- 「清貧の思想」と経済
どう言うわけか日本では、不景気になると「清貧の思想」と言うものが流行る。たいてい悪い家老が登場し、藩の主導権を握り、散財したあげく、藩の財政がパンクする。そこに清貧の志しを持った藩主が現れ、この家老を追い出し、藩の財政の立直しを図る。彼は藩の支出を削減すると同時に、殖産興業に努める。市場性のある商品作物の栽培を奨励し、これを加工させることもある。生産物は他の諸藩に売り捌き、この藩は繁栄する。そしてこの藩主は名君として後世に語り継がれ、銅像の一つも建てられるのである。
同様な行動は現代の企業にも見られる。不景気が深刻になるほど企業はコストの削減に努め、生残りを図る。「清貧の思想」が不景気になるほどもてはやされるのである。たしかに個々の企業とって、経費の削減に努め、競争力を強化することは合理的な行動である。このように藩や企業の繁栄のためには、「清貧の思想」はオーソドックスな考え方である。
ところが日本は、国の単位で「清貧の思想」に沿った政策を何回か行ってきたのである。ただし国の場合には、不況時に行っているのではないと言う違いはある。 まず中曽根内閣は消費税導入をにらみ、「増税なき財政再建」と言う方針を打ち出した。財政支出は、「ゼロシーリング」の原則に沿って厳しく査定された。「ゼロシーリング」は4、5年続いた。次の「財政再建路線」は橋本内閣の時である。この時には財政支出の削減だけではなく、増税も同時に行った。97年度の予算はまさに財政均衡を目指すものと言える。
この「財政均衡主義」を一番の売物としているエコノミストが、文芸春秋の8月号に「人気エコノミスト20人本当の実力」と言う特集で第二位にランクされている東海総研の水谷研治氏である。氏は橋本内閣の「財政再建路線」にはもちろん賛成していた。氏は常々、「財政再建を行えば景気は一旦落ち込む。しかし5年後にはりっぱに日本経済は再生する。」と主張していた。したがって景気後退がはっきりし、橋本内閣の経済政策は景気対策にスタンスが変わったが、この政策転換に強く反対していた。
財政支出を削減し、景気が後退すれば、競争が激しくなり、個々の企業は合理化に努めることになる。市場では負け組が去り、勝ち組が残る。たしかに「財政再建路線」は企業の強化に繋がる。しかし問題は、勝ち組である立派な企業の生産物を一体誰が買うかと言うことである。結局、国内に需要がないため、輸出する他はないのである。冒頭の「清貧の思想」の藩も生産物を他の諸藩に売り捌くことによって繁栄したのである。中曽根内閣の「ゼロシーリング時代」や橋本内閣の「財政再建路線」時にも輸出は大きく伸びた。
このように一見「清貧の思想」による財政支出削減は、その国に繁栄をもたらすように見える。少なくとも江戸時代においてはこの関係が成り立ったのである。しかしこれをもっと厳密に見ると、生産物を他の諸藩に売り捌くことがこの政策のポイントである。これにより他の諸藩から金や銀が流入することになる。しかし藩の財政は削減されて需要が不足しており、この金銀の全てを使って他の諸藩から同額の物を買うわけではない。つまり「清貧の思想」の経済政策はまさに「近隣窮乏」による繁栄と言える。
- 「近隣窮乏策」の限界
ところがこの「近隣窮乏的政策」も、現在では有効性が半減している。それは為替が変動するからである。たしかに中曽根内閣の「ゼロシーリング時代」は、ちょうど米国のレーガン政権の強いドル政策を行っており、日本の貿易黒字にかかわらず、反対に長い間ドル高の状態が続いた。このため日米の貿易不均衡は空前の大きさになった。日米の為替水準が急激な円高で修正されたのは、85年のプラザ合意以降である。もっともおかげで中曽根首相は幸い、緊縮財政を行ったのにかかわらず、在任期間中に深刻な不況に逢わなかっただけである。この矛盾は竹下内閣以降に持ち越されたのである。
橋本内閣の「財政再建路線」時もちょうど米国がドル高政策を行っており、日本からの輸出は増えた。しかしこの為替も現在調整中であり、今日、為替は円高傾向にある。そしてこれが今回の景気回復の障害になる可能性がある。橋本内閣の間に「円安」のカードを全部使ってしまったのである。 緊縮財政政策の次に来るものはいつも「円高」である。このことは過去に何回も繰返されている現象である。
結論を言えば、「清貧の思想」、あるいは緊縮財政を行うことにより、自国の経済を強くし、経済的繁栄を実現するのは「為替が固定相場」の時のみ有効な手段である。さらに日本のような経済規模の大きい国が、「近隣窮乏策」で景気回復を図ろうすること自体、関係各国から避難を受ける政策である。
しかしこのような「近隣窮乏政策」を一貫して主張しているのが水谷研治氏である。たしかに随分前から氏は財政再建を主張していた。東谷暁(ひがしたにさとし)氏のグループは、異常に「主張の一貫性」にウエートを置いた格付けを行っている。しかし筆者は、主張の一貫性なんかよりも、むしろ主張そのものが正しいかどうかの方がずっと重要と考える。経済は宗教とは違うのである。自分の主張に誤りを見つけたり、状況が大きく変わり、考えが辻褄が合わなくなったら、主張を変えるのが当然である。筆者にも見方を変えた事柄がある。たとえば米国経済への評価である。これは本誌のバックナンバーを見てもらえば分かる。
ところが主張の一貫性だけと思われる水谷氏も、実は主張の内容をコロコロ変えているのである。当初「財政再建路線で景気は落ち込むが、5年後にはりっぱに日本経済は再生する。」と言っていたが、次の時には「10年後には立派に再生する」と言っていた。さらにしばらく後にテレビに登場し「2,010年には再生する」と断言していた。98年のことであるから、12年後である。わずか半年の間に5年後から12年後に変わったのである。実にいい加減である。現在は何年後と言っているのか興味はある。この種のエコノミストの特徴は、絶対に政府が採用しそうもない政策を堂々と主張し、その結果は10年後、20年後に分かるとまさに「雲を掴む」ようなことを言うのである。筆者は、水谷氏エコノミストと言うよりあやしい予言者と考えている。日本人は予言が好きなのである。 ところで最近では奇妙な予言がどんどんはずれているのである。失礼であるが、そもそも20年後にご本人も生きておられるどうかも分からないのである。これだけ複雑になった現実の経済を前にすれば、有能で正直なエコノミストは、5年後の経済はとても予想がつかないと答えるはずである。
さらにこの種のエコノミストの問題は、こんな粗雑な論理の展開でも、自信たっぷりに断言することで、けっこう各方面に影響を与えることである。おっちょこちょいの政治家はすぐにこれに引っ掛かる。成立と同時に実質廃案となった、あの間抜けた「財政再建法」もこの種のエコノミストの影響を受けた政治家達が押し進めたのであろう。ところが最近でさえ、世間知らずの政策新人類と呼ばれる政治家がテレビで「これからは財政の再建が重要」と発言していた。筆者も頭が痛くなる。
財政の累積赤字の一番の問題は、累積赤字が大きくなると誰も国債を買わなくなることである。この結果、金利が高騰するはずである。ところが日本では全く逆の現象が起っているのである。現在の日本の金利は世界的に見ても史上最低の水準である。水谷氏やこの知ったかぶりの政策新人類が、これをどう説明するのか是非窺いたいものである。
水谷氏は一年ほど前から、今度は米国の株価が大暴落すると予言していた。ところがその時点から既に何十%も上昇しているのである。たしかに米国の株価が高すぎることは、誰でも承知していることであり、いつかは大きな調整があると思っている。しかし明日にでも暴落するようなことを言っておいて、既に随分時間が過ぎているのである。水谷氏はこれについても弁明すべきであろう。最後に、この水谷氏でさえ、日本のエコノミストの中で第二位に格付けされたりするのである。いかに日本のエコノミストの全体のレベルが低いか、ご理解できよう。
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