平成9年2月10日より
経済コラムマガジン

市外一律3分20円、国際電話や携帯電話へも割安。パソコン不要、普通の電話から通話。


99/9/6(第129号)
日本経済と欲求の限界(その2)
  • 日本経済と小さな政府
    「小さな政府論」や「供給サイド重視主義」を主張するエコミミストや経済学者、つまり新古典派の人々に関する一番の問題点は、新古典派の理論そのものが正しいかどうかを別にして、自分達の考えが、時代を越え、国を越え現実の経済に対しても有効と堅く確信していることである。しかしその国の経済の発展段階によって、適用できる理論が違うことがありうる。特に日本は、ある面では経済の発展段階が米国より先に行っていると筆者は考える。バブルの経験も日本の方が先だったし、社会の高齢化も日本の方が進んでいるのである。また経済の発展段階の話は、経済的豊かさとは別次元の話である。

    まず今週号は、「小さな政府」と「大きな政府」のどちらの方が好ましいのかを論じることから始める。ただ、その前に経済における政府の働きについて整理しておく必要があると考える。筆者は、政府の働きには、制度的なもの、つまり法律や行政による経済の管理と、もう一つは財政がある考えている。世間では、よくこの両者をごっちゃにして論じられているのである。もっとも、「小さな政府」論者にとっては、はっきりしており、単純に両方とも小さい方が良いと考えており、両者をことさら分ける必要がないのかもしれない。とにかく彼等は、政府がなるべく経済にタッチしない方が、経済はスムースに発展すると言う考えである。

    一方、筆者は制度的なものについては、なるべく政府の介入は小さくすべきと考える。たとえば産業政策は必要ないと考えている。また不合理な規制は撤廃すべきと考える。ただ今日残っている規制の中には、色々な考えや立場の人々の間の利害を調整しているものもあり、これらは単純に撤廃すれば良いと言うものではない。「大店法」などはその典型であろう。

    政府が市場に直接介入しないと言う意見には、基本的に筆者は賛成である。ただし市場が自律的に均衡を取り戻せない状態になった場合には、政府の介入は認められると考える。市場には、一旦均衡値から乖離した場合でも、均衡値に戻ると言う性質がある。たとえばある物の価格が高くなれば、消費が減り、供給が増えることによって、価格は元の水準の近くに戻ると言う性質である。しかしまれには、均衡値からの乖離が、さらに大きな乖離を生むケースがある。そのままほっておくと市場そのものが破壊され、その影響が市場内にとどまらず、経済活動や市民生活に甚大な損害を及すことがある。このような場合は、政府の市場への直接介入も認められると考える。

    このような観点から、均衡値から大きく離れた場合の為替市場への政府の介入も認められることである。また昨年の金融市場の信用不安が発生した際の、銀行への公的資金の投入も認められるケースである。一方、これに対しては、「小さな政府」論者達が、あくまでも公的資金の投入に反対していたのが印象に残っている。ところで日頃「小さな政府」論的発言を繰返していたはずの経済学者の一部が、突如、政府の公的資金の投入を支持する発言を、積極的に始めたのには驚かされた。日本の経済学者が信用されないはずである。
    しかし、政府の経済への関与で、このような制度的な面よりも、もっと大きな争点となるのが財政の問題である。

    どのくらいの財政規模が適正か、よく議論になる。そしてこのコラムを長らく読んでいる方は、筆者が「大きな政府」論者だと誤解しているかもしれない。しかし筆者は、決して単純な「大きな政府」論者ではない。筆者は、その国の財政や財政赤字の規模は、その国の経済状況によって変えるべきと考えている。日本のように消費に対する欲求が著しく小さくなっている国では、政府は財政支出を増大させ、不足する需要を補う必要があると考える。もしこれを行わなければ、経済が縮小するだけである。へたをすれば、止めどもなく経済が縮小する可能性もある。

    一方、米国のように国民の消費意欲が異常に強く、貯蓄率がマイナスと言う国は、政府は財政支出を削減するのが合理的な政策である。結果的には、財政面では米国は「小さな政府」に向かっているのであり、これはむしろ自然である。さらに米国経済は、財政が黒字で、国債の発行が減り、金利が低下し、金利低下が経済の活性化にまたつながると言った好循環となっている。
    このように現状では、米国のような国は、自然と「小さな政府」の方向に進み、日本のような国は「大きな政府」にならざるを得ないのである。

    日頃から、米国国民の消費がどうしてこんなに旺盛なのか「謎」である。先進国の中ではめずらしいのである。本誌でもこれについて何回か、色々な仮説を立て論じてきたが、もう一つ分からない。そこで先週号からのテーマに沿って、もう一つ仮説をつけ加えてみることにする。

    年間の人口増加率は、日本が0.4%なのに対して米国は1.2%である。ところで先進国の人口増加率は全般的に小さく、日本の増加率だけが極端に小さいわけではない。むしろ米国の人口増加率の方が異常に大きいのであり、人口増加率だけで見ると、米国はまさに発展途上国なのである。さらに米国には、毎年ハングリーな人々が移民としてやってくる。そしてこのような事情が、米国人の旺盛な消費の説明の一部にはなると考えられる。

    とにかく発展途上国並の消費意欲のある米国で有効な政策を、年金からも貯蓄がなされているような日本へも適用すべきと考えるのこと自体がおかしいのである。昨年の減税論議もその一例である。「小さな政府」論者は、景気対策として公共事業より「減税」を強く主張していた。しかし米国ではほとんど消費にまわる減税も、日本ではほとんど貯蓄され、景気対策としての効果はさっぱりだった。国情の違いを無視した経済理論が、いかに意味がないものかが証明されたのである。


  • 規制緩和の本質
    日本では「小さな政府」論者は経済学者だけではない。日経新聞を始めとして、ほとんどの日本のマスコミの論調は「小さな政府」路線である。官庁も通産省を代表に「小さな政府」を標榜しているところが多い。政治家にも「小さな政府」を主張するものが多い。最右翼は自由党であり、民主党も基本的には「小さな政府」論者である。自民党の中にも「小さな政府」論者が多い。郵便貯金民営化の小泉氏や総裁候補の加藤氏などが代表である。加藤氏にいたっては「供給サイド重視」ととんでもないことを言い始めている。

    どうしてこうなるのかと言う問に対して、筆者は、「小さな政府」論が一種のイデオロギーであり、宗教であるからと考える。以前のマルクス・レーニン主義の流行が、ソ連の崩壊によって、「小さな政府」の流行にとって変わられたと考えれば良いのである。ところでこれについてはまた別の機会に取上げたい。
    昨今の政府の経済政策は「大きな政府」である。ところが政策遂行者の頭の中は依然「小さな政府」であるから、実施される政策も中途半端なものになるのである。

    「小さな政府」論者がこだわるのは「規制緩和」である。「規制緩和」さえ行えば、競争が活発になり、経済が活性化すると主張する。もっともなぜ彼等が「規制緩和」になぜこだわるのか興味はある。すくなくとも日本では、「小さな政府」論者の主張する政策が有効ではない。ところが彼等は自分達の理論は決して間違っていないと思っている。そこで彼等は、理論が有効でないのは、彼等の考えの前提としている「市場の完全競争」が、現実には実現されてないからと考えるのである。つまり「規制緩和」が行われ、現実の経済が自分達の想定しているものに近付けば、きっと経済も自分達が学んだ理論の通りに動くと言う幻想を持っているのである。つまり自分達がかってに作った前提条件に、現実の経済を合わせなくてはならないと言う、とんでもない発想をしているのである。
    とにかく筆者は、消費への欲求が乏しくなった日本において通常の「規制緩和」を行っても経済の活性化は無理と言う考えである。

    彼等はそれでも、経済の活性化のためには「規制緩和」が必要と主張する。しかし彼等の「規制緩和」と言うのは抽象的概念であり、彼等が具体的なアイディアを持っているわけではない。筆者も通常の「規制緩和」の項目で経済を活性化させるものは思いつかない。もっとも本誌で何回も述べたように、筆者は「規制緩和」の経済効果はほぼ中立と考えており、すくなくとも日本おいては、通常の「規制緩和」で経済が活性化するようなことはないと考えている。

    「規制緩和」が経済効果があるとしたら、「規制緩和」によって新しい消費物資や新しいサービスが始まり、それがとてつもなく魅力のあることが必要である。つまり人々がそれを購入するため、預貯金を取崩し、あるいは借金をし、はたまた壺に隠してあったお金を取出すほどの消費材の出現である。欲求が萎えた今日の日本で、消費の欲求を呼び戻すような消費材である。しかし残念ながら今の日本ではちょっと思いつかないのである。

    それでも「小さな政府」論者は「規制緩和」が必要と主張する。しかし前述したように彼等には具体的なアイディアがない。しょうがないので、筆者が彼等に成り変わってアイディアを提供することにしよう。実は「規制緩和」で経済効果があるものはたしかにある。ただし通常の「規制緩和」ではない。
    ズバリ、これらは「麻薬・覚醒剤」「売春」「カジノ」「銃」などである。たしかにこれらが自由化されれば、経済は活性化するであろう。壺に隠してあったお金も出回り、世間の景気も良くなるかもしれない。しかし、そこまでして経済の成長が本当に必要なのか考えさせられる。
    石原都知事の「お台場カジノ構想」が話題となっているが、まさに日本中、アイディアがどんづまり状態なのである。



今週号で述べたように、日本の経済は「どんづまり」状態である。「小さな政府」論者は、よく「構造改革」が必要と意味不明なことを言う。ちょっとやそっとでは変わらないのが「構造」である。さらに、仮に「構造改革」ができたとしても、再び力強く経済が成長すると言う保証はない。
来週号では、このように人々の消費への欲求が減退した日本が、もう少し経済的に成長するための条件を考えてみたい。


市外一律3分20円、携帯電話へも割安。パソコン不要、普通の電話から。


99/8/30(第128号)「日本経済と欲求の限界(その1)」
99/8/9(第127号)「エコノミストの格付け(その3)」
99/8/2(第126号)「エコノミストの格付け(その2)」
99/7/26(第125号)「エコノミストの格付け(その1)」
99/7/19(第124号)「規制緩和と通産省」
99/7/12(第123号)「供給サイドの経済学」
99/7/5(第122号)「インターネットと日本経済(その2)」
99/6/28(第121号)「インターネットと日本経済(その1)」
99/6/21(第120号)「銀行員とリスク(その2)」
99/6/14(第119号)「銀行員とリスク(その1)」
99/6/7(第118号)「銀行のバブル期の行動」
99/5/31(第117号)「日本の銀行とリスク」
99/5/24(第116号)「需給ギャップと景気回復」
99/5/17(第115号)「経済の構造改革」
99/5/10(第114号)「サマータイムと日本人」
99/5/3(第113号)「地価動向と景気回復」
99/4/26(第112号)「お金持ちとリスク」
99/4/19(第111号)「日本のお金持ち」
99/4/12(第110号)「寡占と所得の分配」
99/4/5(第109号)「寡占市場の話」
99/3/29(第108号)「完全競争市場の話」
99/3/22(第107号)「独占市場の話」
99/3/15(第106号)「本誌の経済予想とその間違い」
99/3/8(第105号)「景気の現状(99年春)」
99/3/1(第104号)「立派な社会と景気回復」
99/2/22(第103号)「現代の日本経済と投資」
99/2/15(第102号)「需給ギャップと投資」
99/2/8(第101号)「99年度の経済を見通す」
99/2/1(第100号)「公共投資の将来を考える」
99/1/25(第99号)「今後の景気対策を考える(その2)」
99/1/18(第98号)「景気の見通しを考える」
99/1/11(第97号)「今後の景気対策を考える(その1)」
98/12/28(第96号)「不況の原因と消費税減税を考える」
98/12/21(第95号)「米国経済の光と影を考えるーーその2」
98/12/14(第94号)「米国経済の光と影を考えるーーその1」
98/12/7(第93号)「自自連立政権を考える」
98/11/30(第92号)「公共投資と経済を考えるーーその2」
98/11/23(第91号)「緊急経済対策を考える」
98/11/16(第90号)「公共投資と経済を考えるーーその1」
98/11/9(第89号)「「空気」を考えるーーその2」
98/11/2(第88号)「「空気」を考えるーーその1」
98/10/26(第87号)「景気対策論議を考える」
98/10/19(第86号)「為替レートの今後のトレンドを考える」
98/10/12(第85号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその3」
98/10/5(第84号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその2」
98/9/28(第83号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその1」
98/9/21(第82号)「為替レートのトレンドを考える」
98/9/14(第81号)「バブルの清算と公金投入を考える」
98/9/7(第80号)「公金投入の整合性を考える」
98/8/31(第79号)「政治と経済の混乱を考える」
98/8/10(第78号)「今回の不況の原因を考える」
98/8/3(第77号)「新政権の人事を考える」
98/7/27(第76号)「小淵新自民党総裁誕生を考える」
98/7/20(第75号)「橋本総理退陣を考える」
98/7/13(第74号)「マスコミの驕りを考えるーーその2」
98/7/6(第73号)「マスコミの驕りを考えるーーその1」
98/6/29(第72号)「参院選と経済を考える」
98/6/22(第71号)「為替介入の背景を考える」
98/6/15(第70号)「橋本総理と円安を考える」
98/6/8(第69号)「日本の金融を考える」
98/6/1(第68号)「経済への関心を考える」
98/5/25(第67号)「世論と経済政策を考えるーーその2」
98/5/18(第66号)「世論と経済政策を考えるーーその1」
98/5/11(第65号)「アンケートと経済政策を考える」
98/5/4(第64号)「今回の景気対策を考える」
98/4/27(第63号)「消費の限界を考えるーーその2」
98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」
98/4/13(第61号)「恒久減税を考える」
98/4/6(第60号)「今回の自民党の景気対策を考える」
98/3/30(第59号)「米国の対日経済要求を考える」
98/3/23(第58号)「新日銀総裁の就任を考える」
98/3/16(第57号)「今回の不況の深刻さを考える」
98/3/9(第56号)「日米の景気対策を考える」
98/3/2(第55号)「日経新聞と経済を考えるーーその2」
98/2/23(第54号)「日経新聞と経済を考えるーーその1」
98/2/16(第53号)「貸し渋りと景気を考える」
98/2/9(第52号)「政治と経済を考える」
98/2/2(第51号)「官僚と経済を考える」
98/1/26(第50号)「「小さな政府」を考えるーーその3」
98/1/19(第49号)「「小さな政府」を考えるーーその2」
98/1/12(第48号)「「小さな政府」を考えるーーその1」
97/12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」
97/12/15(第46号)「景気の現状と対策を考えるーーその8」
97/12/8(第45号)「景気の現状と対策を考えるーーその7」
97/12/1(第44号)「京都会議と経済を考える」
97/11/24(第43号)「景気の現状と対策を考えるーーその6」
97/11/17(第42号)「景気の現状と対策を考えるーーその5」
97/11/10(第41号)「景気の現状と対策を考えるーーその4」
97/11/3(第40号)「景気の現状と対策を考えるーーその3」
97/10/27(第39号)「景気の現状と対策を考えるーーその2」
97/10/20(第38号)「景気の現状と対策を考えるーーその1」
97/10/13(第37号)「市場の心理を考える」
97/10/6(第36号)「公共事業とマスコミを考える」
97/9/29(第35号)「リクルート事件と経済を考える」
97/9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」
97/9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」
97/9/8(第32号)「住宅と貯蓄を考える(その1)」
97/9/1(第31号)「労働組合と経済を考える」
97/8/25(第30号)「競争時代の賃金を考える」
97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」
97/8/11(第28号)「米国の景気を考える(その2)」
97/8/4(第27号)「米国の景気を考える(その1)」
97/7/28(第26号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その2)」
97/7/21(第25号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その1)」
97/7/14(第24号)「香港返還と中国経済を考える(その2)」
97/7/7(第23号)「香港返還と中国経済を考える(その1)」
97/6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」
97/6/23(第21号)「投機と市場を考える」
97/6/16(第20号)「規制緩和と日米関係を考える」
97/6/9(第19号)「ビックバンと為替を考える」
97/6/2(第18号)「内需拡大と公共工事を考える(その2)」
97/5/26(第17号)「内需拡大と公共工事を考える(その1)」
97/5/19(第16号)「金利と為替を考える」
97/5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」
97/5/5(第14号)「為替の変動を考える」
97/4/28(第13号)「日本の物価と金利を考える(その2)」
97/4/21(第12号)「日本の物価と金利を考える(その1)」
97/4/14(第11号)「日本の土地価格を考える」
97/4/7(第10号)「当マガジン経済予測のレビュー」
97/3/31(第9号)「日本の株式を考える」
97/3/24(第8号)「たまごっちと携帯電話を考える」
97/3/17(第7号)「政府の景気対策を考える」
97/3/10(第6号)「オリンピックと景気を考える」
97/3/3(第5号)「為替レートの動向を考える(その2)」
97/2/24(第4号)「為替レートの動向を考える(その1)」
97/2/17(第3号)「日本の金利水準と為替レートを考える」
97/2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」
97/2/1(第1号)「株価下落の原因を考える」「今後の景気動向を考える」

日常的に起こる経済問題をトーク形式で解説
日頃忙しいビジネスマンへのオンラインマガジン