平成9年2月10日より
経済コラムマガジン

普通の電話を使用。市外一律3分20円。国際電話や携帯電話へも割安通話。インターネットの音声帯使用により音質良好。



00/11/20(第186号)
日本のエリート考
  • 戦前・戦後のエリート
    まず戦前の話から始める。戦前の日本の政治や社会が特におかしくなったのは、エリートと言われている人々が台頭してきて、政治の実権を握ってからと言う意見がある。エリートの具体的な典型例は、帝大や陸大を優秀な成績で卒業した人々である。これらの人々の特徴は、庶民とは隔絶された世界で教育され、考え方が極めて観念的と言うことである。特に陸大の出身者は、幼年学校時代から世間とは隔離された環境で育っており、考え方や目線といったものが庶民とはかけ離れたものであった。結果的には、このエリートが戦争を遂行し、日本を奈落の底に落した。このような指摘は故司馬遼太郎氏がしばしば行っていたことである。

    戦前のエリートは、庶民の目線とは違う世界にいただけでなく、むしろ庶民感覚と言うものを敬遠することが「エリートの証」と考えたふしがある。
    このエリート達は、米国を中心にした勢力に経済封鎖され、日本が窮地に立たされた時、一歩引き下がることより、打って出ることを選択した。英米にやりこめられることの方が、エリートにとっては我慢ができなかったことであった。

    敗戦色が濃くなっても、エリート達は一般の国民のことは眼中にない。敗戦後の自分達の立場しか頭にないのである。「一億総玉砕」とか「特攻隊」と言った無謀なキャンペーンを行ったり、作戦を遂行できたのもエリート達が一般の国民を「将棋の駒」とか「物」としてしか見ていなかったからである。しかしむしろそのよう見方をするような教育を受けてきたからとも言える。もし彼等が一般の国民の痛みを理解していたなら、もっと早い時期に和平への道を模索していたはずである。

    しかし指摘しておく重要なことがある。これらのエリートこそが国民から熱烈な支持を受けていたことである。反対に戦争を回避しようとしたり、軍事費を削ろうとした政治家は「卑怯者」あるいは「君側(くんそく)の奸(かん)」とレッテルを張られ、非難の的となった。英米との開戦は、軍部の独走だけでは説明がつかない。むしろ庶民の熱情が逆に軍部を動かした。軍部も引くに引けなくなった面がある。実際、開戦の日には「ああ、これですっきりとした」と多くの庶民は喜んだのである。

    どうして自分達が苦しむと予想される開戦に一般の国民も突っ走ったのか、群集心理学の研究のテーマになる。実際、ドイツやイタリアでもよく似た動きがあった。そしてこれを解く重要なカギがマスコミの働きである。


    歴史は繰返すと言うか、今日、日本では戦前とよく似た現象が起っている。「日米開戦」が「財政再建」や「構造改革」である。軍部などのエリートが加藤紘一氏や政策新人類と言った、世間知らずで、苦労知らずの「エリート二世議員」である。一方、財政による景気対策が必要と考える執行部は守旧派と言うことになる。そのように大袈裟な話ではなかろうと自分自身でも笑ってしまうが、今日の状況は、実に戦前の開戦までの状況に似てきた。

    先日、中曽根元総理がテレビに出演して、加藤氏達の今回の行動を快く思っていないと発言していた。しかし中曽根氏自身は、自分の総理在任中、加藤氏を二度も防衛庁長官にすると言った異例の抜擢人事を行った(このことに当時の宮沢派は強く反発した)。それほど加藤氏をかっていたのである。その中曽根氏が非難しているのであるから注目される。さらに中曽根氏は加藤紘一氏達の行動を「2・26事件」の青年将校になぞらえていた。やはり筆者だけでなく、元総理も今日の日本にそのような戦前の徴候の現れを感じていると思われる。

    忘れてならないのはマスコミの働きである。加藤氏達の行動のバックにはマスコミの存在があり、互に利用したり、利用されたりしている。また政策新人類の考えを聞き、行動を見ていると、彼等はまさに日経新聞の論説委員の「パシリ」みたいな存在である。

    このような徴候は長野のような地方にも及んでいる。公共事業を止めることによって、むしろ新しい産業が興ると言った不思議な考えが支持され、大差で作家が知事になった。公共事業が減れば、大変になるのは選挙民の方のはずである。さらに菅直人と言ったアジテータもいて、まさに今日の日本には戦前のような混乱を再現するための役者も揃っているのである。


  • 日本のエリートの本質
    森首相の命運も尽きようとしている。話題になっているのは次の総理である。河野、小泉、高村、そして加藤のいわゆる4Kが下馬評に載っている。そして政権の形も野党との連合などの可能性もあり、いくつかのパターンが考えられる。一番のカギを握っているのは加藤氏である。

    とにかく筆者は、加藤氏や小泉氏、さらには民主党や小沢氏を中心にした政権の樹立を期待している。もっと言えば、これらの全ての政治家を巻き込んだ政権が理想的である。マスコミもこの政権を、自民党を中心にした政権よりも良い政権と、少なくとも最初は持ち上げるはずである。株式関係者の中にも変わり者がいて、「これで日本の経済構造改革が進み、株も上昇する」と手放しで喜ぶ者もいるはずである。

    もちろん筆者が、これらの政治家の政策に期待しているのではない。全く逆である。彼等の政権によって、日本経済はもう一度危機的状況に追い込まれると筆者は読んでいるのである。ただでさえ来年の2,3月頃には、二回目の金融不安が起る可能性があると筆者は考えている。つまり経済が大混乱する可能性が強いのである。そうなれば彼等の新しい政権は潰れ、再び政権交代がなされ、今度こそ本格的な経済対策が行われると言う筋書である。残念ながらマスコミや世論に手枷足枷されている現状では、本格的な経済対策は無理である。むしろ一旦、加藤氏のような「財政再建派」に政権を委ね、失敗してもらった方が、世論の動向も変わる可能性があり、結局早いと考える。まさに先週号で述べた「急がば回れ」である。

    そして加藤氏や小沢氏は自分達が主張している政策を遂行すべきである。先走るようであるが、その政策で日本経済が一段と落込んだら、今度こそこれらの人々には責任を取って政治家を辞めてもらいたい。


    自民党には、加藤氏や小沢氏のような若い頃からエリートコースを歩み、将来を期待されてた政治家がいる。共通しているのは二世議員で、若くして国会議員になっていることである。同じ二世議員でも故小淵首相のように、福田元首相、中曽根元首相と言った有力政治家と同じ中選挙区で苦労していた政治家もいるが、多くの二世議員は親の地盤を引継ぎ、楽に当選を重ねている。加藤氏と行動を共にしている政策新人類の多くも二世議員である。

    彼等エリートの特徴は、考え方が実際的でなく、観念的であることである。しかしこのエリートに周囲の人々は簡単にだまされる。特に年寄りが弱い。「若いのに将来のことをよく考えている」と持ち上げる。年寄り政治家も年が離れており、自分の立場を脅かすことがないと考えて安心している。マスコミや大衆も、叩き上げの苦労した政治家より、彼等の方が清新なイメージがあると歓迎する。

    彼等は何を聞かれても直ぐに答える。しかし現実に起る諸問題の多くは、利害が対立した人々がいて、簡単には黒白をつけられないはずである。今日みたいに情報行き渡った時代の政治家は、むしろ互の利害を調整することを要求される。織田信長やナポレオンの時代とは違うのである。ところがエリート政治家は、実に簡単に結論を述べる。観念論者である彼等の頭の中では、どちらが良いとか悪いとかが始めから決まっているのである。それは彼等が現実を知らないか、むしろ現実を知ろうとしないからである。しかし彼等が主張する政策は実現が不可能か、明らかに逆効果のものばかりである。

    彼等は「ここ10年間、100兆円もの財政による景気のテコ入れを行ってきたが、効果がなく一向に景気は良くならない。もはや構造改革しかない。」と簡単に言う。しかし財政による景気対策やらなければもっと経済が落込んでいたはずである。つまり効果は確実にあった。また財政支出の効果は増額分のみが効くことを忘れてはいけない。つまり実際の対策費は彼等が言っているほど大きくなかったはずである。また土地などの資産価格の下落の影響も無視できない。さらに筆者が主張するような、日本の過剰貯蓄の大きさを考慮すれば、これまでの財政の対策が小さ過ぎると言った考えもある。
    とにかく彼等、エリートは観念論に染まりやすく、他人の意見を絶対に聞かないのである。とても今日の政治には向いていない。

    加藤氏は、小淵内閣以来「癒しの政治」が続いているが、これは行き詰まっており、これからはむしろ財政改革が必要とさかんに言っている。しかし現実の日本では、失業や自殺者は減らず、上場企業さえ次から次へと倒産している。大阪では300人とか600人のホームレスがいる公園がいくつもある。筆者は、どこが「癒されている」と言えるのか聞きたい。いかにもエリート政治家が現実を見ようとしないかを物語っている。

    加藤氏や小沢氏は政治家ではなく「宗教家」である。したがって最初は熱烈に支持する人々が寄ってくる。しかしそのうち、考えの薄っぺらさと内容のなさに気がつきどんどん人々は離れていく。最後に残るのは妄信的な信者だけである(小沢氏の前例があるが、実際何人の議員が加藤氏ついていくか興味がある)。

    エリートは主張の具体的な内容を聞かれるとすぐぼろが出る。またぼろが出るので具体的な話を避けるのも特徴である。テレビで「構造改革の中身」を聞かれ、しょうがなく「通信業界の競争促進」と言っていた。たったそれだけのことかと筆者も呆れた。つまり彼等はたいしたアイディアは持っているわけではない。しかし持っていないのに、さもすごい考えがあるように周囲に思わせるのが彼等の特技である。

    エリートと言うものは、順調に行っている時には良い。また彼等の特徴である「傲慢さ」もなんとなく周囲も認める。しかし一旦壁にぶつかると脆い。すぐ「一億総玉砕」的行動に走り、最後は簡単に自殺する。したがって組織体は、若くしてエリートみたいなつまらない存在を作るべきではない。そのエリートが、国を滅ぼし(戦前のように)、組織を壊すのである。


    自民党はあまりにも安易に二世の国会議員を作り過ぎている。特に若く世間知らずの二世は避けるべきである。たしかに二世は当選しやすく、消エネである。そして当選回数を重視する自民党のこれまでのシステムでは、どうしても若い二世議員をエリートにしやすい。しかし今日の造反劇の見られるように、彼等は自分の立場が悪くなると、すぐに分裂騒ぎを起こすのである。



来週号も政局に関係したテーマを予定している。

多くのエコノミストの予想に反して、暴落どころか、逆に国債の利回りが低下している。既に一つの目安である1.8%を割込み11月17日の段階で1.765%になっている。しかし筆者の感想では、ちょっと上げピッチが早いのである。本誌00/10/30(第183号)「財政問題の究極の解決法(その2)」で触れた「第二次金融不安」が現実になるものと市場が動いているともとれる。「質への逃避」である。一応「宮沢シーリング」である1.7%を割込むかどうかを注目している。とくかく意味のない「ペイオフ」は永久凍結すべきである。


普通の電話を使うインターネット電話。市外一律3分20円、携帯電話へも割安。音質も良好。


00/11/13(第185号)「急がば回れ」
00/11/6(第184号)「「国債の日銀引受」への評価」
00/10/30(第183号)「財政問題の究極の解決法(その2)」
00/10/23(第182号)「財政問題の究極の解決法(その1)」
00/10/16(第181号)「巨額財政赤字騒動の不思議」
00/10/9(第180号)「財政赤字とマスコミの扇動」
00/10/2(第179号)「日本の需給ギャップ」
00/9/25(第178号)「経済成長率の話」
00/9/18(第177号)「日銀の独立性をめぐる誤解」
00/9/11(第176号)「日銀の独立性の怪しさ」
00/9/4(第175号)「ゼロ金利とマスコミの論調」
00/8/28(第174号)「今後の株価の動向」
00/7/31(第173号)「日本における「IT革命」」
00/7/24(第172号)「日銀から通貨庁へ(その2)」
00/7/17(第171号)「日銀から通貨庁へ(その1)」
00/7/10(第170号)「政府の経済への関わり」
00/7/3(第169号)「昨今の話題(その1)」
00/6/26(第168号)「効果ある失業対策」
00/6/19(第167号)「総選挙と「無党派層」」
00/6/12(第166号)「本当の「セーフティーネット」」
00/6/5(第165号)「日本の産業構造と失業」
00/5/29(第164号)「GDPと政策目標」
00/5/22(第163号)「グローバル化と市場の競争」
00/5/15(第162号)「経済のグローバル化とNGO」
00/5/8(第161号)「インターネットと株式市場」
00/4/24(第160号)「米国の株式市場の行方」
00/4/17(第159号)「Eコマースの将来性(その2)」
00/4/10(第158号)「Eコマースの将来性(その1)」
00/4/3(第157号)「「日銀による国債の引受」政策」
00/3/27(第156号)「インフレとデフレの功罪(その2)」
00/3/20(第155号)「インフレとデフレの功罪(その1)」
00/3/13(第154号)「国債の日銀引受に関わる諸問題」
00/3/6(第153号)「資金供給の増大とインフレ」
00/2/28(第152号)「澱んだ資金の経済への影響」
00/2/21(第151号)「もう一つの累積債務の解決方」
00/2/14(第150号)「政府の累積債務に関わる問題」
00/2/7(第149号)「ペイオフ延期騒動と日経新聞」
00/1/31(第148号)「「ペイオフ強行派」への反論」
00/1/24(第147号)「「ペイオフ解禁」の延期」
00/1/17(第146号)「有力エコノミストの対談」
00/1/10(第145号)「新年度の経済を見通す」
99/12/20(第144号)「為替の話あれこれ(その1)」
99/12/13(第143号)「中堅以下の企業のリストラ」
99/12/6(第142号)「大企業のリストラ」
99/11/29(第141号)「商工ローンと日本人」
99/11/22(第140号)「あやしい常識」
99/11/15(第139号)「金融のさらなる量的緩和」
99/11/8(第138号)「為替変動と日銀」
99/11/1(第137号)「ニセ札とインフレ」
99/10/25(第136号)「もう一つの実質金利の実体」
99/10/18(第135号)「もう一つの実質金利」
99/10/11(第134号)「もう一つの調整インフレ」
99/10/4(第133号)「日銀の独立性(その2)」
99/9/27(第132号)「日銀の独立性(その1)」
99/9/20(第131号)「社会的欲求と日本経済」
99/9/13(第130号)「欲求と日本経済成長の関係」
99/9/6(第129号)「日本経済と欲求の限界(その2)」
99/8/30(第128号)「日本経済と欲求の限界(その1)」
99/8/9(第127号)「エコノミストの格付け(その3)」
99/8/2(第126号)「エコノミストの格付け(その2)」
99/7/26(第125号)「エコノミストの格付け(その1)」
99/7/19(第124号)「規制緩和と通産省」
99/7/12(第123号)「供給サイドの経済学」
99/7/5(第122号)「インターネットと日本経済(その2)」
99/6/28(第121号)「インターネットと日本経済(その1)」
99/6/21(第120号)「銀行員とリスク(その2)」
99/6/14(第119号)「銀行員とリスク(その1)」
99/6/7(第118号)「銀行のバブル期の行動」
99/5/31(第117号)「日本の銀行とリスク」
99/5/24(第116号)「需給ギャップと景気回復」
99/5/17(第115号)「経済の構造改革」
99/5/10(第114号)「サマータイムと日本人」
99/5/3(第113号)「地価動向と景気回復」
99/4/26(第112号)「お金持ちとリスク」
99/4/19(第111号)「日本のお金持ち」
99/4/12(第110号)「寡占と所得の分配」
99/4/5(第109号)「寡占市場の話」
99/3/29(第108号)「完全競争市場の話」
99/3/22(第107号)「独占市場の話」
99/3/15(第106号)「本誌の経済予想とその間違い」
99/3/8(第105号)「景気の現状(99年春)」
99/3/1(第104号)「立派な社会と景気回復」
99/2/22(第103号)「現代の日本経済と投資」
99/2/15(第102号)「需給ギャップと投資」
99/2/8(第101号)「99年度の経済を見通す」
99/2/1(第100号)「公共投資の将来を考える」
99/1/25(第99号)「今後の景気対策を考える(その2)」
99/1/18(第98号)「景気の見通しを考える」
99/1/11(第97号)「今後の景気対策を考える(その1)」
98年のバックナンバー

97年のバックナンバー

日常的に起こる経済問題をトーク形式で解説
日頃忙しいビジネスマンへのオンラインマガジン