- 思考停止の人々
自己啓発セミナーの流れをくむ集団の「ミイラ死体事件」が話題になっている。この集団の一番の特徴は、主宰者(この集団ではグルと呼ばれている)の発言を「定説」と称して、メンバーはこれを絶対の真実と信じきっていることである。主宰者の思いつきやいい加減な発言が、この集団では「定説」となり、真実なのである。驚くことに、主宰者の発言、つまり「定説」を誰一人として疑おうとしない。
筆者も思わず笑ったのは、既にミイラ化した死体を「これはまだ死んではいない」と主張していた理由である。「定説」では人が死んだら温度は摂氏0度になるはずであり、このミイラはまだ11度もあり、死んでいるはずがないと主張しているのである。しかし摂氏0度とは冷蔵庫の中より冷たいのである。 スーパーで売っている肉や魚も間違いなく死体のはずである。死体が摂氏0度と言うなら、肉や刺身は冷蔵庫で保存する必要はないのである。 人が死んだら、その死体の温度は限り無く室温に近づくと考えられるが、この集団では、主宰者のこのとんでもない思いつき発言を信じていのである。
この主宰者は相当いい加減で、発言、つまりこの集団で「定説」と呼ばれているものも支離滅裂である。ちょっと考えてみれば、主宰者は大嘘つきと言うことが分かるはずであるが、これらの人々は考えると言うことを全くしないのである。まさに「思考停止の人々」である。
しかし世間では、一般の人々でもよく思考停止の状態になる。現代のように世の中が複雑になり、考えなければならないファクターの数が多くなると、世間で通用している「常識」をいちいち疑うことはしない。面倒なのである。ところがこれらの「常識」が常に正しいわけではなく、あやしい常識も多い。
筆者が問題にしたいのは、行政やマスコミがこのようなあやしい「常識」を前面に出し、結果的に世論を操作することである。情報を受取る人々が思考停止とみなし、あやしい常識を押し付けてくるのである。今週号で取上げる日経新聞の「春秋」と言うコラムもその一つの例である。
- ポリティシャンとステーツマン
「春秋」は日経新聞の一面のコラムであり、朝日新聞の「天声人語」に該当するものである。先日ここで、介護保険をめぐる与党の混乱を取上げていた。与党三党の合意によって介護保険料の徴収を半年の間、延期することに対するクレームである。もっともこれまでも各マスコミで、この決定に対しては「選挙目当てのバラマキ」と攻撃されてきた。たしかに筆者も多分に選挙を意識した決定と解釈している。しかし政治家が選挙を意識するのは当り前の話である。むしろ原案のまま施行した場合、相当大きな混乱が予想されると、現在の与党の執行部は判断したものと考えられる。
実際、原案は「自社さ」の連立政権の時に決まったものである。当時の厚生大臣は前民主党代表の管氏と自民党の小泉氏であった。小泉氏はどちらかと言えば、観念が先走る政治家であり、自民党の中でも浮いた存在である。また、不思議なことに原案は、進歩的女性評論家や社民党が賛成しているものである。また自民党でも地方を地盤にした代議士は、原案決定までほとんど「カヤの外」にいたと考えられる。したがって連立の組合せが変わった今日、介護保険について一もめあっても当然と考えられる。
しかし筆者が最も問題にしたいのは、介護保険自体のことではなく、「春秋」と言うコラムの論理の展開方法である。このコラムでは、まず「政治屋(ポリティシャン)は次の選挙のことを考え、政治家(ステーツマン)は次の世代のことを考える」と言う言葉を最初に引用している。コラムの執筆者の最終的な主張は、政治屋の選挙を意識した判断により、介護保険料の徴収が延期され、赤字国債の発行が増え、次の世代に借金が増えたと言うことである。極めて単純な論理の組立と話の進め方である。
筆者は、まず介護保険料の徴収すること自体が今の景気にマイナスと考える。日経新聞もちょっと前までは「景気対策として減税をせよ」と主張していたはずである。減税も同じ赤字国債の発行で行ったのである。ところがこの時には何も言わず、今回の赤字国債についてだけは、クレームをつけるとは日経新聞には一貫性がない。しかし筆者が今週号で問題とするのはこんなことではない。
問題は、暗黙にコラムの執筆者が、政治家の理想はステーツマンであり、与党の政治家はポリティシャンとして非難の対象にしていることである。そして執筆者はこの話を常識として論を進めているのである。たしかに多くの人々も、これまでこのような話を何回も聞かされ、これを疑う者はいない。つまり誰も反論しない話の進め方である。しかし筆者は、この常識が現代にも本当に通用するのか疑問である。
政治屋(ポリティシャン)が軽蔑の対象であり、政治家(ステーツマン)が尊敬されるべきと一体誰が決めたのだ。むしろ筆者は、政治家に求められる資質は、その国が置かれている状況や社会の状態で変わってくるはずと考える。建国間もない国や他国の植民地になっており独立を求めているような国は、強い指導力やビジョンを持ったリーダが必要となろう。このような指導者はステーツマンと呼ばれる資質が必要かもしれない。どの国でも政治家として尊敬されている人々は、国民の意思がはっきりしている時に現われているのが現実である。
反対に現在の日本のように、社会的にも経済的にも成熟した国では、人々の価値観も多様化しており、政治家に求められる資質も利害が対立する人々の間の調整能力である。このような調整に長けた政治家は往々にしてポリティシャンと決めつけられる可能性がある。 しかし今日の日本で政治問題なるものは、産業廃棄物施設の建設や米軍の基地移転問題など、関係者の利害が対立するものがほとんどである。したがって政治家には両者の間に入り、両者を説得し、話を一歩でも前進させるねばり強さが要求されるのである。 「彼は政治的に動く」と言う言葉がある。このように元々政治家と言うものは関係者の間の調整することを期待されているのである。
国際的に利害が対立する問題はもっと複雑である。イスラエルとパレスチナの問題などはその典型例であろう。また、国際捕鯨委員会の日本の立場もこれに似ている。反捕鯨国の主張はとても理不尽である。したがって日本には、これからさっさと脱退し、捕鯨を再開する選択枝もあるが、日本の主張に同調してくれる国を一国ずつ増やす努力をねばり強く行っているのが現状である。筆者は、政治にはこのような地道な努力が必要と考える。そしてこのような行動ができるのはポリティシャと呼ばれる政治家であり、観念先行のステーツマンタイプの政治家には無理である。このように「ステーツマンは偉く、ポリティシャンは軽蔑の対象」と言う話は、実にあやしい常識である。
今回の不況も、ステーツマンを気取った橋本政権の財政再建路線の影響が大きい。次の世代に借金を残してはいけないと言う、観念論の結果、もっと大きな借金を残すことになっているのである。 「春秋」のコラムようにあやしい常識を前面に出し、読者の思考停止を前提に話を進めるケースが目に付く。これらの執筆者は読者をなめ切っているのである。
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