平成9年2月10日より
経済コラムマガジン



99/9/27(第132号)
日銀の独立性(その1)
  • 組織の論理と市場
    人々が集まると組織ができあがる。しかしその組織も、よく見るとより小さい単位の組織の集合体である。組織には、夫々組織の論理があり、利害が存在する。組織の中にあっては、組織の論理を推進することが当たり前で、これを否定することはタブーである。日本の組織はよく「村」、あるいは「村社会」に例えられる。そして「村」には「村の掟」がある。

    日本の官僚組織は「村社会」の典型であろう。官僚組織のような閉鎖的で外部との交流、特に人事の交流のない組織では、人々はどんどん「村」の住人になって行く。そのうち自分達の組織の論理や目標が全てとなる。大蔵省の主計局の目標は「財政の再建」である。厚生省にも厚生省の論理がある。以前、景気対策で減税が行われた年に、年金の徴収額のアップを行ったことがある。まさに厚生省は「我が道を行く」と言う役所である。さすがに今回の不況では、予定していた年金の徴収額のアップは撤回させられた。

    官僚組織は「村」の集まりであり、しばしば村同士の論理の対立が起る。通商交渉においては、外交関係を重視する外務省と、国内の産業の立場を重視する通産省の間では利害が対立する。さらに各省も村の集まりで、省内にも利害の対立があるのが普通である。

    しかし組織に属する人々がその組織の論理に染まって行くこと自体は不思議なことではない。このことは何も官僚組織だけに限られるものではない。自分の属する組織に忠実と言うことは、一般的で、自然なことである。またこれは何も日本の組織に限られることではない。世界中の組織と言う組織は似たり寄ったりと考えられる。
    筆者のある知人は巨人ファンだったはずであったが、たまたまプロ野球を持つ会社に就職し、現在はその球団を熱心に応援している。話によれば、その会社に就職した者は、全員そのようになると言うことである。これも考えて見れば、当然のことかもしれない。ひいきの球団一つをとっても、人々は自分の所属する組織に染まって行くのである。

    このように組織には組織の論理があり、組織に属する人々がその論理を尊重することは当然のことである。しかし問題は、その論理が正しいかどうかと言うことである。場合によっては、昔は正しかった論理も、状況が変わった今日では正しくないこともある。

    話が民間の会社の場合は、組織の論理が正しいのかどうかについては、割りとはっきりと分かる。市場が存在するからである。いくら会社の論理が正しいと主張しても、市場が受入れなかったら、それまでである。新製品の投入を行っても、売れなければ、会社が傾くだけである。民間には市場と言うものが存在し、常に緊張が強いられるのである。会社組織が市場には受入れられないか、もしくは時代に遅れの論理で行動すれば、業績は低迷し、いずれは淘汰されることになる。

    一方、官僚組織に対しては、市場原理が働かない。たしかに前述したように、各省庁間に関わる事項で利害が対立するケースがあるが、これを除けば、互いに干渉しないのが普通である。いわゆる縦割り行政である。
    市場にさらされることがない行政組織の論理は、既に時代遅れになっていたり、社会に混乱を引き起こすことがよくある。今後省庁の統合が予定されており、切磋琢磨する機会がそれだけ小さくなる。つまり官僚組織では、ますますひとりよがりの論理がまかり通る可能性が強くなるのである。


  • 日銀村への対応
    閉鎖的な村社会である官僚組織が進めようとする政策は、どうしても独善的になり、実態に合わないものになりやすい。しかしこれらに修正を加えたり、政府の行動を最終的に決定するのは政治である。したがって実際に政策が行われた場合にも、官僚は責任を取ることはない。反対に政治の責任は極めて重くなるが、これも当然のことである。採用した政策が間違っておれば、政権への支持が減り、選挙に負け、政権を失うことになる。政権を失いたくないのなら、官僚が進めようとする政策を吟味する必要がある。

    これを過ったのが、橋本政権の「財政再建路線」である。大蔵省の財政当局の村の論理を鵜呑みにすれば、「財政の再建」が最重要政策になるのは当たり前である。問題は、政治家がはたしてこれを政策として取上げるかどうかの判断である。ところが大蔵省の、それも一部局の政策が、橋本政権のもとで国家目標にまでなったのが「財政再建政策」であった。結果が示す通り、これはものすごい失敗であった。「財政再建法」は成立すると同時に失効すると言う前代未聞の法律であった。また橋本政権の財政再建政策で日本経済はボロボロになった。筆者は、日本の自殺者の急増や、インドネシアの政権崩壊に到ったアジアの経済危機の大きい原因の一つは、この橋本政権の経済政策の間違いと考えている。

    財政再建路線の結果、信用不安が表面化し、景気も急速に後退した。この結果、自民党は参院選で大敗し、橋本総理は任期半ばで退陣した。ところで最近、橋本政権は大蔵当局に乗せられて、財政再建路線にのめり込んだと言う話を聞く。しかし、これはおかしな話である。政策を最終的に決定したのは政治であり、責任は全面的に政治が負うべきである。政治家にはそれだけ高度な判断力が必要とされるのである。

    橋本政権を引き継いた小渕政権は、前政権と180度異なった経済政策を行っている。景気もようやく下げ止まり、ようやく上向こうと言う段階である。小渕政権の経済政策は、20兆円の信用枠の設定に見られるように、景気対策のためには何でもやると言うところが特徴である。しかしそれだけやっても本格的な回復はむずかしいのである。ところが小渕政権の経済政策の前にとんでもない障害が出現したのである。日銀である。

    日本政府の要望に反して、日銀は一段の金融緩和を拒否した。一時は金融緩和に傾いたと言う報道もあったが、日銀政策委員会は、これ以上の緩和は行わないと最終決定を行った。為替もこの決定により一段の円高となっている。さらに株価も日銀の決定と円高により大幅安になっている。
    小渕政権にとってもっとも重要な政策は景気の回復である。日銀の決定はこれに水を差すものである。ところが昨年日銀法が改正され、日銀の独立性が一段と高まり、日銀の行動には政府の力も及ばないのである。日銀と言う村で決定された政策には、国民から選ばれた政治家も何も言えないのが現状である。しかし忘れてならないのは、日銀村で一番重要なことは「日銀券」の価値を守ることである。そして驚くことに、彼等が間違いを冒し、日本経済に重大な悪影響を及しても、彼等は全く責任を取る必要はないのである。

    筆者の主張は二つある。一つは日銀法の再改正であり、もう一つは日銀総裁の即刻辞任である。これらについては来週号でさらに言及するが、後者についてはここでも簡単に述べておこう。
    日銀の独立性は高まったが、政治が唯一関与できることがある。総理大臣が日銀総裁を任命することである。ところで現在の速水日銀総裁は、小渕総理ではなく、橋本前総理が任命したものである。本来なら橋本総理が辞任した時に辞めるべきだったと考える。少なくとも進退伺いを出すべきであった。そして小渕総理が望むのなら再任されれば良かったのである。少なくとも小渕総理が前総理の残りの任期を消化した今日、前総理に任命された速水日銀総裁は辞任すべきである。

    筆者は、橋本前総理の在任中に施行されたり、計画された経済関係の法律は全て見直すべきと考える。「財政再建法」が事実上失効しているように、他にも問題の多いものが多い。金融の自由化と言っても、ペイオフまで本当に必要なのか疑問である。株式の源泉分離課税の廃止も予定されている。さらにこの日銀法の改正である。
    アンケートで「財政再建」が一番重要な政策と言う回答が大半を占めていたように、当時はとにかく異常な空気に世間が支配されていたのである。マスコミも国民も「何か」にとりつかれていたのである。正気に戻ったのは、拓銀や山一が破綻した頃からである。この頃までに決められたり、準備された経済関係の法律は、観念論に支配されたものが多く、とにかく問題が多い。

    筆者は、日銀の方針は最終的には変更され、一段の金融緩和は行われるものと読んでいる。しかし簡単に方針を変更してもらっては困るのである。多少日本経済は混乱するかもしれないが、いかに日銀の村の論理が、現在の日本経済の実態にいかに合っていないかを、世間に理解してもらうことが必要なのである。そしてさらに重要なことは、日本経済の実態に合わない改正日銀法の再改正が絶対必要と言う世間の理解である。
    筆者が今問いたいのは、「日銀の独立性」と言う実体のないものの引き換えに、マクロ経済の失敗に対して、日銀が全ての責任を本当に負うつもりなのかと言うことである。筆者の主張は、こう言うものは政治が責任を負う種類のものと言うことである。



G7の結果が報道されているが、まだ詳しいことは分からない。来週号ではこれについても述べることになる。ただ日銀に圧力が集中しているようで、日銀は金融緩和の方策を検討すると言う、妥協案を示したとも報道されている。これが本当なら、日銀は日本政府の要請は無視するが、米国政府には簡単に言いなりになると言うことである。つまり日銀は、日銀法の改正で日本政府から独立し、米国財務省の下請けになったと言うことである。


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99/9/20(第131号)「社会的欲求と日本経済」
99/9/13(第130号)「欲求と日本経済成長の関係」
99/9/6(第129号)「日本経済と欲求の限界(その2)」
99/8/30(第128号)「日本経済と欲求の限界(その1)」
99/8/9(第127号)「エコノミストの格付け(その3)」
99/8/2(第126号)「エコノミストの格付け(その2)」
99/7/26(第125号)「エコノミストの格付け(その1)」
99/7/19(第124号)「規制緩和と通産省」
99/7/12(第123号)「供給サイドの経済学」
99/7/5(第122号)「インターネットと日本経済(その2)」
99/6/28(第121号)「インターネットと日本経済(その1)」
99/6/21(第120号)「銀行員とリスク(その2)」
99/6/14(第119号)「銀行員とリスク(その1)」
99/6/7(第118号)「銀行のバブル期の行動」
99/5/31(第117号)「日本の銀行とリスク」
99/5/24(第116号)「需給ギャップと景気回復」
99/5/17(第115号)「経済の構造改革」
99/5/10(第114号)「サマータイムと日本人」
99/5/3(第113号)「地価動向と景気回復」
99/4/26(第112号)「お金持ちとリスク」
99/4/19(第111号)「日本のお金持ち」
99/4/12(第110号)「寡占と所得の分配」
99/4/5(第109号)「寡占市場の話」
99/3/29(第108号)「完全競争市場の話」
99/3/22(第107号)「独占市場の話」
99/3/15(第106号)「本誌の経済予想とその間違い」
99/3/8(第105号)「景気の現状(99年春)」
99/3/1(第104号)「立派な社会と景気回復」
99/2/22(第103号)「現代の日本経済と投資」
99/2/15(第102号)「需給ギャップと投資」
99/2/8(第101号)「99年度の経済を見通す」
99/2/1(第100号)「公共投資の将来を考える」
99/1/25(第99号)「今後の景気対策を考える(その2)」
99/1/18(第98号)「景気の見通しを考える」
99/1/11(第97号)「今後の景気対策を考える(その1)」
98/12/28(第96号)「不況の原因と消費税減税を考える」
98/12/21(第95号)「米国経済の光と影を考えるーーその2」
98/12/14(第94号)「米国経済の光と影を考えるーーその1」
98/12/7(第93号)「自自連立政権を考える」
98/11/30(第92号)「公共投資と経済を考えるーーその2」
98/11/23(第91号)「緊急経済対策を考える」
98/11/16(第90号)「公共投資と経済を考えるーーその1」
98/11/9(第89号)「「空気」を考えるーーその2」
98/11/2(第88号)「「空気」を考えるーーその1」
98/10/26(第87号)「景気対策論議を考える」
98/10/19(第86号)「為替レートの今後のトレンドを考える」
98/10/12(第85号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその3」
98/10/5(第84号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその2」
98/9/28(第83号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその1」
98/9/21(第82号)「為替レートのトレンドを考える」
98/9/14(第81号)「バブルの清算と公金投入を考える」
98/9/7(第80号)「公金投入の整合性を考える」
98/8/31(第79号)「政治と経済の混乱を考える」
98/8/10(第78号)「今回の不況の原因を考える」
98/8/3(第77号)「新政権の人事を考える」
98/7/27(第76号)「小淵新自民党総裁誕生を考える」
98/7/20(第75号)「橋本総理退陣を考える」
98/7/13(第74号)「マスコミの驕りを考えるーーその2」
98/7/6(第73号)「マスコミの驕りを考えるーーその1」
98/6/29(第72号)「参院選と経済を考える」
98/6/22(第71号)「為替介入の背景を考える」
98/6/15(第70号)「橋本総理と円安を考える」
98/6/8(第69号)「日本の金融を考える」
98/6/1(第68号)「経済への関心を考える」
98/5/25(第67号)「世論と経済政策を考えるーーその2」
98/5/18(第66号)「世論と経済政策を考えるーーその1」
98/5/11(第65号)「アンケートと経済政策を考える」
98/5/4(第64号)「今回の景気対策を考える」
98/4/27(第63号)「消費の限界を考えるーーその2」
98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」
98/4/13(第61号)「恒久減税を考える」
98/4/6(第60号)「今回の自民党の景気対策を考える」
98/3/30(第59号)「米国の対日経済要求を考える」
98/3/23(第58号)「新日銀総裁の就任を考える」
98/3/16(第57号)「今回の不況の深刻さを考える」
98/3/9(第56号)「日米の景気対策を考える」
98/3/2(第55号)「日経新聞と経済を考えるーーその2」
98/2/23(第54号)「日経新聞と経済を考えるーーその1」
98/2/16(第53号)「貸し渋りと景気を考える」
98/2/9(第52号)「政治と経済を考える」
98/2/2(第51号)「官僚と経済を考える」
98/1/26(第50号)「「小さな政府」を考えるーーその3」
98/1/19(第49号)「「小さな政府」を考えるーーその2」
98/1/12(第48号)「「小さな政府」を考えるーーその1」
97/12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」
97/12/15(第46号)「景気の現状と対策を考えるーーその8」
97/12/8(第45号)「景気の現状と対策を考えるーーその7」
97/12/1(第44号)「京都会議と経済を考える」
97/11/24(第43号)「景気の現状と対策を考えるーーその6」
97/11/17(第42号)「景気の現状と対策を考えるーーその5」
97/11/10(第41号)「景気の現状と対策を考えるーーその4」
97/11/3(第40号)「景気の現状と対策を考えるーーその3」
97/10/27(第39号)「景気の現状と対策を考えるーーその2」
97/10/20(第38号)「景気の現状と対策を考えるーーその1」
97/10/13(第37号)「市場の心理を考える」
97/10/6(第36号)「公共事業とマスコミを考える」
97/9/29(第35号)「リクルート事件と経済を考える」
97/9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」
97/9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」
97/9/8(第32号)「住宅と貯蓄を考える(その1)」
97/9/1(第31号)「労働組合と経済を考える」
97/8/25(第30号)「競争時代の賃金を考える」
97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」
97/8/11(第28号)「米国の景気を考える(その2)」
97/8/4(第27号)「米国の景気を考える(その1)」
97/7/28(第26号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その2)」
97/7/21(第25号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その1)」
97/7/14(第24号)「香港返還と中国経済を考える(その2)」
97/7/7(第23号)「香港返還と中国経済を考える(その1)」
97/6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」
97/6/23(第21号)「投機と市場を考える」
97/6/16(第20号)「規制緩和と日米関係を考える」
97/6/9(第19号)「ビックバンと為替を考える」
97/6/2(第18号)「内需拡大と公共工事を考える(その2)」
97/5/26(第17号)「内需拡大と公共工事を考える(その1)」
97/5/19(第16号)「金利と為替を考える」
97/5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」
97/5/5(第14号)「為替の変動を考える」
97/4/28(第13号)「日本の物価と金利を考える(その2)」
97/4/21(第12号)「日本の物価と金利を考える(その1)」
97/4/14(第11号)「日本の土地価格を考える」
97/4/7(第10号)「当マガジン経済予測のレビュー」
97/3/31(第9号)「日本の株式を考える」
97/3/24(第8号)「たまごっちと携帯電話を考える」
97/3/17(第7号)「政府の景気対策を考える」
97/3/10(第6号)「オリンピックと景気を考える」
97/3/3(第5号)「為替レートの動向を考える(その2)」
97/2/24(第4号)「為替レートの動向を考える(その1)」
97/2/17(第3号)「日本の金利水準と為替レートを考える」
97/2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」
97/2/1(第1号)「株価下落の原因を考える」「今後の景気動向を考える」

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