- グローバル化と参入障壁
先週号で述べたように、経済の理論では、より多くの供給者と需要者が存在する時に、市場はより競争的になる。その場合、価格がパラメータとして動いて、需給を一致させる。そして完全競争の時、「パレート最適」が実現し、資源の最適な配分が実現する。しかし実際には一つの市場で、供給者や需要者の数が無限と言うことはない。市場参加者が多く、完全競争に近い市場から、供給側もしくは需要側が一人と言った独占市場まで混在しているのが現実の市場の姿である。
したがって競争状態は、市場の参加者の数、つまりN対Nの関係で決まると言える。双方のNが無限大の場合には完全競争であり、1対NもしくはN対1の場合は独占市場である。現実の市場は両者の中間のどこかに位置している。そこで人々は、価格交渉で優位に立つため、グループを作る場合がある。各種の組合もその一つである。N対Nにおいて自分達の方のNをなるべく小さくすることが狙いである。世界の原油市場におけるオペックはこの典型的な例である。
ここで注意が必要なのは、これまでの説明の市場はあくまでも抽象的な概念での市場である。現実の市場は、他からの参入者の登場を考える必要がある。その市場の参入障壁が低ければ、仮にその市場が独占状態でも、価格を不当に釣り上げれば、他からの参入者が登場し、独占が崩されることになる。つまり独占で利益を得るためには、その市場の参入障壁が十分高いことが必要である。
市場での競争状態と利益の関係は、働く者の所得にも適用できる。一般的に、参入障壁が高い市場で働いている者ほど所得は高い。反対に完全競争に近い状態で働く者ほど所得は低い。ほぼ完全競争状態である今日のフリータの稼ぎは最低クラスにある。時給で1,000円と言うのは良い方であろう。一方、参入障壁の高い市場でかつ、規模の大きな企業の社員で年収1,000万円と言うのはめずらしくない。この場合、退職金や保険料の企業負担を加味すれば、実質的に年収は1,500万円近くになる。年間の労働時間が2,000時間とすれば、時給換算で7,500円である。時給7,500円のアルバイトは絶対にない。これだけ職種による競争状態で所得に格差が存在している。
以前、日本では、アルバイトは一時的な職種であったが、いつまでもアルバイトを続けるフリータと言う存在が今日当り前になった。またフリータに限らず、競争的な業界や業種に勤める者の所得は今後は増えない。つまりこれまでほとんどの人々が自分は中流と考えていた日本でも、収入の格差が固定化する流れがはっきりしてきたのである。この傾向に拍車をかけているのが、経済のグローバル化である。
それぞれの国の経済は日本と同様に、参入障壁に守られた所得の高い業種から、参入障壁の低い業種で構成されている。経済のグローバル化の究極の姿は、世界の市場が一つになることである。したがってグローバル化による影響が大きいのは、より参入障壁の低い業種である。この業種での競争が一段と激しくなるからである。世界の市場が一つになることから、米を作っている日本の農民の収入は、タイや中国の農民と同じレベルまで下がることになる。さらに大規模な耕作を行っているオーストラリアや米国の農業との競争もある。もっともこれは極端な観測であり、日本では今後も米作に対する保護政策はある程度続けられると思われる。しかし日本において、米作が半永久的に厳しい状況におかれることは容易に予想できる。
同じ企業の中にあっても、職種によってグローバル化の影響は異なる。ホワイトカラーよりブルーカラーの方がグローバル化の影響は大きい。自動車メーカーを考えれば理解しやすい。同じ工程で同じ仕事を行っている者同士の収入は、世界的にほぼ同じ水準になると思われる。つまり世界の時給が15ドルとなれば、日本でも15ドル相当額が報酬となる。したがって円高が進んだ場合が問題である。円換算の賃金を引下げられない場合には、メーカーは工場を海外に移転する他はなくなる。
一方、どの国にも比較的高い参入障壁を持っている産業がある。ほとんどの大企業はこれに属する。参入障壁が高くする要因は、先週号で述べたように、法律による規制の他では、特許権やノウハウと言った技術的なものや企業の大きな規模そのものなどがある。その他に過去からの宣伝広告費の累積効果や系列、さらに旧財閥のグループ関係なども参入障壁として機能する。
グローバル化が進めば当然競争は激しくなるが、先進国の大企業がグローバル化で、即倒産して消え去ると言うことはまずない。単独で生残れない場合でも、合併や提携、または外国の資本などの傘下に入ることで生残りを図ることになる。競争激化に伴い、合理化が行われ、人員整理の対象となる可能性もあるが、全ての社員が解雇されるケースはまれである。退職する場合も中小零細企業に比べ、手厚い条件が提示されるのが普通である。
以上述べて来たように、経済のグローバル化は、消費者にとってメリットがある反面、働く者にとって過酷な事態である。特に、参入障壁が低く完全競争に陥りやすい業種に携わる者にとっては厳しい。これによって所得の階層分化が進み、所得格差が大きくなる。日本においても、この傾向は最近顕著となっている。これが今後社会の軋轢と緊張を生み出すことになる。 経済のグローバル化に強く反発しているのが欧米のNGOである。彼等の行動の背景には、この所得の格差の拡大があると筆者は考えている。しかし欧米とも現在は、景気が良く失業者が少なくなっているので、この不満がまだこの程度に済んでいるとも考えられるのである。
- グローバル化に対する対応の違い
交易の自由化に反発する行動は特に欧州で激しい。フランスの漁民が魚をぶちまけて激しく抗議する姿を以前テレビで見たことがある。日本ではちょっと見られない光景である。そしてこのような抗議が今日のNGOの行動につながるものと理解している。WTOやIMFに対する、NGOの抗議は、表面的には「環境問題」や「人権問題」として行われている。しかし筆者は、根本に経済のグローバル化の影響が、これら漁民や農民また中小零細企業と言った参入障壁の低い業種に携わっている人々の生活基盤を直撃することを、彼等が知っているからと考える。今後、両者が結びつきがはっきりしてくると、この運動は以外な盛上がりを見せるのではないかと考えている。つまりNGOの行動は決して「ハネ上がり者」の行動ではないと言うことになる。
欧米、特に欧州にはまだ階級社会の名残りが色濃く残っている。農民の子供は農業を継ぎ、パン屋の息子はパン屋を継ぐことが当り前の社会である。これらの生活基盤がグローバル化で脅かされている。危機感を持つのが当たり前である。
一方、日本ほど大きく経済の構造が柔軟に変わった国はない。戦前は大半の人々は地方に住み、農業に携わっていたのである。戦後、この人々は大都市に大移動し、日本は一大産業国家となった。また農家のほとんどは兼業農家となり、この人々の生活基盤は農業と言うより地方に進出してきた工場や政府や地方が行う公共事業などである。また農民の子弟がサラリーマンになることは普通のことであった。また商店などの自営業も同様の傾向にある。
企業自身も構造を大きく変えている。時代の移り変わりとニーズの変化と共に事業内容を大きく変化させているのである。どの繊維会社も繊維の比重が小さくなっている。今だに魚を採っている漁業会社はない。このように今日日本で生残っている多くの大企業の事業内容は大きく変化している。また、これに加え、大企業の雇用調整や新卒採用減を中小零細企業がカバーしてきた。つまりこれまで日本の経済は、技術の進歩や、ここまで述べて来た「経済のグローバル化」に比較的柔軟に対処してきている。
したがって一般の日本国民は、欧米で起っているような経済のグローバル化にたいする反発や抗議運動をもう一つ理解できないのである。日本のマスコミやエコノミストも同様である。しかし問題は、日本でも柔軟な対処はこれ以上無理と言うことである。日本でも状況は変わっている。そろそろ日本も限界にきており、欧米と同様の「経済のグローバル化」に反発する動きがあっても不思議ではない状態にある。それにもかかわらず、そのような動きがないのは、既に人々が諦めているのか、それとも日本人が鈍感になっているからと考えている。これについては翌々週あたりに取上げたい。
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