば「投機」の方が「投資」よりリスクが大きいが、当れば利益も大きいと言うことであろうか。一方、「投資」にもリスクが全くないと言うこともない。ただリスクに関しては、資金を運用を行う人によって見方は異なる。第三者から見れば、無謀に思われる資金の運用でも、当人にとってははっきっりとした勝算がある場合もある。 しかし「投機」と言うものに対しては、世間の見方は冷たい。市場を混乱させ、最後には実体経済にも悪影響を及ぼすと言うのである。たしかに、物によっては実体と大きくかけ離れた取り引きが公然と行われているケ-スがある。バブル期の「土地」や「絵画」なんかはこれに当るかもしれない。ただ、筆者はこれらと「投機」とは一線を画したい気はある。バブル期の「土地」や「絵画」は「投機」を超えたもので、むしろ「無茶」と言うべきと考えている。これは経済の観念を超えた物であり、ここまで来るともはや市場には自律的な調整力は働かなくなる。ただこのような現象が市場には付きまとうことは覚悟しなければいけない。 とにかく「投機」と言うものは評判が悪い。「投機」の「性悪説」である。なぜこうなるのか、「市場」そのものと、その市場の「参加者」にまつわる問題点を述べながら、考えてみたい。
- 世の中には、あらゆる「市場」がある。土地の市場や金融市場もその一つである。自由主義経済では市場がうまく機能すれば、これにより最も効率的な資源の配分が行われることになる。しかし、このような市場が成立するためには次のような条件がある。
- 市場は完全競争であること、つまり多数の参加者がおり、だれも価格を恣意的に左右できない。そして、市場で決まった一つの価格で取り引きを行う。
- 情報に片寄りがない。
前者については、市場が必ずしも完全に競争的ではないと言う前提で、「独禁法」があり、株式市場には株価操作を禁止する法律がある。その他、「公正な取り引き」を担保する法律はあるが、完全ではない。反対に競争を妨げるような「規制」が多くあるのも事実である。 後者については、むしろ情報の偏在があるのが普通である。たしかに「株式市場」にはインサイダ-取り引きを防止する法律はあるが、とても完全とは言えないであろう。 つまり、「市場」そのものが理想的とは言えないのが現状である。このような「市場」の不完全なところに着目した資金の流れも十分考えられるのだ。近い例としては、ダイヤモンドの市場や未公開株式などがあろる。 話が拡散するので、以下で述べる「市場」を「為替」「株式」「土地」に絞りたい。
- 「市場」そのものの性質も考える必要がある。「物」は「需要」が増えれば「価格」が上昇し、「価格」が上昇すれば「供給」が増え、結局適当なところに「需要・供給・価格」が決まると言った「市場」の一般的な価格メカニズムの働きがある。しかし、「土地」のように再生産が容易でないものについては、需要が増え、価格が上昇してもなかなか供給が増えない「財」もある。このような物に資金が流れた場合には、価格だけがドンドン上昇し、市場の価格メカニズムが働かないのである。
このよう市場のメカニズムを視覚的に説明する。ボウル(水を入れる容器)の底の真ん中に一個のビ-玉を置き、それに軽いショックを与える。ビ-玉は揺れながら動くが、最後には真ん中で止まることになる。つまり、均衡値から一旦はずれても、市場の働きにより、再び均衡値に落ち着こうと言う力が働くのである。 次にボウルをひっくり返し、そのてっぺんにビ-玉を置き、それに軽いショックを与える。今度は、ビ-玉が加速度をつけて均衡値から離れて行くことになる。つまり、乖離が乖離を生む状態になるのである。このような市場は不均衡な市場である。バブル期の地価は丁度このようなかたちで上昇していったのである。一旦このようになってしまったら、市場はもはや修復する力を失うのであり、最後には市場の崩壊を向かえることになる。 この現象は「為替市場」でも起こりうる。冒頭で述べた110円を超えた場合のプログラムによる円買い・ドル売りの例である。円が高くなれば、さらに円を買うのと言うのだから、一旦この動きが起これば、市場が崩壊するまで続く可能性がある。つまり市場の価格メカニズムが働かないのである。このような場合には政府・日銀の介入が必要になるのも止むを得ない。
- 市場が不均衡な状態になるには、市場参加者の行動も影響している。価格の動きに対して同じ行動を行う場合、つまり価格が上がればさらに買うと言う場合と、反対に価格が上がれば売りに回ると言う場合がある。前者が「順バリ」であり、後者が「逆バリ」である。市場参加者が「順バリ」を行う者だけの場合は市場は極めて不安定になる。
日本に「投機」と言った場合はだいたい買い投機である。土地にしても株にしても、投機と言った場合、買い方の一方通行である。 これには市場関係者の利害も関係しており、多くの場合その利害は買い方と一致する。証券会社は株価が上昇した方が手数料が増える。土地についても同じである。不動産会社や不動産鑑定士も地価が上昇した方が手数料が増え、ハッピ-なのである。
- 市場参加者の経験も重要である。相場の変換点を経験したことがない市場参加者が多い場合には相場が行きすぎることがよくある。「土地」は一旦売れなくなるとまつたく売れなくなるものである。今回の土地バブルも、前回のオイルショク後の土地の暴落を経験していない者が主体で取り引きを行えば、とんでもないことになると言う教訓である。
市場が無限に大きいと言う誤解もある。一方的な取り引きを行うと、そんなに大きな取り引きでなくとも市場が短期間に消化しきれない場合がある。 これもバブル期の話である。夏場のある日突然、建設株が軒並み大幅に下落したことがあった。「内需拡大」と言うことで、それまで建設株が買われており、かなり高くなっていた。後日、その原因らしいことが新聞で報道された。それによると「ある一人のファンドマネ-ジャ-が夏休みをとる前に手持ちの建設株を成り行きで売り出した」ことが原因と言うことであった。そのころは株式市場も活況を呈し、連日10億株以上の出来高を記録するほどであったのにもかかわらず、たった一人のファンドマネ-ジャ-の持ち株さえうまく消化できなかったのである。このような現実を考慮すれば、資金を「株式市場」で運用するにしても、社運をかけるような大きな金額の運用は考えものであろう。
- 「市場」が円滑に機能するためには「投機」と言うものが必要と筆者は考えている。ただし、特に日本においては、「投機」と言うものが一方的になりがちであることを指摘したい。買い投機があっても、反対の売り投機がないか、もしくは不足するのが普通である。これでは適正に市場価格は決定されない。つまり、筆者の結論は「投機そのものは善悪を問うものではない」と言うことである。
前述の「市場関係者は売りを嫌う」と言うことの他に、売り方には制度も完備していない。株式の場合、現物を持たないときは「カラ売り」をすることになるが、これにはかなりの保証金が必要になる。「土地」の場合はもっと深刻である。土地がたやすく増産(再生産)できるものではないうえに、「売り」の際には現物を持っていなければ事実上無理である。地価が一旦上がり始めたら、とんでもない値段をつけるのもこのせいである。 最近売り出された「旧国鉄の用地」は、バブル期に売り出すのを延期していたものである。これについては色々議論がある。土地についても「市場原理」を信じる人は、これを売り出すことによって「土地供給」を増し、地価を沈静化させることができたと考えていた。しかし、当局は「土地の売り出し」が土地投機に拍車をかけるとして延期したのである。筆者はどちらかと言えば後者の考えに賛成である。一旦市場が不均衡な状態になった場合は、多少の供給がかえって市場を刺激することになるからである。(たしかに資金面から見れば、土地を売り出すことにより、ある程度の資金を固定化できると思われが、当時の土地関連の全体の流通資金は桁違いに大きなものであり、この効果は限られていたと考えられる) 今後、「土地」についても「証券化」が進み、その「流通市場」ができ、それが機能するようになれば、話は少し違ってくるかもしれない。
- 「投機」を考える場合、「会社組織」と言うものを考慮することが必要である。特に日本ではこれが重要である。ファンドマネ-ジャ-やディ-ラ-も会社員、つまりサラリ-マンである。サラリ-マンである以上、会社の方針やコンセンサスと言うものから大きく離れた資金運用はできない(好まない場合もある)。これが市場の動きが一方的に成りやすい大きな要因である。
一旦「買い」と言う「空気」ができると、ずっと買うばかりである。実際、買えばまた上がるのでまた買うと言うことになる。いわゆる「順バリ」である。事実、相場が上げ基調の時に売りに回るの(逆バリ)は組織人にとって勇気が必要なことである。このように機関投資家の資金運用が増えるほど、極端な相場展開となる。市場の動きに逆行する「投機」が大きく不足するからである。 最近の為替の動きが良い例である。「円安」が進む局面では「金利差」があるからとドルを買う一方であった。つまり「金利差はドル買い」と言うコンセンサスが組織内ででき上がっていたのだ。ところが直近では「経常黒字」や「要人の発言」に基準は変わってきているようだ。今度は、これらがコンセンサスになるのである。運用も、いつもうまく行くとは限らない。資金運用の担当者は個人にふりかかってくるリスクを嫌うものであり、このため他の者と同じような形での運用を好むことになる。 金融ビックバンが始まれば、このような市場で運用される資金が増えることが予想されている。しかし、このような状態で、はたして、百戦練磨の欧米の投資家と伍してやっていけるか疑問である。 今週号の「市場と投機」と言うテ-マは大きいものであり、またそのうち述べたい。
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