- 低調な経済論議
先週号までに述べた「大規模な財政支出」や「日銀による大量国債の引受」と言った、筆者の提案する経済政策は、今日の日本ではまったく相手にされない種類のものと承知している。むしろ世間では「財政再建」の方が重要と言う風潮が強まっている。
ごくごく少数のエコノミストを除き、積極財政による景気の支えが必要と主張する人も皆無に近い。最近、自民党の元幹事長の加藤紘一氏、元政調会長の山崎拓氏と民主党の鳩山党首が雑誌の対談で、「財政再建が重要」と意見が一致したと新聞で報道されている。もちろんこの場合の財政再建は、増税や公共事業などの財政支出のカットによるものである。長野では公共事業に否定的な作家が県知事に当選した。新聞、雑誌には「国債が暴落する」と言う記事が踊り、今日の政府の財政政策を非難している。
与野党を問わず、積極財政に反対する者が大勢いて、さらにマスコミがリードする世論も財政支出に否定的になっている。このような「空気」の中で、政府が打ち出せる景気対策には限度がある。今回のような効果が疑わしい小さな補正予算がせいいっぱいである。
しかしこのような中途半端な政策で今日のデフレ経済を乗り切れるはずがない。したがって景気は回復せず、失業問題などは一層深刻になる一方で、財政の累積赤字は逆に増加を続けると言った、悪循環に陥ることになる。そしてこれが政策の自由度を狭め、さらに政策が消極的にならざるを得ない。最悪のパターンである。
筆者は最近、このような状況が続くのなら、実現が可能かどうかは別にして、一層のこと加藤紘一氏や民主党を中心にした政権にバトンタッチした方が良いのではないかと考えている。週刊誌によくたたかれている亀井政調会長もここは一旦下野した方が得策である。そして新政権は、自分達が日頃主張している政策を行うべきである。もちろん経済政策で大失敗することは目に見えている。これは一種の実験である。
同様の実験は橋本政権の元で行われ、経済はどん底を経験したが、マスコミやエコノミストはいまだに懲りていないようである。また日本には「間違ったことをいくら主張し、それが誤りと分かっても、しばらくすれば人々が忘れてしまう」と言ったこまった風潮がある。そして筆者には、これは日本の社会が「けじめ」と言う意識が小さいことを象徴していると感じる。 ところでこのような主張をする人々の多くは「小さな政府」の信奉者である。そして「小さな政府」論自体が一種の宗教である。ちょっとやそっとでは変わらないのである。
故小渕首相は、当時としては極めて大胆な政策を行うことができた。その数年前の住専国会が揉めたことが嘘のような状態であった。これも当時の深刻な経済に直面し、国民の中に危機意識があったからである。したがって筆者が主張するような大胆な政策が採用されるには、もう一度極端な経済のスランプに陥ることが必要なのかもしれない。
ここ一年、多少経済が上向いたためか、日本経済の根本を分析し、正しい処方箋を示した骨太の政策論を展開する者がいない。「IT革命」が日本経済を救うと言った間が抜けたものばかりである。筆者も、本誌でも紹介した(00/1/17(第146号)「有力エコノミストの対談」)ポール・クルーグマン教授とリチャード・クー氏の対談以来、納得する政策論議を聞いたことがない。両氏の対談が載った文芸春秋11月号も一年前に発行されたものである。
この中で両者は、まず日本経済の回復には、財政政策と金融政策の両方が必要と言う点では一致していた。ただしクルーグマン教授は金融政策に重きを置いた政策を主張していた。そして「さらなる金融緩和」が必要と言っている。教授が日頃「調整インフレ」を主張しているのと合致する。
一方、リチャード・クー氏は、日本の金融市場は「流動性のワナ」にかかっており、これ以上の金融緩和の効果は期待できないと言っている。むしろ財政に重点を置いた政策が必要と主張していた。 筆者の主張は、ちょうど両者の考えを足したものである。つまり財政政策と金融政策の両方をもっと大胆に行うと言うことである。またその資金的裏付として国債の日銀引受が必要と考える。そしてある程度の物価上昇が起れば、金融政策も有効性を取戻すと考えるのである。
- 経済学者ポール・サミュエルソン
少なくとも筆者のような考えは、今日の日本では異端である。国債の増発は心配ないと言うエコノミストさえもごく限られている。まるで日本において言論統制が行われているみたいである。耳にするのは「小さな政府」論者の役に立たない意見ばかりである。しかし時として納得する意見を目にすることがある。ところが不思議なことにそれが全て外国人のエコノミストよるものなのである。
昨年の暮れに日経新聞が「米株高と世界経済」と言う特集を組み、米国の数人の経済学者の意見を載せていた。そしてそのついでに日本がとるべき政策を聞いている。ポール・サミュエルソンMIT名誉教授(サマーズ財務長官の伯父、もう一方の伯父がケネス・アローであり、両者はノーベル経済学賞受賞者)は「景気回復を確実にするために、日銀は長期国債の買いオペを増やすべきだ。それは結果的に円安につながる。世界的な目で見れば、安易な円安誘導をとるべきではないが、自分が政策当局者なら買いオペで円安政策を取る。」と言っている。
翌日の12月15日にはロバート・ソローMIT名誉教授が登場し、「日銀は長期債を買って長期金利に直接介入するなど通常ならしない政策をとるしかない。大蔵省も長く財政赤字を続けるしかない。」と言い、続けて「深刻な不況がかくも長く続いたため、悲観的な見方が固まってしまっている。逆転させるのは大変難しい。」と主張している。 実に両氏の意見は、筆者も思わず膝を打つものである。筆者は極めて適切な意見と考える。
両氏はノーベル経済学賞の受賞者である。ノーベル経済学賞を取るほどの学者は、単に理論的に優れているだけでなく、現実の経済の分析も極めて適確と感じる。一方、タレントもどきの日本の経済学者は、いつも「ばかげたこと」ばかり言っている。日本の世界のGDPの比率を考えると、日本人のノーベル経済学賞の受賞者が6人くらいいても不思議はないのであるが、どうもノーベル賞には「かすり」もしないようである。当たり前と言えば当たり前である。 また多くの日本の経済学者はいまだに「遣唐使」のように米国に留学している。一体何を勉強してきているのであろうか。
筆者の「国債の日銀引受の増額」と言う考えは、日本国内では「異端」と見なされるかもしれないが、両教授の意見からは、そう遠いものではないことを理解されよう。むしろ筆者の主張こそ極めてオーソドックスなものと、自分自身は考えている。
サミュエルソンは新古典派的総合の提唱者である。したがって筆者は、氏が今日日本ではやっている「小さな政府」論の始祖的学者、つまり教祖の一人と理解していた。ところがポール・サミュエルソンは、前述の日経新聞のインタビューの中で「私は(景気回復には財政政策だけが有効というような)がちがちのケインジアンではない。」と言っているのである。筆者にとっては驚きであった。筆者は長らく誤解していたのである。
つまりサミュエルソンは、自分はケインジアンであるが、全面的にケインズの考えに賛成しているわけではないと言っているのである。極めて常識的である。筆者の卒直な感想は、ちょうどローマ法王が「実はわしは仏教を信じているが、それほど熱心な仏教徒ではない」と言っているようなものであった。では日本からの「遣唐使」は、一体、誰からあのような「へんてこな経済学」を学んでくるのであろうか。
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