- ゼロ金利政策の解除
今週号では、「ゼロ金利政策の解除」を取上げるが、解除そのものの善し悪しについては、あまり述べることはない。むしろ「ゼロ金利政策の解除」をめぐる約一年に渡るドタバタ劇を通じて考えさせられる、中央銀行、つまり日銀のあり方について述べたい。
しかし一応その前に、「ゼロ金利政策の解除」の影響ついても簡単に触れたい。まず公定歩合の推移を見ても、短期金利については超低金利政策が続けられていることははっきりしている。ゼロ金利政策が採られる前からも低金利であり、仮にゼロ金利政策が解除されても、超低金利と言うことには変わりがないと考える。 しかしゼロ金利政策とその解除については、色々議論がなされるが、ゼロ金利政策そのものが及す影響についての実証的な分析はなされていない。たしかにこれを数値で正確に捉えることは難しいことと思われる。したがって「ゼロ金利政策の解除」の議論の多くは、いわゆる夫々の「勘」でなされているのが実情であり、これが混乱の元でもある。
まず、超低金利の状態から、さらにゼロ金利にしたことの影響を考える。影響と言っても、直接的な実態経済への影響と心理面への作用を通した間接的な実態経済への影響が考えられる。筆者は、前者、つまり直接的な実態経済への影響はほとんどなかったと考えている。理由は、金利の変動幅が極めて小さかったことに加え、日本経済がそれほど金利に感応的でないからである。特に物価が地価が継続して下落している現状では、実質金利は極めて高い水準にある。一方後者に関しては、株式市場や為替市場に与えた良い影響が考えられる。つまり財政だけでなく、金融も景気回復に全力を傾けていると言うメッセージを市場に送ったことに意味があった。したがってゼロ金利政策は心理面からの景気の下支えとして意義があったと考える。
したがって「ゼロ金利政策の解除」も主に心理面への影響が大きいと考える。ただ心理面への影響の大きさについては、予測すること自体が難しい。しかしこれは意外に大きい可能性がある。たしかに直接的な実態経済への影響は小さくても、これまで一貫して低下傾向にあった短期金利が、一転して上昇に転じるのであるから、心理面への影響は大きいと考えるべきである。経済の現状を正しく理解している者なら、絶対に行わない政策である。
「ゼロ金利の解除」には日銀内部にも色々意見があるようである。日銀の事務局はとにかく解除だけは行いたいようである。解除だけを行って、そのまま低金利政策を続けると言う考えである。ところがよく分らないのが、速水日銀総裁の言動である。事あるごとに、「早期の利上げが必要」と主張している。「ゼロ金利の解除」にとどまらず、将来物価の安定が損なわれる可能性がある場合には、さらに利上げを行うと述べているのである。また別の場所では「日本経済は利上げに耐えうる」とまで発言している。
物価が毎年下落を続けているのは、世界の中で日本くらいである。さらに地価も下がり続けている。どこに物価上昇の芽があるのであろうか。とにかくこの日銀総裁の日本経済に対する認識は異常としか考えられない。
大体「ゼロ金利の解除」の根拠がまことに薄弱である。日銀短観の数字が良くなったからと言うことになっている。しかし日銀短観は各経済数値の傾向を示しているだけであり、絶対的な水準を示してはいない。また多くの人々は日銀短観を有難っているが、短観の基礎となっている数字は、データが継続して取ることができる企業からに限られる。つまり短観は、財務体質が比較的強い企業のみの数字から作成されているのであり、必ずしも全ての企業の実態を表わしてはいない。特に中小企業については良い企業とそうではない企業の落差は大きいはずである。
何が何でも日銀は「ゼロ金利の解除」を行うつもりである。7月17日が濃厚と報じられており、短期金利もその水準に上がっている。しかし当コラムを書いている現時点では、17日の解除はないと筆者は予想している。「そごう」の経営破綻で市場が動揺しているからである。それでも解除を強行すると言うのなら、外部には分らない他の理由があるとしか考えられない。唯一考えられるのは、最後で述べる短資会社の救済である。しかしそれが事実なら、とんでもないことである。
- 通貨庁の設立
これは以前からの筆者の主張であるが、中央銀行、つまり日本銀行は政府の管轄に入るべきと考えている。政府は、選挙で選ばれた議員で構成される国会に責任を持つ。したがって政府の管轄に入ることにより、国民は間接的に日銀に責任を問えることになる。ちょっと考えれば、これは当り前の話である。日銀の独立性と言うことで、日銀が勝手なことができ、また結果についても責任を取らないと言う現在の体制の方がおかしいのである。実際、日銀はこれまでも重大な間違いを何回も繰り返しているいるが、誰一人責任を取ったことがない。このような組織体に、重要な政策を委ねること自体に、誰も疑問を持たないと言うことが不思議である。 反対に日銀の独立性に疑問を呈すると、「暴論」と直ぐに思考力のないマスコミやエコノミストが一斉に非難する。彼等は、日銀は絶対に間違いを犯さない「神」の存在と信じているのである。金利は日銀の専管事項だから、国会でも取上げないと言うのが世間の常識である。これは決して常識ではなく、人々がマインドコントロールされているだけである。
独立性を高めた現在の改正日銀法は、橋本政権時のどさくさにまぎれて成立したものである。当時は、日頃からの大蔵官僚の独断専横的な行動と傲慢な態度に対する非難が集中した時期である。特に金融機関との癒着や過剰接待が問題になった時であり、結局大蔵省の強大な権力を分割することになった。一つは金融庁の設立であり、もう一つが日銀への関与を弱めるための日銀法の改正である。つまり日銀の独立性が重要と言うより、大蔵省の力を削ぐための法改正であった。ところがいつのまにか改正日銀法だけが一人歩きしているのである。
一応日銀の政策決定は政策委員の合議となっているが、これはあくまでも形式であり、結論はいつも事務局、つまり日銀のプロパーが用意した形になる。いつも日銀の方針に反対する委員がいるが、彼の意見は絶対に通らない。むしろ筆者は、この委員は政策委員を辞めた方が良いと考える。その方が政策委員会と言うものがいかに茶番かと言うことが外部にもはっきり見えてくるからである。
筆者は、日銀を廃止し、通貨庁と言うものを設立し、現在の日銀の業務をここに移管することを提案する。トップにはもちろん首相が任命した者(国会議員か民間人)を置く。身分は国務大臣である。金融政策に政府の意向が反映される形にするのである。そして通貨庁が金融政策で失敗し、経済が混乱した場合には、次の選挙で与党が負け、政権交代がなされる可能性が強い。政権交代がなされた場合には、当然通貨庁のトツプも交代し、これによって金融政策も変更される。つまり金融政策に政治が深く関与し、結果にも責任を持つ体制を作るのである。
筆者は、今の日銀の金融政策がまずいからこの提案を行っているのではない。政治が金融政策に責任を持たない現在のシステムがおかしいからである。現在のシステムは、「日銀は神であり、絶対間違いを犯さない」と言う前提で成立っている。その前提が間違っているのである。 日銀はデフレ経済が進行しているのに利上げを行おうとしているのである。それもサミットの前である。理由は実に説得力のないものである。しかし筆者は、密かに「ゼロ金利政策の解除」を行うことを期待している。もし解除を行えば、各方面から日銀への非難や疑問が吹き出すと思われる。これを契機に日銀のあり方についても、世間ではもっと真面目に議論されるはずである。そして今の体制ではいけないと言う意見が出てくることに期待できるのである。
今日、官僚は優秀であり、常に国のため、黙々と政策を遂行していると考える者はほとんどいない。むしろ官僚にとっては、まず自分達の省益や保身が第一と言うことが、人々は痛いほど分かっているはずである。したがって政治が彼等をリードすることが望まれているのである。副大臣制や国会答弁に政府委員が立たないことも、この方針による。筆者も、官僚に天下国家のことを考える必要はないと考えているし、むしろ考えてももらいたくない。どうしても考えたい者は、選挙で責任を問われる政治家になれば良い。つまり官僚は与えられた仕事を粛々と遂行すれば良いのである。
同様のことは日銀にも当て嵌まるる。日銀マンはどう見ても官僚そのものである。したがって金融政策の基本的な方針は政治が決めるべきである。日銀マンが自分でこれを行えば、どうしても自分達の論理や利害が優先するのが当然である。筆者は、今回の唐突な「ゼロ金利政策の解除」にもこの影を見る。この政策は、どうしても先々週号で述べた「短資会社の救済」(もちろん日銀は強く否定するはず)としか考えられないのである。
この機会に、マスコミも金融システムの黒子的存在である短資会社にスポットを当てるべきである。ポイントはいくつかある。まず日銀と短資会社の関係である。たとえば短資会社と人的交流があるのかどうかである。次に日本の短資会社の仲介手数料の水準が国際的に見ても高いのか、あるいは低いのかと言うことである。筆者は、市場はこれらの短資会社による事実上の独占状態にあり、仲介手数料はかなり高いと考えている。短資会社の給与水準も気になる。一説によれば、高いと言われている大手銀行よりさらに高いと言うことである。
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