- 日本の銀行員の資質
日本の大手銀行の多くは、現在の業務内容では限界があり、今後は欧米の投資銀行を目指すとしている。たしかに投資銀行は、一つ本来の銀行の形であろう。金持ちからの預金をリスクのある物件に投資し、高い収益を得るのが投資銀行である。しかし、日本の現在の銀行員を考えると、筆者は、銀行のこのシナリオは無理と考える。もっとも投資業務に長けた欧米人を雇い、これをやらせると言うことが考えられるが、それでは高給取りの日本人の銀行員の存在は、一体何なのであろうと言うことになる。
日本の銀行が現在でもリスクのある業務を全くやっていない訳ではない。たしかに債券や為替などのディーリングを行っている。しかし、運用成績についてはあまり外部に漏れてこないが、銀行を含め、日本の金融機関の運用成績はかんばしくないようである。。それでも、まれにはそれについての報道がある。
3年ほど前に大和銀行が米国から追い出された。債券のディーリングによる巨額の損失の発生を米国の当局に隠していたからである。驚いたことに、この事件を引き起こした本人が、米国の刑務所からテレビに登場し、ニュースキャスターの質問に答えていた。注目されたのは、本店からの監査にまつわるエピソードであった。本店からの監査メンバーは、米国法人が債券のディーリングにより利益を得ていたのを知って、感心していたと言う話である。と言うのは当時、全ての邦銀の米国法人は、米国国債の売買で損失を抱えていたのである。彼等は、大和銀行だけが利益を出していると知って、驚きながらも喜んで日本に帰っていったのである。
もちろん実際は、大和銀行も損失を抱えていたのであるが、この被告が帳簿を操作し、それを隠していたのである。このエピソードからも邦銀はこの種のリスクのある業務で、しょっちゅう損失を被っていることが想像される。このことは刑務所の被告も認めているところでもある。彼は、リスク業務に弱い理由として、日本の銀行のシステムがリスクを伴う業務には向かないことを指摘していた。しかし、筆者は、それに加え、日本の銀行員の資質そのものがリスク業務に向かないことを強調したい。
よく言われることが銀行の「横並び主義」である。リスクを避けることは銀行員の本能であるため、どうしてもリスクを伴う業務を行わなければならない場合には、この「他人と一緒のことを行う」が次善の策となってしまう。失敗しても釈明ができるのである。しかしこれも一種のリスクの回避策である。もっと厳密に言えば、これは個人に関わるリスクの回避であり、銀行本体へのリスクは軽視される。したがって他人が買う時には自分も買い。他人が売る時には自分も売ると言う具合である。たしかにこのような売買を行えば、相場が一定の方向に動いている場合にだけは利益が得られるのである。しかし逆に相場が転換すると大きな損失を抱えることになる。そしてこのような日本の機関投資家の行動パターンは、外国人投資家からは「大変読み易い」と思われているに違いない。端的に言えば、日本の機関投資家は「カモ」と見られているのである。
日本の銀行員にとって、リスクは極めて縁遠い存在である。むしろリスクを徹底的に回避した人生をおくって来た者達が銀行員になると思えば良い。小さい頃から進学塾に通い、進学校に進み、有名大学に入ると言うコースを歩む。これも人生におけるリスクを小さくするためである。大学に入ってからも真面目に授業に出て、ひたすら「優」や「A」の数を得ることに専念する。反対に、人生におけるリスクを覚悟している者達は、毎日学校近くの雀荘に引っ掛かり、面白くもない授業には出ない。したがって彼等は超低空の成績で大学を卒業して行く。
話を元に戻せば、リスクを本能的に嫌う学校秀才には、リスクが伴う業務は所詮無理である。したがって日本の銀行が欧米流の投資銀行になれるはずがない。さらに日本の銀行に集まる資金の大部分は、金利は低くてもしょうがないが、とにかくリスクは御免と言うものである。このような資金をかってにリスクの大きい運用に使うことも問題である。
- 日本の社会とリスク
最近、世間では起業家の育成とか、「ペイオフ」が話題になっている。これからの時代は自己でリスクを取ることが重要と言う指摘である。政府も起業家の後押しを強力に行うと言うことである。ところが近年、特にバブル崩壊後の様子を見ていると、事情はちょっと違うのである。実際には、リスクを取った者がことごとく不幸になり、一方、リスクを避けて来た者が救われたり、幸運に恵まれていると言う現実がある。日本におけるこのような現実は極めて重要なことである。
バブル崩壊後、土地も安くなったと言うことで、リスクを取って住宅を購入した人々は多額のローン返済に苦しんでいる。地価はさらに下がり、給料も上がらないと言うダブルパンチである。さらに最近では、これらの人々はリストラにも脅かされているのである。また、この時期に景気回復を期待し、事業を拡大した企業は、今おしなべて経営危機に陥っている。大店法改正に伴い、投資を拡大させた流通系の企業などはこの典型である。
一方、リスクを避けてきた一群が幸運を享受している。リスクを避けて来た銀行員などはこの一例である。銀行は、あれだけの巨額の不良債権を作り、倒産しても当然の状況である。一般の企業が同じ状況なら、もちろん倒産し、退職金はおろか給料もまともに払われないであろう。しかし銀行のシステムは公共物と言う観点から特別の扱いを受け、救済されている。この銀行の救済は、結果的には銀行員の生活の救済でもあったのである。一方、企業への融資姿勢は逆に一段と厳しくなっており、当初の目的の一つであった貸渋りの解消からは、ほど遠い状態である。
安定性、あるいはリスクのなさで、銀行員の上を行くのが公務員である。昔はそれほど良くはなかった公務員の待遇も、確実に年々アップしており、長い不況で相対的に上昇している。近頃の住宅購入者のかなりの部分は公務員と推察される。最近では公務員の再雇用法が成立したように、日本における公務員の好待遇は異常である。このため公務員の人気は非常に高い。公務員採用試験のための専門学校があるのも先進国では日本くらいであろう。
このように日本においては、少なくとも現在のところ、リスクを避けて来たものほど幸福になっている。特に、長引く不況でこの傾向は顕著になっている。一般の人々もこれに気が付いているはずである。しかしここからが大切なことである。このような事がいつまでも続くはずがないと言うことである。銀行もご覧の状態であるし、官庁も今後ますます風当たりが強まり、構造不況業種であることがはっきりしてくる。これから両者は落日を迎えることになる。つまり受験秀才の行く所がなくなるのである。このような事実が知られてくれば、小さい頃からの塾通いが全く意味がないことが分かるはずである。これからの時代ではもっと違う能力が必要とされるのである。例えばこれからは、単に学校の成績が良い者より、友人が多い者の方が価値があると考えられることなどである。
そもそも日本には昔から、リスクを追う者を蔑視する風土がある。リスクをいとはず、一獲千金を狙う事業家は「山師」と呼ばれ、成功し財を成した者は「成り金」と揶揄される。いずれもマイナスのイメージがつきまとう言葉である。
今このリスク嫌う風潮は広く一般社会にも浸透している。経済だけではなく、スポーツなどの世界にも同様の傾向がある。小学校や中学校の運動会では「騎馬戦」や「棒倒し」は危険と言うことで行われない。野球やラグビーも危険が伴うと言うことで競技人口は減っている。このままでは日本のスポーツはゲートボールだけになってしまいそうである。
日本人はリスクを嫌うだけでなく、特に最近では、リスクそのものに対しても脆弱になっている。この日本で今、これ以上の経済発展のため、新規企業育成の必要性が叫ばれている。リスクを取る起業家の出現である。しかしこれは日本社会の現実の流れに逆行していることを、政策立案者は本当に理解しているのであろうか。特にこれを推進しようとしているのが、リスクとは無縁の通産省の役人と言うのも皮肉である。現在の日本の現状は、リスクを取る者や起業家にとって、けっして良い環境にはなっていない。
日本人とリスクについてはもっと述べることがあるが、別の機会に行いたい。また、筆者が考える日本におけるベンチャービジネス興隆のための条件についても別の機会に述べることにする。
|