- 日銀のポリシー
今週号では、「月間現代11月号」における日銀総裁の発言を取上げ、日銀の日本経済とのかかわり、特に為替な対する日銀のスタンスと言うものを検証する。そもそもこの記事のタイトルは「日銀による国債の引受けは日本を滅ぼす」と言ったテーマであった。 記事は、経済ジャーナリストの質問に答えると言った形式であったが、質問も一方的に日銀サイドに立ったものであり、全体ではいわゆる日銀の広報誌の記事みたいなものであった。
このような記事が登場した背景は、円高が急速に進行したのに対して、日銀総裁の発言が迷走していたと受取られ、日銀に対する風当たりが強くなっていたことが挙げられる。実際、「為替相場を金融政策の目的とはしない」と言う日銀総裁の発言を受け(実際は、その動向や影響は注意深く見ていくと言う言葉が続いていたが)、円が急騰し、株価が急落した。その後、G7では「為替変動の影響も含めて適時適切に対応する」とか「円高懸念を共有する」と釈明することになった。
しかし筆者は、本誌で以前に述べたように、G7以降の発言をまともには受取っていない。たしかに日銀は、円安については将来の物価上昇が懸念され、その為替動向に関心を持つかもしれないが、反対の局面、つまり円高はむしろ日銀の考えでは好ましい状況であり、これを円安に持っていこうと言う政策は日銀にとってポリシーに反することである。日銀と言う「村」の論理は物価の安定、つまり日銀券の価値の維持だけが重要であり、それ以外のことに関心も興味もないのである。不景気で世の中に失業者が多くなり、自殺者やホームレスが増えても、本心ではどうでも良いと考えているのである。
しかし筆者は、決してこのような日銀の考えや行動を非難しているのではない。むしろ日銀が為替や失業に本気に関心を持つ方が不思議なのである。これら経済全体に関心と責任を持つべきは政治のはずである。大局的に見て正しい経済政策でも、たしかに日銀が実行をいやがることもありうる。しかしこのような政策を日銀に実行させるのも政治の役目のはずである。もしこのような政策が間違であれば、政治家は選挙で負けるだけである。 ところが現実は、日銀に対しては、政治家も大蔵省もまるで「はれもの」にさわるような態度である。マスコミも訳も分からないのに「日銀の独立性」は絶対不可侵と主張している。これも「改正日銀法」と言うとんでもない法律を通した影響である。
日銀の独立性が高まれば、当然、日銀は「村」の論理での行動を強めるに決まっている。しかしこの日銀の論理が国民経済にとってプラスになるとは限らない。したがって日銀に、日本の金融政策の全般をゆだねると言う主張は、本当にばかげている。日銀を万能の神と誤解しているのである。 「月間現代11月号」のテーマである「日銀による国債の引受け」も、もし国民経済にとってプラスなら行うべきである。もっとも筆者も、現在はそこまで必要とは考えてはいない。しかし政府は、経済政策の方策の選択肢の一つとして、これを行えるようにしておくべきものと考える。
- 日銀の為替の認識
「月間現代11月号」の日銀総裁の発言で問題と思われる事柄は色々あったが、紙面の都合もあり、とりあえず一つだけ取上げる。これもやはり「為替」に関することである。経済ジャーナリストの「近頃の円高で企業が苦境に落ち入っており、景気にも悪影響が考えられるが」と言う質問に対して、まず日銀総裁は「円高が急速に進むことが困る」とここまではどちらかと言えば常識的な答であった。もっとも筆者は、円高は円高が急速に来ようが、ゆっくり来ようが問題と考えている。これについては別の機会にまた述べることにし、ここでは割愛する。
問題は、円高に対応する企業の行動についての発言である。日銀総裁は、為替変動リスクの回避には「円建て取引」を拡大すべきと強く主張していたのである。ドイツの例を出し、「ドイツの企業はもっとマルク建ての取引の割合が大きい。日本でも力のある企業は円建て取引を大きくすれば良い」と述べていたのである。つまり円高に伴う経済問題の解決方法は「円建て取引」の拡大と主張しているのである。世間にも同様のことを言う人々がいるが、これは全くの誤解であり、これついては簡単な説明が必要と思われる。
海外との取引で為替が変動すると為替差損益が発生するが、為替差損益には二種類のものがある。一つは決済に伴う為替差損益である。取引が成立し、債権債務額が、例えば米ドル建てで確定した後、円貨で決済がなされるまでに為替が変動した場合、この決済に伴う為替差損益が発生する。とくに原油の輸入などのように支払いの猶予、つまりユーザンスなどがある場合には、円貨で決済までの時間が長くなり、この間に為替が変動するケースが多く、その場合には決済に伴う為替差損益が発生するのである。
そして為替変動に伴う為替差損益にはもう一つの形がある。輸入の場合には仕入差損益と呼ばれるものである。1ドル120円だった為替が100円になれば、20円の差益が発生する。売価を1ドル120円の計算で予算を組んでいた場合、売価を維持さえできれば、差額の20円分が仕入差益となる。輸出の場合にも同様の差損益が発生する。120円で予定していた円貨の受取が100円になった場合、逆に20円の差損をこうむることになる。これを回避するには2割の売価のアップが必要であり、値上が全て転嫁できない場合には、差損がどうしても発生することになる。これは仕入差損益に対して出荷差損益と言えるものである。
たしかに前者のような確定した債権債務の決済に伴う為替差損益については、日銀総裁が強く主張していたように、取引を「円建て」にすることによって回避することができる。しかし為替変動が経済に及す問題が大きいのは、後者の仕入差損益や出荷差損益である。これは一つの経済の構造的問題となる。1ドル120円のものが100円となり、そのまま為替水準がほとんど動かなくなれば、輸出企業は海外で売価をその分を値上げするか、生産コストを削減する他はない。たしかに輸入物価が下がるが、それでカバーできるはずがない。当然この影響は下請企業や社会全体にも波及する。
日本経済は変動相場制に移行してから、この円高の対応にずっと追われてきた。そして国内での対応に限界を感じた企業は海外に生産拠点を移している。本誌でも以前、「スペインの対日輸出の最大の物は自動車」と言う話を紹介した。今回の円高もこのような動きを加速させるものである。つまり有力企業が円高への抵抗力を強めて、この困難を乗切るだけでは済まないのである。円高の影響はこのように極めて深刻なのである。
前者の債権債務の決済に伴う為替差損益、つまり「円建て取引」で回避できる為替差損益の部分は一過性のものであり、むしろ大した問題ではない。そしてこの部分は「ドル建て」で取引をしていても、為替予約しておけばリスクを回避できるのである。 このように筆者もうすうす感じていたことであるが、為替変動に伴う問題を日銀総裁はまるで理解していないのである。そしてどうも総裁だけでなく、日銀全体が為替についての認識が極めて低いと考えられるのである。
政治家が日銀の政策にちょっとでもクレームをつけると、訳の分からないエコノミストやマスコミが、「日銀の独立性を脅かす暴言」と騒ぎ出すのである。どうもこれらの人々は、日銀は経済のプロであり、彼等にまかせておけば間違がないと言う、根拠のない淡い期待を持っているようである。しかし為替の認識に見られるように、日銀は決してそのような存在ではない。彼等に関心があるのは、村の論理である「インフレ」が起こさないと言うことだけである。しかし前述したように、筆者もそれでも良いと考えている。結論としてこのような日銀に対して、法律を改正してまで、独立性を強めたことが完全に間違だったと言うことである。
他にも「月間現代11月号」での日銀総裁の問題のある発言は色々ある。一つの例は「日銀は銀行のトップに立つ銀行」と言う日銀総裁の発言である。しかしこれについては別の機会にまた取上げることにする。ただここで一言だけ言っておけば、「日本銀行は決して銀行ではない。政府の一機関である。また日銀の職員も決して銀行員ではない。公務員である。」と言うことである。
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