- 失業の受け皿
一般に、所得の多寡は携わる職業の競争状態で決まる。誰でもなれるフリータはほぼ完全競争市場にあり、所得は最低クラスとなる。一方、医師や弁護士と言った困難な資格が必要な職業は参入障壁が高く、高い報酬が得られる。
また、企業に勤める人々の場合は、企業の規模が問題になる。大雑把に言えば、より規模が大きい企業ほど報酬は大きい。これは一般に規模が小さい企業ほど、より厳しい競争状態に置かれているケースが多いからである。これを理解するには、メーカの販売系列を例に考えれば良い。一社のメーカの下に複数の代理店があり、代理店の下にさらに小規模の販売店がある。この場合、企業の規模だけでなく、従業員の給料もメーカ、代理店、販売店の順番に小さくなるのが一般的である。これはメーカより、代理店や販売店の方がより競争的になりやすいからである。
たしかにメーカに参入するより、代理店や販売店に参入しやすい。したがって引き渡し価格も数の少ない側に有利な形で決まる。結果的に、従業員の所得の多寡にもこの価格交渉力の違いが反映される。つまり日本においては、所得の多寡は本人の才能や努力だけではなく、どの程度の規模の企業やどの程度の競争状態の業界で働くかで決まる。
次に日本全体の産業構造と法律による規制の関係について考えてみる。まず日本の産業は大きく二つに分けられる。一つは最終需要が国の内外にあるものであり、もう一つは需要のほとんどが国内にあるものである。前者の代表はメーカとそこに部品を納入している業者である。そして後者はそれ以外の産業であり、ほとんどのサービス業はここに分類される。
前者に対する法律による規制は、環境規制に代表されるようなものであり、競争を妨げることが目的と考えられる規制は基本的にはない。たしかに昔、資本の自由化に備え、通産省が自動車業界の再編を進めようとしたことがあった。しかし思う通りにはならなかった。例えば、2輪車を製造していた本田は、通産省に猛反対されながら、それを無視して4輪車への進出に成功した。今日ではとても考えられないような例外的な事件であった。むしろこの分野の企業は昔から内外の厳しい競争にさらされてきたのが現実である。
この分野は世界的な競争下にあり、基本的にセットメーカに勤める従業員の所得は国際標準からかけ離れることはない。ただし部品メーカは二分される。汎用品を作っているメーカは競争がより厳しく、利益も限定される。したがって画期的な生産工程を採用し、劇的なコスト削減でも達成しない限り、グローバル化で競争が激しくなることから、今後も利益を確保することは難しい。その点、特殊な部品や独占的な技術を持つ部品メーカは有利である。技術が参入障壁になるのである。このような部品メーカはグローバル化で市場が広がることによって、むしろセットメーカより利益を得ることも可能である。
しかし今週号の規制緩和で問題にするのは、このようなメーカのことではなく、もっと国内向きの産業群である。この分野の規制も、当初は必ずしも競争を阻害することが目的とは限らないものも多かった。許認可によってサービスを提供する企業を限定することが、サービスの質を保つためにも有効と考えられたからである。監督官庁にとって一番気を使いことは、ユーザからのクレームを少なくすることである。このような入口のハードルを許認可によって高くするのである。そしてこのような許認可を受けた者は悪いことはしないと言う考え方は、日本の風土に根差したものである。しかし結果的にこのような規制が競争を阻害し、業界を保護することになった。もっともこのような保護が、日本国内における所得の格差が広がることを阻止し、社会の安定に役立っていたのも事実である。
しかしこの分野には、もっと厳密に見れば、他からほとんど参入が不可能なものから、参入が比較的容易なものまで色々ある。そして参入障壁の低い業種は総じて利益も小さい。このような業種では、他との差別化を図り、少しでも障壁を高くする努力がなされる。飲食店などは良い例である。しかし提供するサービスや商品が同質で、差別化すること自体が難しい業種も多い。このような業種では組合で協定価格などを設定して、収益の確保を目指すのが一般的である。もっとも組合などによる協定価格を結ぶことが困難な業種もある。建設業などである。このような業界は、過当競争に陥りやすく、ついつい談合と言う違法な行為に走りやすい。つまり誰でも事業が始めることが容易で、かつ提供するサービスが同質の業界は、今日の規制緩和と需要の減退で危機的状態にある。ところがこのような業界こそが、これまで失業の受け皿でもあったのである。
- 本当の「セーフティーネット」
日本経済は、輸出産業に代表される競争力のある産業と国内向けの産業で構成されている。そしてこれはこれで大変うまく機能してきた。国内向け産業は構造的あるいは規制によって競争が制限されており、ある程度の利益が確保でき、そこに従事する労働者もある程度の所得を確保することができた。 極端なケースが、自由化前の金融機関である。以前は金融機関ほとんど価格競争のない状態にあり、この業界では世界的に見ても飛抜けて大きい給料が支払われていた。前述した国際標準からかけ離れることができない輸出産業の従業員の給料水準とは対称的である。したがって金融の自由化が進めば、日本の金融機関の給与も国際標準に収斂していくことは当然である。
このようにうまく機能していた日本の経済システムにも、今、試練が訪れている。一つは経済のグローバル化に伴う、規制緩和の波であり、もう一つは継続的な円高傾向である。たしかにこれまでは、後者の円高にはなんとか対処してきた。輸出産業は円高に対して、製品の高付加価値化と合理化を行ってきた。特に大手輸出企業の合理化に伴い余剰人員の整理や新卒者の採用の抑制を行った。しかしこの結果発生した余剰人員は中小企業、特に国内向けの産業にうまく吸収された。一方、余剰人員を受入れる側も、それまでの人手不足もあって受入れに余裕があった。つまり日本経済は長い間失業率が上昇することなく、円高を克服してきた。
しかしこの日本の円高の克服システムもそろそろ限界にきている。前段で説明したように、中小企業に人員を受入れる余裕がなくなってきているのである。したがって失業率もここ数年で急上昇している。この原因は色々考えられる。もちろん今回の不況や貸し渋りが中小の企業により大きいダメージを与えている。そして一番注目したいのが、今日の規制緩和の流れである。国内向けの業界で、安全確実と考えられていた金融機関からも失業が発生しているくらいである。
エコノミストは改革と称して、規制緩和を押し進めるよう主張する。そしてそれに伴う失業には「セーフティーネット」の用意が必要と言う。実に聞き飽きたセリフである。ところが以前本誌で指摘したように、彼等は一体何が「セーフティーネット」なのかを決して具体的に説明することはない。彼等には、「セーフティーネット」について何のアイディアがないのである。ただ言っているだけである。 筆者は、現実の「セーフティーネット」とは、公共事業による失業対策やここまで述べてきた中小企業の人員の受入れ機能と考えている。したがって「セーフティーネット」がどうしても必要と言うことになれば、特定の分野ではむしろ規制緩和にストップをかける必要があると考える。
しかし日本で現実に行われていることは、この「セーフティーネット」となりうるものを壊しながら、失業対策を行おうとしていることである。全く矛盾した政策であり、これでは失業が減るはずがない。規制緩和や経済のグローバル化と言うものは、時代の流れであり、大半については受入れざるを得ない。また円高に対応してメーカが人員の削減を行うこともしょうがないことである。これに対して政府が行うことは、適切な景気対策による有効需要の創出により、これ以上失業が増えることを阻止することである。さらにもう一つ、本当の「セーフティーネット」を創ることであるが、これについては次週に述べる。
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