- グローバル化の受け止め方
昨年12月のWTO(世界貿易機関)の閣僚会議の時、会場のあるシアトルには反グローバル派の人々が集結し、街は大混乱した。さらに4月には、彼等はワシントンに集まり、またもや気勢を上げた。ワシントンで開催されるIMFや世界銀行の一連の国際会議に合わせたものである。そして当然、次に注目されるのは、沖縄サミットに向けての彼等の活動である。
しかし反グローバル派、つまり経済のグローバル化に反対している人々は、実に多種多様なグループの集合体である。代表的なグループは労働組合、人権NGO、環境保護NGO、宗教団体、学生運動家、アナキストなどである。彼等の抗議活動は日本でも報道されており、多くの人々も知っている。
しかしこのような活動が行われているを知っていても、ほとんどの日本人には彼等の活動の背景はよく理解されていないのではないかと思われる。実際、「ハネ上がり者」の行動と思っている人も多いはずである。マスコミも騒ぎが起っている時には報道するが、反グローバル派の本質をさぐろうと言う姿勢はないようである。
資源のない日本は、物を製造し、製品を輸出し、必要な資源や製品を輸入して成立っている。つまり経済のグローバル化が日本経済に恩恵をもたらしているのであり、このことは誰でも理解している。日本では、経済のグローバル化に反対する者がいるとしても、農家や発展途上国と競合する製品を製造している中小企業くらいであろう。また農家も度重なる自由化の流れの中で、半分あきらめているのが現状と思われる。マスコミや経済学者は、グローバル化に反対する人々をむしろ「既得権にしがみつく人々」と決めつけ、これらの人々を擁護しようとする政治家には「構造改革に反する者」とレッテルを貼って非難する。たしかに経済のグローバル化で損害をこうむるのは、国内の一部の産業や分野に限られる。
経済活動において国境をなくそうとしている動きは、なにもWTOだけではない。EUのように通貨の統合までしようとする共同体もある。他にもASEANやNAFTA(北米自由貿易協定)がある。また南米にはブラジルなどのメルコスルやベネズエラなどのアンデス共同体がある。さらにこれら南米の地域経済統合体は、いずれ北米のNAFTAと共同市場を作る流れになっている。 日本もWTOでの活動と平行して、東アジアの各国との間で一段の自由化を模索している。
つまり世界的に見ても、経済のグローバル化は既定の路線である。しかしどの国も競争力のない産業を抱えており、全ての分野をオープンにするような国はない。日米間に限って見ても、両国の自由貿易への取組は過去から色々な曲折を経ている。繊維に始まり、鉄鋼、半導体、自動車と、日本はこれらの強い分野で自主規制を強いられてきた。一方、米国が強い農業の分野では、日本は自由化の時期を伸ばすことで妥協を探るなど、日本側の防戦が続いている。特に膨大な貿易黒字を続ける日本に対しては、市場開放の圧力は強い。
どの国も得意分野の自由化を主張し、弱い分野の自由化をなんとか回避しようと試みる。いずれの国の政府も自国の弱い産業を保護し、雇用の確保と社会の安定を目指すのが普通である。実に経済のグローバル化は、各国の思惑と妥協で進展してきた。そのため長い時間を要して今日の段階に達しているのである。
そこに冒頭に述べたグローバル化そのものに反対する勢力が台頭してきたのである。日本ではそれほど関心を持たれていないが、この動きは今後の経済のグローバル化の進展に、相当大きな影響を与えると筆者は考えている。また彼等の行動を単なる「ハネ上がり者」の行動として片ずけることはできず、背後に多くの支持者がいると考えられる。したがって筆者はまず彼等の主張を理解することが必要と考える。
- 経済のグローバル化の本質
経済のグローバル化は、貿易の活発化を通じ、各国に利益を与える。特に日本のように国内の需要が常に不足し、産業の競争力の強い国にとっては、市場が世界に広がることのメリットが大きい。また消費者の立場でも、購入する商品の選択肢が増え、消費生活は豊かになるメリットは大きい。もちろん価格競争が激しくなるため、物価の安定し、消費者に限っては、経済のグローバル化は良いことばかりである。
一方、生産者、つまり供給者側から見ると良いことばかりではない。たしかに国際的な競争力を持つ産業や企業にとっては、市場がそれだけ大きくなることは歓迎である。しかし国内にある産業の全てが競争力があるわけではない。特に人件費の高い日本では、生産費に占める人件費が大きい産業は、グローバル化で苦戦を強いられている。これらの産業は、製品の高品質化と一段の合理化が迫られている。しかしこの努力にも限界がある。むしろこれらの産業はどんどん発展途上国に取って替わられているのが現状である。そしてこの流れを加速しているのが、継続的な為替の円高傾向である。
次に経済のグローバル化を経済の理論面から見ることにする。グローバル化の究極の姿は、世界の市場が、あたかも一国の市場の状態になることである。(もっとも究極的には人の移動、つまり移民の自由と言うことになるが、これを論じると話が複雑になるのでここでは取りあえず省略する)つまり国の間の参入障壁を徹底的になくすことが「経済のグローバル化」である。参入障壁をなくすには、単に輸入制限や関税の撤廃に止まらず、税制や会計基準の統一、さらには環境保護政策のレベルの統一も必要になる。唯一残る障壁は運送費だけである。さらにもう一つ、障壁として残る可能性があるのは「言語」であろう。
世の中には、「競争」こそ人類の進歩にとって大切なことと信じている市場至上主義者、つまり市場原理主義者が多い。日本でもマスコミに登場する経済学者のほとんどが該当する。彼等に経済学を教わった者も同じ発想でろう。また若手の政治家の中にも同様の考えの者が多い。完全競争下でこそ「パレート最適」が実現し、資源が無駄なく配分されると言う考えである。したがって政府の経済への介入や各種の規制は、それを阻害し、非効率を発生させるだけと彼等は主張する。いわゆる彼等は「小さな政府」の信奉者でもある。例えば米作への保護政策やタクシー業界の競争の緩和政策は、彼等にとって「改革への逆行」と見なされる。
そして彼等の一番の特徴は、考え方が観念的と言うことである。現実を見ないのである。また現実を見ないから観念的でいられるのである。現実の経済の構造は彼等の想定しているものと隔たりがある。彼等は、全て規制を撤廃すれば、競争が活発に行われ、経済も活性化すると主張している。しかし彼等は、現実の産業構造を理解していないから、このような主張ができると考えている。
実際の産業構造は、参入障壁が高く価格支配力を持つ大企業からほとんど参入障壁のない零細企業や個人で成立っている。これらの参入障壁の低い業種では、ほっておけば競争がとことん行われ、生産物の価格も就労している人々の生活もままならなくなる水準に落込むことになる。一方、多くの大企業は、法律による規制と言う参入障壁がなくとも、規模の大きさそのものが参入障壁になる。また特許権とかノウハウと言うもので参入障壁をさらに高めているケースもある。そして最近では大企業の合併がさかんである。銀行、保険、証券などの金融機関と紙パルプ、化学、セメント、石油などの素材産業での合併が目立つ。これらの合併は、参入障壁を高くし、規模の経済性と価格の支配力を維持することが狙いである。
このように日本の国内を見ても、参入障壁が高い業界から極めて低い業界まである。一般的に参入障壁の高い業界に勤める人々の方が所得が高い。一方、以前は参入障壁の低い業界は法律や行政主導、あるい組合を結成することなどでなんとか利益を確保し、所得を維持してきた。しかし世の中の流れは競争を促進する方向に変わってきており、各方面で規制緩和が進み、立ち行かない業界が続出している。そしてこの流れに追い討ちをかけているのがまさに「経済のグローバル化」である。つまり経済のグローバル化で発生する厳しい状況は、参入障壁の低い産業や業界に集中するのである。
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