平成9年2月10日より
経済コラムマガジン

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01/1/29(第193号)
老人と貯蓄(その2)
  • 日本の「霊媒師」
    まず消費の理論として「ライフサイクル」仮説と言うものが広く知られている。この仮説によれば、人々は若い時代に所得を稼ぎ、その一部を老後に備え貯蓄し、そして老後は蓄えた貯蓄を取り崩して生活費を賄う。したがって老年人口比率が小さいほど、国全体の貯蓄率が大きくなり、また逆に老年人口比率が大きくなれば貯蓄率は小さくなることになる。

    そしてこの「ライフサイクル」仮説は極めて重要である。なぜなら多くの日本の経済学者やエコノミストが、この仮説を本当のことと信じているからである。ところが少なくとも日本において、現実は全く逆である。高齢者が大きな貯蓄を行っている。このため社会の高齢化に伴い、平均貯蓄率が低下するのではなく、反対に大きくなる傾向にある。

    日本の経済学者やエコノミストの頭の中には、この「ライフサイクル」仮説がこびりついているとしか考えられない。00/12/4(第188号)「シミュレーション分析の見方」で、京大吉田教授の分析をインチキシミュレーションと断言したのも、この分析が高齢化に伴って日本の貯蓄率が小さくなることを前提にしているからである。貯蓄率が小さくなれば、資本不足が生じ、この不足する資本をめぐって民間と政府が取合い、金利が上昇すると言うのが彼の論理である。いわゆる一種のクラウディングアウトが日本に起ると言っているのである。したがって政府が財政支出を削減しなければ、民間に資本が回らず、日本の経済は崩壊すると言うのである。この考えは現実の貯蓄率の推移を見れば、全くのデタラメであることが容易に分かる。しかし現実の経済を見ようとせず、頭だけで考えようとする日本の経済学者のほとんどがこのような考えに同調している。

    少なくとも貯蓄率はここ10年は大きくなっている。クラウディングアウトが起るどころか、金利は史上最低値(世界の歴史の中で最低値)である。昨年は銀行からの貸出額がマイナスとなった。これは貸し渋りの問題と言うより、大企業が借入を減らしていることが主な原因である。民間と政府の資金の取合いどころか、銀行は貸出先がないため、せっせと国債を買っているのが実情である。

    ところがこのような浮き世離れした多くの学者の間違った意見も、マスコミを通し世論に影響する。この結果、世論を気にする政府の経済政策は、中途半端なものになってしまった。むしろ来年度の予算などは緊縮型である。依然不景気は続いており、特に若年層の失業やフリータもどんどん増えている。むしろこのような間違った考えに影響を受けた経済政策が、将来の経済に暗い影を落としているのである。したがって筆者は、このような日本の財政学者や経済学者を「霊媒師」と呼ぶのである。彼等は役立たないだけでなく、日本にとって極めて有害な存在である。


  • コミュニティの崩壊と貯蓄
    次に、日本の老人の貯蓄率が異常に大きいことについてさらに踏込んで述べる。まさに「ライフサイクル」仮説と全く逆の現象が、日本では起っているのである。筆者は、このような現象の大きな原因を二つ考えている。一つは、今日の日本の老人が貧しい中で育ったことである。日本が豊になったのはほんの35年ほど前からである。特に戦前に育った人は「贅沢は敵」と言う社会環境にいた。そのような人々にとっては、現在の自分達の消費レベルはけっして低くはないと思っているのである。貯蓄率が大きいと言っても、それほど苦痛を伴った倹約をしていると言う意識はない。たしかにこれから30年後、つまり世代が替わった頃には、雰囲気が多少変わることが考えられる。つまり日本でも「ライフサイクル」仮説が適用されるような状況になる可能性が少しはある。

    もう一つの大きな原因は「長寿化」と「コミュニティの崩壊」である。「長寿化」自体はめでたい事であるが、本人達はいつまで生きているか分からない。現役を引退した身では、将来の収入が見込めない。頼るのは貯蓄だけと言うことになる。
    一方、「コミュニティの崩壊」も確実に進んでいる。近代産業の発展は、人々の移動を促し、地域社会と人々の繋がりを弱めた。地方から都会に出てきた人々は、既に地元との縁が薄くなっている。また隣の家に「米」や「醤油」を借りに行けると言う関係は、少なくとも今日の都会ではなくなっている。したがって「いざ」となった時に頼りになるのは、これもやはり貯蓄と言うことになる。

    「コミュニティの崩壊」が進んでいる日本において、寿命が伸びると言う現実は、貯蓄の強い動機となる。最後に頼りになるのはやはり「金」である。このことは高齢者ほど切実に感じていると考えられる。消費は無限と言う考えがある。しかし衣食住がある程度足りた老人は、これ以上の消費より、将来の安逸と言う「保険」の方を選択するのである。


    さらにこれ以外にも老人が貯蓄率を大きくする要因はある。地価の下落による逆資産効果(老人が所有する土地の割合は大きい)と景気の落込みなどである。景気の落込みも老人の貯蓄率に影響していると考えられる。平均貯蓄率の推移を見ると、96年度には景気回復を反映してか、貯蓄率は一旦小さくなっている。しかし97年度から貯蓄率は大きくなっている。これは橋本政権の財政再建政策により不況を招き、信用不安も同時に発生したことが原因と思われる。

    失業の増大やリストラが流行する今日の暗い世相の中では、貧しい生活を経験した老人こそが真先に防衛的行動、つまり節約に走ることは納得ができる。
    これまで自分自身の問題で老人の貯蓄が減らないことを述べてきたが、家族の不安定な状況も重要である。息子がリストラに直面し、孫が就職難でフリータと言うことは今日の日本では珍しいことではない。せめて自分だけは節約して、息子や孫がいざとなったら資金的な面倒を見なくてはいけないと考えるのである。


    老人が大きい貯蓄率を維持すると言う日本での現象は経済理論(ライフサイクル仮説)に反することと考えられている。ところで筆者は、米国の老人の貯蓄率に関心がある。米国の極めて小さい平均貯蓄率から推定すれば、米国の老人の貯蓄率も大きくないと考える。マイナスの貯蓄率と言うこともあり得る。ただし現状では、データがないので確定的なことは言えない。

    まず米国の貯蓄率が極めて小さいことは本誌でも何回となく取上げた。たしか以前は米国でも貯蓄率が今日より大きかったはずである。なぜ今日、可処分所得のほとんどを消費しているのかが注目される。正直に言って、筆者にはよく理解できない現象の一つである。

    一応、以前本誌では、一つの考えとして、住居の考えが日米で異なることを指摘した。米国では、住んでいる住居を転売することが容易である。つまり米国人は貯蓄の代わりに住宅への投資を行っている。その分貯蓄をする必要性が小さいのである。この他には発展途上国並のかなり大きい出生率や移民の存在が考えられる。さらに最近の株高による資産効果や信用供与の増大も影響していると考えられる。半分冗談であるが、偽造が容易なため、偽造ドル札でも大量に出回っているのではないかとさえ思われる。

    たしかに社会の体制も日米では異なる。日本では「コミュニティの崩壊」に伴い、自分で自分の身を守る必要に迫られ、貯蓄率が大きくなっている可能性が強い。一方、米国は移民の国であり、もともと他人同士が集まった国である。むしろこのような国ほど互助的な仕組がしっかりしている。教会などがその中心として活動している。慈善活動も活発である。国民もこのような活動に助けられることに後ろめたい気持はない。お互い様なのである。国民も自ら慈善活動を行うことが当然と思っている。一世帯の年間の寄付金も、日本の3,000円に対して、米国は10万円である。米国の10万円の全てが慈善活動に使われているわけではないが、日本に比べ、生活の最低レベルを確保する仕組は、米国の方がずっと整っている。したがって貯蓄に対するポテンシャルが低くなると考えられるのである。

    以前の日本の社会では、地縁血縁と言ったもので「コミュニティ」が成立していた。しかしこの半分くらいは既に崩壊している。農村では、互助組織である農協を通さない米の流れが大きくなっている。また新たに生活の拠り所として登場した、日本の「会社」も段々社員に対して冷たくなっている。
    たしかに地方には、いまだ昔ながらの「コミュニティ」と言うものが残っているところもあるが、大都会では既にほぼ崩壊していると考える。「介護保険」をめぐって、都市部と地方で考え方に大きな違いが生じたのもこのような事情が背景にある。

    産業構造が大きく変化(農業主体の経済から近代産業への変貌。また最近では経済のグローバル化。)しているのであるから、日本におけるこの「コミュニティの崩壊」の流れは止めようがない。ただし日本では準備が不十分なまま「コミュニティの崩壊」が進んでいることが問題である。西欧のような高福祉社会でもなく、米国の慈善活動に見られるような非政府組織の活発な活動があるわけでもない。老人が長寿社会の到来に直面して、自己防衛のため、ひたすら貯蓄をしているのが今日の日本の姿である。しかしこの莫大な貯蓄の存在が、日本経済に多大な影響を及ぼしているのである。この現実を考慮しない、経済論議は全く意味が無い。



来週号では、莫大な老人の貯蓄が経済に与える影響について述べる。

そろそろ自民党の株価対策案が出る頃である。しかし対策と今のところ言われている「金庫株の解禁」などが効果があるとは考えられない。ましてや株式配当の二重課税問題の改定などは、株価対策とはほとんど関係がない。
ところで今日、かろうじて株価が維持されているのは、政府が株価対策として何かやってくれるであろうと言う投資家の期待からである。この期待が裏切られた時の市場の動きが注目される。
もっとも今回公表されるのは第一次対策である。これに続く対策が当然検討されているものと考える。世の中には「株価対策」なんて不要と主張する人々もいるので、このような段取りをとった政策の進め方が必要なのであろう。

たしかに現在の株価水準では、本格的な株価対策を打ち出すにはちょっと早すぎると考える。危険水域に達した時に、タイミング良く本格的な対策を公表できれば良いのである。

筆者の考える株価対策は、「ゼロ金利政策への復帰」「ペイオフの白紙撤回」「銀行への公的資金の注入」「補正予算などによる抜本的な景気対策」などである。そして決定的な対策は、株式の買上機関の設置である。ちょうど40年不況の時に設置した「共同証券」のようなものである。資金はもちろん国債の発行で調達する。なお、株価対策については近々本編で取上げることにする。


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01/1/22(第192号)「老人と貯蓄(その1)」
01/1/15(第191号)「経済論議のポイント」
00/12/18(第190号)「第二次金融不安の可能性」
00/12/11(第189号)「経済問題論議の混乱」
00/12/4(第188号)「シミュレーション分析の見方」
00/11/27(第187号)「面白い言葉二題」
00/11/20(第186号)「日本のエリート考」
00/11/13(第185号)「急がば回れ」
00/11/6(第184号)「「国債の日銀引受」への評価」
00/10/30(第183号)「財政問題の究極の解決法(その2)」
00/10/23(第182号)「財政問題の究極の解決法(その1)」
00/10/16(第181号)「巨額財政赤字騒動の不思議」
00/10/9(第180号)「財政赤字とマスコミの扇動」
00/10/2(第179号)「日本の需給ギャップ」
00/9/25(第178号)「経済成長率の話」
00/9/18(第177号)「日銀の独立性をめぐる誤解」
00/9/11(第176号)「日銀の独立性の怪しさ」
00/9/4(第175号)「ゼロ金利とマスコミの論調」
00/8/28(第174号)「今後の株価の動向」
00/7/31(第173号)「日本における「IT革命」」
00/7/24(第172号)「日銀から通貨庁へ(その2)」
00/7/17(第171号)「日銀から通貨庁へ(その1)」
00/7/10(第170号)「政府の経済への関わり」
00/7/3(第169号)「昨今の話題(その1)」
00/6/26(第168号)「効果ある失業対策」
00/6/19(第167号)「総選挙と「無党派層」」
00/6/12(第166号)「本当の「セーフティーネット」」
00/6/5(第165号)「日本の産業構造と失業」
00/5/29(第164号)「GDPと政策目標」
00/5/22(第163号)「グローバル化と市場の競争」
00/5/15(第162号)「経済のグローバル化とNGO」
00/5/8(第161号)「インターネットと株式市場」
00/4/24(第160号)「米国の株式市場の行方」
00/4/17(第159号)「Eコマースの将来性(その2)」
00/4/10(第158号)「Eコマースの将来性(その1)」
00/4/3(第157号)「「日銀による国債の引受」政策」
00/3/27(第156号)「インフレとデフレの功罪(その2)」
00/3/20(第155号)「インフレとデフレの功罪(その1)」
00/3/13(第154号)「国債の日銀引受に関わる諸問題」
00/3/6(第153号)「資金供給の増大とインフレ」
00/2/28(第152号)「澱んだ資金の経済への影響」
00/2/21(第151号)「もう一つの累積債務の解決方」
00/2/14(第150号)「政府の累積債務に関わる問題」
00/2/7(第149号)「ペイオフ延期騒動と日経新聞」
00/1/31(第148号)「「ペイオフ強行派」への反論」
00/1/24(第147号)「「ペイオフ解禁」の延期」
00/1/17(第146号)「有力エコノミストの対談」
00/1/10(第145号)「新年度の経済を見通す」

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