平成9年2月10日より
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01/4/16(第204号)
グリーンスパンのかかった二つ目の「罠」
  • 米国流の生産性
    先週号で「ニューエコノミー」と言う言葉の使われ方が、昔と違ってきたと言う話をした。最近では、「生産性」と言う言葉の使われ方がおかしい。マスコミに登場するエコノミストが、一斉に「生産性の低い産業、あるいは生産性の向上しない産業は退出させるべき」と発言し始めた。とにかくはっきりと定義がなされていない言葉の使い方には注意が必要である。本誌でも97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」で生産性の捉え方がいかに難しいかを指摘した。

    少なくとも、筆者は「生産性」と言う言葉を、どれだけ効率的、あるいは能率的に仕事や生産がなされているかと言う意味で捉えている。しかし最近、この「生産性」を問題にする人々は違った意味で使っているようである。
    この生産性について取上げているは、文芸春秋の4月号のジャーナリスト東谷暁氏の「IT革命なんて幻想だった」と言う文章である。

    東谷氏によれば、「生産性の伸び」がさかんに強調され始めたのは、米国商務省の99年のリポートからと言うことである。これによると米国の労働生産性が伸びていたことになっている。この場合の労働生産性とはGDPを労働人口で割った値である。しかし筆者は、労働生産性が伸びたからGDPが増え、つまり経済が成長したのか、それともGDPが増えたから、労働生産性が伸びたのか分らないといつも思うのである。しかしとりあえず、しばらくは米国流の捉え方で、この生産性について話を進める。

    またグリーンスパン議長も同様に生産性の調査を行っている。あれだけバブルの発生に神経質だった議長が発言を変えた頃である。90年代の好景気を説明する方法として、この生産性の上昇と言う話に乗ったのである。しかしこの話に懐疑的なサマーズ財務副長官から「あなたは生産性の上昇を証明できるのか」と問われ、大規模な調査に着手することになったのである。この調査の結果、米国の生産性は急速に上昇していたと言う結論になった。このように多くの米国人は「IT革命によって労働生産性が上がり、景気は永遠に上昇する」と言う錯覚に陥ったのである。

    東谷氏によれば、まずこれらの調査方法に問題があり、生産性の伸び率が実際より大きく出ていると指摘している。そして最大の問題は、特定の分野の生産性の伸びが突出していることである。つまりIT産業である。もっと正確に言えば、まさにインターネットのインフラを提供している企業群である。95年〜99年のコンピュータ製造業の年間生産性伸び率の平均は実に41.7%であった。

    ところで元々はコンピュータ製造業のGDPに占める割合はわずか1.2%にすぎなかった。そして大きな問題は、IT産業以外の生産性は、意外にもわずかであるがマイナスになっていたことである。つまりITの使用産業の生産性は上昇していなかったのである。この事実は、我々がほとんどのエコノミストから聞いていたことと反対である。日本のエコノミストからは、「米国の企業はIT化による、在庫管理などの合理化が進み、生産性が向上している。これによって持続的な成長を実現している。」と何度も聞かされていた。しかしこれが真っ赤の「嘘」だったと言うことである。


    ところでここまでの「生産性」と言う言葉の使い方自体が、筆者のような日本人にはしっくりこないのである。どうしても筆者などは生産性を「効率化」とか「合理化」の度合と捉えてしまう。まず米国流の生産性の概念はこれらとは違うと言うことを理解することが最初である。

    どうも米国流の生産性は、粗利を労働人口で割り返して求めているようである。しかしこのような手法で生産性を算出した場合、我々日本人には違和感を覚えるケースがあり得る。
    ある企業の製品が突然売れ出し、粗利が急激に増えた場合、米国流では、この企業の生産性が伸びたことになる。たとえば「ココア」が体に良いとテレビに取上げられ、突然「ココア」が売れ出し、「ココアメーカー」が儲かった場合を考える。はたしてこのような場合、日本では生産性が伸びたから「ココアメーカー」が儲かったと言うだろうか。筆者の感覚では、「ココアメーカー」の生産性は以前と同じはずである。ところが米国流では、まさしく「ココアメーカー」の生産性は伸びたことになるのである。

    つまり米国流の生産性は、労働人口一人当りの粗利の増加であり、要するに「儲かったかどうか」と読み変えれば良いのである。ある業界の生産性が伸びたと言うことは、この業界が儲かったと言うことである。ためしにここまでの文章を読み返していただけばご理解できるはずである。

    たしかに米国流の生産性の概念は、筆者のような生産性の概念を含んではいる。他の条件が同じ状態で、企業が「効率化」とか「合理化」に努め、筆者流の生産性の向上を実現した場合には、粗利も増え、企業の儲けも大きくなる。筆者などが考える生産性の上昇によって、米国流の生産性も上昇が実現するのである。しかしここで大きな問題にぶつかる。ある業界がリストラや作業工法の改良で、筆者流の生産性が向上しても、その間に売値がそれ以上に下落した場合には、儲けは逆に小さくなり、米国流の生産性は下降していることになることである。


  • ITに係わる架空の話
    話は米国の生産性の話に戻る。米国商務省やグリーンスパン議長が行った調査を詳細に見ると、生産性が上昇した(儲かった)のはIT業界だけであった。ところがグリーンスパン議長はITへの投資が、全産業の生産性を高め、持続的な米国の経済成長が可能と思った可能性が強い。そして当時の株価の高騰も、バブルではなく、合理的に説明がつくものと考えた(正確に表現すると、考えたかったと思われる)。これがグリーンスパン議長がかかった「二つ目の罠」である。

    しかしインターネットを使ったネットビジネスが儲からなかっただけでなく、ITを導入した企業も儲からなかった。つまりブームでIT化を進めた企業も経費倒れになっていたと考えられる。したがってブームが一巡した後は、ITへの需要が激減した可能性が強い。もし反対に、IT導入が企業に利益をもたらすものだったら、IT関連投資もどんどん増え、米国の景気はまだまだ拡大していた可能性はある。

    たしかにここ1,2年、日本の経済学者は「米国はIT化で生産性の上昇を実現させ、持続的な経済成長を続けている。日本も通信を米国並に規制を緩和を実現させ、IT化を実現させるべきである。今必要な政策は財政再建に反する財政支出の増加ではなく、規制緩和だ」と主張していた。そして彼等は「日本の経済が成長しないのは、NTTのせいだ」とまで言っていたのである。つまりこれらの学者は、これらの調査の極めて表面的な解説を聞きかじって、我々に架空の話をしていただけである。したがって米国のITが大きなブームで終わる可能性があることに、全く気がつかなかったのである。

    このような主張をしていた「IT革命論者」の一人である竹中平蔵慶大教授は、最近「いわば世界が初めて「デジタル・リセッション(景気後退)」を経験することを意味している。デジタル・リセッションがどのようなものになるのか、誰にもわかっていない」とぬけぬけ言っている。つまりこの手の経済学者の特技は、自分の主張していたことをいとも簡単に忘れたふりをすることである。

    筆者も、この「ITの導入による生産性の上昇」と言う話はよく理解できなかった。まず米国流の生産性について誤解していたこともその一つの理由ではある。「ITの導入」と言っても、実態は業務の電算化と通信を使ったネットワークの構築である。ほとんどの大きな企業は、だいたい業務上の関係先とは専用線などでネットワークを既に構築しているはずである。かりにこれをインターネットに置換えても、それほど画期的なことではない。

    さらに業務の電算化については、メリットのある分野は85年頃までには終わっていたはずである。15年も前の話である。売上・請求書・売掛金管理、給与計算、経理、在庫管理などのシステムである。これらのシステム群は、だいたいは「コボル」と言う言語で書かれており、2,000年問題でのメンテナンスで注目された。それ以降は、分散処理などに伴うメンテナンスなどはあったかもしれないが、省力化、つまり生産性の向上を目的とした大きな開発はほとんどなかったはずである。おそらく銀行の第3次オンラインシステムが最後の大きなシステム開発であったかと思われる。

    したがって「ITの導入による生産性の上昇」と言う話を聞いた時、筆者はちょっととまどった。米国のシステム化がそんなに遅れていたのかと思ったのである。しかし今回東谷暁氏の文章を読んで、この疑問は氷解した。「生産性」と言う言葉の日米の解釈の違いである。同じ「生産性」と言っても、日本の場合はプロセスにも重点を置くのに対して、米国流の捉え方は、あくまでも結果である。たしかに米国流の生産性の考え方も重要であり、使い道は他にある。

    訳のわからない経済学者が、毎日「生産性の低い産業の淘汰を進めることが日本経済の再生の道」と叫んでいる。しかし今日の日本のようなデフレ経済では、「生産性」の高い、つまり儲かる(米国流の生産性の高い)商売がそうそう簡単に見つかるはずがない。日本流の生産性の向上に努めても、売価がそれ以上のスピードで下落しているのである。期待されていた「IT革命」も色褪せた存在になっている。筆者も、本誌で「IT」はおまけであり、景気対策は別に考えるべきとずっと主張してきたはずである。筆者は、「IT」については、まだまだ可能性を秘めており、将来の発展も予想されるが、現状では過度の期待をすべきではないと考えている。

    たしかにこのデフレ経済の中でも儲かる(米国流の生産性の高い)商売はある。たとえば合法か違法かスレスレの商売である。またこのまでの取引先との「しがらみ」を断ち切って、仕入先を極端に人件費の安い国、たとえば中国に変えることも考えられる。これまでの仕入れ先から技術者を引っこ抜いて中国に技術を移転させれば、日本と同じ製品をべらぼうに安く製造することができる。日本米の種子を海外に持出し、生産費の安い国で日本米を生産することも可能である。権利意識の薄い日本の企業は、指をくわえて見ているばかりである。しかしここまで来ると、経済の問題と言うより、日本における社会のあり方の問題になる。



来週号では、米国政府がなぜ「生産性の上昇」と言う話に飛びついたかについて述べる。


自民党の総裁選も近づき、候補者も出揃った。一番有力と言われる橋本氏については、筆者はもうコメントをしたくない。ところで各候補は政策を打出している。筆者が共感できるのは、亀井氏・麻生氏である。ただし亀井氏が、総裁選で訴えている政策には多少疑問がある。消費税の減税などは、ほとんど効果はない。所得税や相続税の減税にいたっては、話にならない。減税を言うなら印紙税である。もっと財政出動に重点を置くべきである。なにか「減税」と言うとマスコミを意識しているのではないかと勘ぐられる。もっとも直近では減税についてトーンダウンをしているが。

問題は小泉氏である。同氏については、以前本誌で取上げたことがあるように、元々権力指向の強い人物である(政治家は誰しも権力指向の強いが、特に強いと言う話である)。このようなこともあってか氏は、昔、大蔵政務次官になることにこだわった。政務次官になる時期が遅れても良いと言うほどにこのポストに固執したのである。当時の大蔵省は「官庁の中の官庁」と言われていたように、影響力が別格であった。そして大蔵省と郵政省は仲が悪い。大蔵省は民間の金融機関を管轄しており、これらは郵政省が管轄している郵便局と競合関係にある。

氏が郵便局の民営化にこだわるのも、大蔵政務次官だった頃の、大蔵省の雰囲気が影響していると筆者は考えている。たしかに当時は、民間の資金需要も大きかった。そして郵便局の存在が、民間の金融機関への資金の流れを阻害していたことは否めない。しかし今日状況は大きく変わった。民間の資金需要も減退しており、銀行も多額の資金を国債で運用している。銀行は、リスクを取らないと言う点では、郵便局と変わりがないと言うことである。つまり今日の日本には二つの郵便局がある。一つは給料が高い民営の郵便局であり、もう一つは給料の安い国営の郵便局である。筆者に言わせれば、民間に資金需要がない現状では、郵便貯金の民営化などはどうでも良い問題である。

小泉氏の掲げる政策は最悪である。「構造改革のためには2,3年のマイナス成長もやむを得ない」と言っている。無責任なエコノミストと変わりがないセリフを言っている。「構造改革が進めば、自然と経済は成長する。それまでの我慢が必要である。」と言っているが、全く根拠がないスローガンである。戦前の「ほしがりません勝つまでは」と全く同一の発想である。日本は10年以上不況が続いている。もうはっきりとデフレと言える。デフレは、特に弱い立場、具体的には競争の激しい分野により多くの悪影響を及ぼす。一方、事実上寡占が完全に成立している産業(テレビ局や新聞社など)やどうしても規制緩和が及ばない分野(公務員や医者など)には影響はない。むしろこれらに所属する人々にとっては、価格が下落するデフレはむしろ歓迎される。

戦前のデフレで一番被害を被ったのは、農村である。農産物が大幅下落したからである。「娘の身売り」と言う現象もこの頃の話であろう(「おしん」の話を思い出す)。2.26事件で決起した青年将校の多くも農村出身であった。政治家と並んで財閥のオーナが彼等のターゲットになったのも、このような時代背景があったからである。
小泉氏だけでなく、加藤紘一氏や若手政治家も同じようなことを言っている。彼等にはデフレ経済の本質が分かっていないのである。彼等がテレビに登場して、ばかなことを言い、党幹部の非難を行う度に、昔からの自民党の支持者が選挙に行かなくなるのである。

経済の成長を決めるのは需要である。日本経済は、老人などが巨額の貯蓄が行っており、常に需要が不足する体質になっている。したがって輸出・設備投資などが減少すると、これが顕在化し、たちまち経済は落込む。このよう時には政府は赤字国債を発行して、余剰資金を回収し、これを財政支出に回さないと、不況が深刻になるだけである。構造改革なんてまるっきり関係のない話である。むしろ今日の場合、これを押し進めることはデフレを助長する恐れさえある。小泉氏が主張する経済政策を行えば、自殺者が倍増するだけである。

小泉氏のもう一つの問題は「無党派層」に訴えていくと言う方針である。「無党派層」の人々は、しっかりした考えを持っているわけではない。彼等のほとんどがマスコミの影響下にある。端的に言えば、「無党派層」はマスコミの奴隷である。また本人達は、マスコミに操作されていることに喜びを感じている不思議な存在である。

インターネットのサイトでも彼等の意見を見かけることがある。しかし彼等の言っていることは、まるで週刊紙の見出しである。つまり実在感がなく、知ったかぶりをしているだけである。したがって主張も一貫性がなく支離滅裂である。しかしマスコミにとって、彼等はお客さんである。マスコミは「無党派層」を政治に関心のある層とおだて上げ、「選挙に行こうキャンペーン」をやる。つまりマスコミはこのおばかな「無党派層」を使って(思考力がないから操作は簡単)、政治権力を握ろうとしているのである(最近マスコミ関係者が政治家を見下している姿をテレビでよく見かける)。このような「無党派層」を頼りにするようになれば、その政治家はマスコミの子分になることを意味する。政治家としてお終いである。特に言いたいことは、最近の自民党は、若手の二世議員を中心にマスコミに嵌め込まれている。

マスコミは、地方票で小泉氏が健闘すると予想しているが、筆者はこれに疑問を持っている。また小泉氏が地方票の多くを取るようなら、自民党もお先が真っ暗である。筆者は、全体では亀井氏と麻生氏が意外と票を集めるのではないかと見ている。とくに今回の総裁選は興味深い。


国債価格が少し下落、つまり利回りが上昇すると、必ず国債がそのうち暴落すると言うエコノミストが現れる。国債利回りは1%台まで低下した後、たしかに1.4%台に上昇している。しかし筆者の見方は、短期間のうちに1%台まで低下したことが行き過ぎであって、現在はその調整過程と考えている。国債価格が急激に上げたので、利益を確保したい向きが売っているだけである。

市場関係者の声として、「今回の自民党の総裁選で、候補者が財政出動に積極的」と言うことが国債の利回り上昇の原因と言っているらしい。しかし候補者の一人である小泉氏は、財政政策に消極的である。どうも市場関係者の声はいつもの通りいい加減である。単に国債価格が上がり過ぎたから下がっているだけであり、市場関係者はいつものように適当に売る理由をつけているだけである。3月に株式市場が不安定になっていたため、「資金の質への逃避」が起っていたと考えられる。したがってこれまで国債が必要以上に買われていただけである。しかし資金の運用難の今日、国債を一旦売っても、他に運用先がないため、適当な水準まで国債価格が下落してきたなら、また機関投資家は国債を買う他はないのである。

国債暴落説を振りまいているエコノミストは、だいたい昨年8月の日銀の「ゼロ金利解除」後、国債価格が下落し、利回りが2%前後になった時に「これから国債は暴落し、長期金利は3%、4%になると騒いでいた連中である(銀行の貸出金利を見れば分るように、そのような金利水準に上昇するわけがない)。それ以降、連中の予想に反して国債は買われ、国債利回りは低下を続けた。そうなるとこの連中は、急に静かになったのである。要するにこの連中は極めて卑怯な存在である。そのうち国債の価格が落着いてくれば、この連中はまた消えていなくなるだけである。


普通の電話を使うインターネット電話。市外一律3分20円、携帯電話へも割安。音質も良好。


01/4/9(第203号)「グリーンスパンのかかった二つの「罠」」
01/4/2(第202号)「銀行の不良債権問題(その2)」
01/3/26(第201号)「銀行の不良債権問題(その1)」
01/3/19(第200号)「与党の緊急経済対策」
01/3/12(第199号)「自分の家の前の掃除」
01/3/5(第198号)「公共投資の経済効果」
01/2/26(第197号)「公共事業雑感」
01/2/19(第196号)「日本の経済政策の方程式」
01/2/12(第195号)「老人の貯蓄と経済(その2)」
01/2/5(第194号)「老人の貯蓄と経済(その1)」
01/1/29(第193号)「老人と貯蓄(その2)」
01/1/22(第192号)「老人と貯蓄(その1)」
01/1/15(第191号)「経済論議のポイント」
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