平成9年2月10日より
経済コラムマガジン

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99/8/30(第128号)
日本経済と欲求の限界(その1)
  • 欲求と経済成長
    筆者は、日本経済が「日本経済と欲求の限界」にぶつかっていると考えている。本誌でも何回か「消費の限界」と言うテーマでほぼ同様の事柄を取上げた。「欲求」は「消費」の根源と考えて良いであろう。「欲求」があっても金がなければ、消費はない。しかし日本人のように金があっても「欲求」自体がないため「消費」がないケースもありうるのである。

    このような傾向が顕著に始まったのは、1,980年頃からと筆者は考えている。耐久消費材が各家庭に行渡った頃である。これ以降、需要といっても基本的にはこれらの買換え需要である。したがって、この頃から、不況時に政府が景気対策を行うことによって景気が回復しても、以前のような高い成長率は実現しなくなった。バブル期も景気が良かったのは大都市だけであり、日本全体では経済成長率もたいしたことがなかった。

    飽食の時代であり、ダイエットが流行り、食料品が売れない。狭い住宅では、物を買ってもこれ以上置く所がない。他の人が買うので、自分も自動車を買ったが、乗る機会が案外ないので、新車はもう買わない。リストラが盛んな今日では、帰ってきたら机がなくなっているのではないかと、簡単に海外旅行にも行けない。このような日本の状況では、消費の伸びは期待できず、投資も増えない。したがって経済の成長も限られのである。

    筆者は、経済の成長を決める決定的な要素はこの「欲求」と考えている。したがって日本を除くアジアの国々では、まだまだ消費に対する「欲求」と言うものは健在であり、条件さえ整えば、再び高い経済の成長は可能である。反対に、発展途上国であっても、保守的でこれまでの自分達の生活のスタイルを守ろうと言う人々が多い国では、条件が揃っても、欲求そのものがないため経済は成長しない。もっとも言い方を変えれば、このような国では経済の成長自体が必要ないのである。ちょうど日本の今日の状況に似ている。

    ところで筆者のこのような考えは、伝統的な経済学に真っ向から反する。伝統的な経済学では人間の欲求は「無限」と考えている。したがって大多数のエコノミストは、物が売れないのは、すぐ「売る方の工夫が不足している」とか「規制あって売れる物が供給されていない」からと主張する。また極端な者は、「供給が需要を上回れば、価格は低下し、売残りは解消するはずである」と不況そのものもあり得ないことと考えるのである。特に後者の中には、96年の景気回復の原因は「ディスカウントショップなどによる価格破壊」による消費の拡大と主張する者もいるから驚きである。さらに最近では、不況脱出のカギは「100円ショップ」と言う論調の新聞もあるくらいである。

    十歩も百歩もゆずり、人間の欲求は「無限」と言うことを認めても、日本においては人々の消費への欲求があまりにも弱いため、将来の不安への備え、つまり貯蓄への欲求に負けてしまっているのが現状と、筆者は考えるのである。もっともここで話をしているのはお金のない人々のことではなく、お金を持っている人々のことである。

    来年から高金利時代の郵便貯金の満期が来る。この資金の行方が注目されている。特に預け入れ限度額を越える分である。
    これらが消費に回ることはまず期待できない。また株式市場やベンチャー企業に流れることも考えにくい。また銀行金利も低く、ペイオフがどうなるか分からない。そうすればこのお金は、壺の中にでも貯えられることになるのであろうか。


  • 新古典派の経済学
    次の話の展開には、経済学の流れについての知識が多少必要である。筆者の理解の範囲でこれを簡単に説明しておくことにする。
    「小さな政府論」、「財政均衡主義」そして「供給サイド重視主義」を主張するエコミミストや経済学者は、スタンスや重点の置き方に多少違いがあっても、一応「新古典派」に分類される。日本のエコノミストのほとんどはこれに属する。そして経済学の世界では、「古典派」と呼ばれるアダムスミス以来の伝統的な考え方の流れがあり、政府の介入を極端に嫌う傾向がある。経済を市場に委ねておけば、「神の見えざる手」で自然に調整されると言う考えである。かえって経済に政府が介入したり、規制を行うことは、この調整メカニズムを阻害すると言う考えるのである。

    「古典派」の考えによれば不況はない。物が売れなくなれば、価格が下落するので、売残りはなくなる。失業者の発生もない。失業が発生すれば、賃金が下がるので、失業者はすぐに再雇用されることになる。消費が減り、貯蓄が増えても、金利が低下するので投資が増え、実物経済での需給ギャップはたちどころに解消されることになる。

    ところが1,930年代には世界大不況が起り、現実に街には失業者が溢れたのである。「古典派」の考えでは説明がつかない事態である。ここに登場したのがケインズであり、彼は、よく市場が失敗し、不均衡が生じることを主張した。「賃金の下方硬直性の存在」や、「流動性のワナによって、金利低下しても投資が増えないケースがあること」で当時の不況を説明したのである。さらにケインズは、政府の財政支出の増大で有効需要の創出し、この事態を解決することを主張した。当然、「古典派」の学者との論争が起った。ところがこの論争の決着がつく前に、各国とも軍拡競争に入り、政府の財政支出が爆発的に増え、その結果有効需要も増え、失業問題は解決したのである。つまりはからずも、ケインズの考えが正しいことが証明されたのである。

    第二次大戦後は、ケインズ経済学の全盛期であった。しかししばらくすると、伝統的な考え、つまり「古典派」の人々の巻き返しが始まる。たしかに市場は失敗することもあり、不況となって失業が発生する可能性あることは認めた。そしてその場合には、政府の財政政策で需要を喚起する必要があることまでは認めた。しかし政府の経済への介入を認めるのはここまでである。つまり伝統的な経済理論において、ケインズの考えのような政府の財政政策が必要なのは、需給ギャップが生じるような大不況の場合に限られるとしたのである。このような考えを「新古典派綜合」と称し、このような考えのエコノミストが「新古典派」と呼ばれる。

    しかし伝統的な「経済に政府が介入したり、規制を行うことは、市場がもつ調整メカニズムを阻害する」と言う考えは根強く、「新古典派」の人々の発想も「古典派」に徐々に戻っていった。現在の「新古典派」の人々の考えは、ケインズへの反発もあってか、ほとんど「古典派」と変わらないほどである。特に彼等は各国の持つ大きな財政赤字を問題にし、「小さな政府」を主張する。さらに極端な大きな政府の代表のような共産国家が破綻したこともあり、やはり彼等は自分達の考えが正しいと考えるのである。

    「新古典派」のエコノミストが現在主流派であり、彼等が活躍しているのが米国である。また最近の米国経済も順調であり、彼等はますます自信を深めているのである。今日、経済学の世界では、ケインズの考えに沿った論文は頭っから相手にされないそうである。
    日本の経済学者の多くは決まって2,3年間米国に留学した後、日本に戻ってくる。米国では新古典派の「ありがたい教えを請う」のである。まるで「遣唐使」のようなものである。今日、経済学者の多くが「小さな政府」を主張するのもこのような背景があるからと考えている。しかし彼等は、日本の経済の実状を知っているわけではない。ただ米国の経済学を元に述べているだけである。
    ところが現在行われている日本の景気対策は、ケインズの政策そのものであり、これが効果があってか景気も少し持ち直している。実に日本では、自分達が学んだことと全く反対の政策が行われている。真面目な経済学者ならノイローゼになっても仕方がないのである。



今週号の後半は多少経済の学説に偏したが、来週号での展開にはこの説明が不可欠である。


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99/8/9(第127号)「エコノミストの格付け(その3)」
99/8/2(第126号)「エコノミストの格付け(その2)」
99/7/26(第125号)「エコノミストの格付け(その1)」
99/7/19(第124号)「規制緩和と通産省」
99/7/12(第123号)「供給サイドの経済学」
99/7/5(第122号)「インターネットと日本経済(その2)」
99/6/28(第121号)「インターネットと日本経済(その1)」
99/6/21(第120号)「銀行員とリスク(その2)」
99/6/14(第119号)「銀行員とリスク(その1)」
99/6/7(第118号)「銀行のバブル期の行動」
99/5/31(第117号)「日本の銀行とリスク」
99/5/24(第116号)「需給ギャップと景気回復」
99/5/17(第115号)「経済の構造改革」
99/5/10(第114号)「サマータイムと日本人」
99/5/3(第113号)「地価動向と景気回復」
99/4/26(第112号)「お金持ちとリスク」
99/4/19(第111号)「日本のお金持ち」
99/4/12(第110号)「寡占と所得の分配」
99/4/5(第109号)「寡占市場の話」
99/3/29(第108号)「完全競争市場の話」
99/3/22(第107号)「独占市場の話」
99/3/15(第106号)「本誌の経済予想とその間違い」
99/3/8(第105号)「景気の現状(99年春)」
99/3/1(第104号)「立派な社会と景気回復」
99/2/22(第103号)「現代の日本経済と投資」
99/2/15(第102号)「需給ギャップと投資」
99/2/8(第101号)「99年度の経済を見通す」
99/2/1(第100号)「公共投資の将来を考える」
99/1/25(第99号)「今後の景気対策を考える(その2)」
99/1/18(第98号)「景気の見通しを考える」
99/1/11(第97号)「今後の景気対策を考える(その1)」
98/12/28(第96号)「不況の原因と消費税減税を考える」
98/12/21(第95号)「米国経済の光と影を考えるーーその2」
98/12/14(第94号)「米国経済の光と影を考えるーーその1」
98/12/7(第93号)「自自連立政権を考える」
98/11/30(第92号)「公共投資と経済を考えるーーその2」
98/11/23(第91号)「緊急経済対策を考える」
98/11/16(第90号)「公共投資と経済を考えるーーその1」
98/11/9(第89号)「「空気」を考えるーーその2」
98/11/2(第88号)「「空気」を考えるーーその1」
98/10/26(第87号)「景気対策論議を考える」
98/10/19(第86号)「為替レートの今後のトレンドを考える」
98/10/12(第85号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその3」
98/10/5(第84号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその2」
98/9/28(第83号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその1」
98/9/21(第82号)「為替レートのトレンドを考える」
98/9/14(第81号)「バブルの清算と公金投入を考える」
98/9/7(第80号)「公金投入の整合性を考える」
98/8/31(第79号)「政治と経済の混乱を考える」
98/8/10(第78号)「今回の不況の原因を考える」
98/8/3(第77号)「新政権の人事を考える」
98/7/27(第76号)「小淵新自民党総裁誕生を考える」
98/7/20(第75号)「橋本総理退陣を考える」
98/7/13(第74号)「マスコミの驕りを考えるーーその2」
98/7/6(第73号)「マスコミの驕りを考えるーーその1」
98/6/29(第72号)「参院選と経済を考える」
98/6/22(第71号)「為替介入の背景を考える」
98/6/15(第70号)「橋本総理と円安を考える」
98/6/8(第69号)「日本の金融を考える」
98/6/1(第68号)「経済への関心を考える」
98/5/25(第67号)「世論と経済政策を考えるーーその2」
98/5/18(第66号)「世論と経済政策を考えるーーその1」
98/5/11(第65号)「アンケートと経済政策を考える」
98/5/4(第64号)「今回の景気対策を考える」
98/4/27(第63号)「消費の限界を考えるーーその2」
98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」
98/4/13(第61号)「恒久減税を考える」
98/4/6(第60号)「今回の自民党の景気対策を考える」
98/3/30(第59号)「米国の対日経済要求を考える」
98/3/23(第58号)「新日銀総裁の就任を考える」
98/3/16(第57号)「今回の不況の深刻さを考える」
98/3/9(第56号)「日米の景気対策を考える」
98/3/2(第55号)「日経新聞と経済を考えるーーその2」
98/2/23(第54号)「日経新聞と経済を考えるーーその1」
98/2/16(第53号)「貸し渋りと景気を考える」
98/2/9(第52号)「政治と経済を考える」
98/2/2(第51号)「官僚と経済を考える」
98/1/26(第50号)「「小さな政府」を考えるーーその3」
98/1/19(第49号)「「小さな政府」を考えるーーその2」
98/1/12(第48号)「「小さな政府」を考えるーーその1」
97/12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」
97/12/15(第46号)「景気の現状と対策を考えるーーその8」
97/12/8(第45号)「景気の現状と対策を考えるーーその7」
97/12/1(第44号)「京都会議と経済を考える」
97/11/24(第43号)「景気の現状と対策を考えるーーその6」
97/11/17(第42号)「景気の現状と対策を考えるーーその5」
97/11/10(第41号)「景気の現状と対策を考えるーーその4」
97/11/3(第40号)「景気の現状と対策を考えるーーその3」
97/10/27(第39号)「景気の現状と対策を考えるーーその2」
97/10/20(第38号)「景気の現状と対策を考えるーーその1」
97/10/13(第37号)「市場の心理を考える」
97/10/6(第36号)「公共事業とマスコミを考える」
97/9/29(第35号)「リクルート事件と経済を考える」
97/9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」
97/9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」
97/9/8(第32号)「住宅と貯蓄を考える(その1)」
97/9/1(第31号)「労働組合と経済を考える」
97/8/25(第30号)「競争時代の賃金を考える」
97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」
97/8/11(第28号)「米国の景気を考える(その2)」
97/8/4(第27号)「米国の景気を考える(その1)」
97/7/28(第26号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その2)」
97/7/21(第25号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その1)」
97/7/14(第24号)「香港返還と中国経済を考える(その2)」
97/7/7(第23号)「香港返還と中国経済を考える(その1)」
97/6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」
97/6/23(第21号)「投機と市場を考える」
97/6/16(第20号)「規制緩和と日米関係を考える」
97/6/9(第19号)「ビックバンと為替を考える」
97/6/2(第18号)「内需拡大と公共工事を考える(その2)」
97/5/26(第17号)「内需拡大と公共工事を考える(その1)」
97/5/19(第16号)「金利と為替を考える」
97/5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」
97/5/5(第14号)「為替の変動を考える」
97/4/28(第13号)「日本の物価と金利を考える(その2)」
97/4/21(第12号)「日本の物価と金利を考える(その1)」
97/4/14(第11号)「日本の土地価格を考える」
97/4/7(第10号)「当マガジン経済予測のレビュー」
97/3/31(第9号)「日本の株式を考える」
97/3/24(第8号)「たまごっちと携帯電話を考える」
97/3/17(第7号)「政府の景気対策を考える」
97/3/10(第6号)「オリンピックと景気を考える」
97/3/3(第5号)「為替レートの動向を考える(その2)」
97/2/24(第4号)「為替レートの動向を考える(その1)」
97/2/17(第3号)「日本の金利水準と為替レートを考える」
97/2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」
97/2/1(第1号)「株価下落の原因を考える」「今後の景気動向を考える」

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