- 組織の論理と市場
人々が集まると組織ができあがる。しかしその組織も、よく見るとより小さい単位の組織の集合体である。組織には、夫々組織の論理があり、利害が存在する。組織の中にあっては、組織の論理を推進することが当たり前で、これを否定することはタブーである。日本の組織はよく「村」、あるいは「村社会」に例えられる。そして「村」には「村の掟」がある。
日本の官僚組織は「村社会」の典型であろう。官僚組織のような閉鎖的で外部との交流、特に人事の交流のない組織では、人々はどんどん「村」の住人になって行く。そのうち自分達の組織の論理や目標が全てとなる。大蔵省の主計局の目標は「財政の再建」である。厚生省にも厚生省の論理がある。以前、景気対策で減税が行われた年に、年金の徴収額のアップを行ったことがある。まさに厚生省は「我が道を行く」と言う役所である。さすがに今回の不況では、予定していた年金の徴収額のアップは撤回させられた。
官僚組織は「村」の集まりであり、しばしば村同士の論理の対立が起る。通商交渉においては、外交関係を重視する外務省と、国内の産業の立場を重視する通産省の間では利害が対立する。さらに各省も村の集まりで、省内にも利害の対立があるのが普通である。
しかし組織に属する人々がその組織の論理に染まって行くこと自体は不思議なことではない。このことは何も官僚組織だけに限られるものではない。自分の属する組織に忠実と言うことは、一般的で、自然なことである。またこれは何も日本の組織に限られることではない。世界中の組織と言う組織は似たり寄ったりと考えられる。 筆者のある知人は巨人ファンだったはずであったが、たまたまプロ野球を持つ会社に就職し、現在はその球団を熱心に応援している。話によれば、その会社に就職した者は、全員そのようになると言うことである。これも考えて見れば、当然のことかもしれない。ひいきの球団一つをとっても、人々は自分の所属する組織に染まって行くのである。
このように組織には組織の論理があり、組織に属する人々がその論理を尊重することは当然のことである。しかし問題は、その論理が正しいかどうかと言うことである。場合によっては、昔は正しかった論理も、状況が変わった今日では正しくないこともある。
話が民間の会社の場合は、組織の論理が正しいのかどうかについては、割りとはっきりと分かる。市場が存在するからである。いくら会社の論理が正しいと主張しても、市場が受入れなかったら、それまでである。新製品の投入を行っても、売れなければ、会社が傾くだけである。民間には市場と言うものが存在し、常に緊張が強いられるのである。会社組織が市場には受入れられないか、もしくは時代に遅れの論理で行動すれば、業績は低迷し、いずれは淘汰されることになる。
一方、官僚組織に対しては、市場原理が働かない。たしかに前述したように、各省庁間に関わる事項で利害が対立するケースがあるが、これを除けば、互いに干渉しないのが普通である。いわゆる縦割り行政である。 市場にさらされることがない行政組織の論理は、既に時代遅れになっていたり、社会に混乱を引き起こすことがよくある。今後省庁の統合が予定されており、切磋琢磨する機会がそれだけ小さくなる。つまり官僚組織では、ますますひとりよがりの論理がまかり通る可能性が強くなるのである。
- 日銀村への対応
閉鎖的な村社会である官僚組織が進めようとする政策は、どうしても独善的になり、実態に合わないものになりやすい。しかしこれらに修正を加えたり、政府の行動を最終的に決定するのは政治である。したがって実際に政策が行われた場合にも、官僚は責任を取ることはない。反対に政治の責任は極めて重くなるが、これも当然のことである。採用した政策が間違っておれば、政権への支持が減り、選挙に負け、政権を失うことになる。政権を失いたくないのなら、官僚が進めようとする政策を吟味する必要がある。
これを過ったのが、橋本政権の「財政再建路線」である。大蔵省の財政当局の村の論理を鵜呑みにすれば、「財政の再建」が最重要政策になるのは当たり前である。問題は、政治家がはたしてこれを政策として取上げるかどうかの判断である。ところが大蔵省の、それも一部局の政策が、橋本政権のもとで国家目標にまでなったのが「財政再建政策」であった。結果が示す通り、これはものすごい失敗であった。「財政再建法」は成立すると同時に失効すると言う前代未聞の法律であった。また橋本政権の財政再建政策で日本経済はボロボロになった。筆者は、日本の自殺者の急増や、インドネシアの政権崩壊に到ったアジアの経済危機の大きい原因の一つは、この橋本政権の経済政策の間違いと考えている。
財政再建路線の結果、信用不安が表面化し、景気も急速に後退した。この結果、自民党は参院選で大敗し、橋本総理は任期半ばで退陣した。ところで最近、橋本政権は大蔵当局に乗せられて、財政再建路線にのめり込んだと言う話を聞く。しかし、これはおかしな話である。政策を最終的に決定したのは政治であり、責任は全面的に政治が負うべきである。政治家にはそれだけ高度な判断力が必要とされるのである。
橋本政権を引き継いた小渕政権は、前政権と180度異なった経済政策を行っている。景気もようやく下げ止まり、ようやく上向こうと言う段階である。小渕政権の経済政策は、20兆円の信用枠の設定に見られるように、景気対策のためには何でもやると言うところが特徴である。しかしそれだけやっても本格的な回復はむずかしいのである。ところが小渕政権の経済政策の前にとんでもない障害が出現したのである。日銀である。
日本政府の要望に反して、日銀は一段の金融緩和を拒否した。一時は金融緩和に傾いたと言う報道もあったが、日銀政策委員会は、これ以上の緩和は行わないと最終決定を行った。為替もこの決定により一段の円高となっている。さらに株価も日銀の決定と円高により大幅安になっている。 小渕政権にとってもっとも重要な政策は景気の回復である。日銀の決定はこれに水を差すものである。ところが昨年日銀法が改正され、日銀の独立性が一段と高まり、日銀の行動には政府の力も及ばないのである。日銀と言う村で決定された政策には、国民から選ばれた政治家も何も言えないのが現状である。しかし忘れてならないのは、日銀村で一番重要なことは「日銀券」の価値を守ることである。そして驚くことに、彼等が間違いを冒し、日本経済に重大な悪影響を及しても、彼等は全く責任を取る必要はないのである。
筆者の主張は二つある。一つは日銀法の再改正であり、もう一つは日銀総裁の即刻辞任である。これらについては来週号でさらに言及するが、後者についてはここでも簡単に述べておこう。 日銀の独立性は高まったが、政治が唯一関与できることがある。総理大臣が日銀総裁を任命することである。ところで現在の速水日銀総裁は、小渕総理ではなく、橋本前総理が任命したものである。本来なら橋本総理が辞任した時に辞めるべきだったと考える。少なくとも進退伺いを出すべきであった。そして小渕総理が望むのなら再任されれば良かったのである。少なくとも小渕総理が前総理の残りの任期を消化した今日、前総理に任命された速水日銀総裁は辞任すべきである。
筆者は、橋本前総理の在任中に施行されたり、計画された経済関係の法律は全て見直すべきと考える。「財政再建法」が事実上失効しているように、他にも問題の多いものが多い。金融の自由化と言っても、ペイオフまで本当に必要なのか疑問である。株式の源泉分離課税の廃止も予定されている。さらにこの日銀法の改正である。 アンケートで「財政再建」が一番重要な政策と言う回答が大半を占めていたように、当時はとにかく異常な空気に世間が支配されていたのである。マスコミも国民も「何か」にとりつかれていたのである。正気に戻ったのは、拓銀や山一が破綻した頃からである。この頃までに決められたり、準備された経済関係の法律は、観念論に支配されたものが多く、とにかく問題が多い。
筆者は、日銀の方針は最終的には変更され、一段の金融緩和は行われるものと読んでいる。しかし簡単に方針を変更してもらっては困るのである。多少日本経済は混乱するかもしれないが、いかに日銀の村の論理が、現在の日本経済の実態にいかに合っていないかを、世間に理解してもらうことが必要なのである。そしてさらに重要なことは、日本経済の実態に合わない改正日銀法の再改正が絶対必要と言う世間の理解である。 筆者が今問いたいのは、「日銀の独立性」と言う実体のないものの引き換えに、マクロ経済の失敗に対して、日銀が全ての責任を本当に負うつもりなのかと言うことである。筆者の主張は、こう言うものは政治が責任を負う種類のものと言うことである。
|