- 日米のお金持ちの比較
米国において、個人が行う各種寄付の年間総額は1,500億ドルであり、日本円に換算すると18兆円になる。一方、日本では個人の寄付の総額はなんとこの八百分の一と言うことである。税制の違いがあることを考慮してもものすごい違いである。いかに日本のお金持ちが「ケチ」であるかと言うことを示している。「一旦入ったものは二度と外には出さない。舌を出すのもいやだ。」と言うのが日本のお金持ちの典型である。 個人の寄付の中には政治献金も含まれている。米国人は個人が政治献金を行うことが当たり前と考えている。一方、日本では個人の献金がほとんどない。個人の寄付が集まるのは、特定のイデオロギーを主張する政党だけである。かろうじて企業や団体から政治献金がなされるが、しばしば問題になる。筆者は、政治献金が問題になるとしたら、個人でも企業・団体でも同じことと考えている。しかし、この話は長くなるので今週号では割愛する。 米国人は、事業に成功して大金を手に入れると、気前良く大学や奨学金などに寄付をする。慈善事業にも熱心である。もっとも日本においても以前は教育施設などに寄付をするお金持ちは随分いた。ところが最近ではほとんど聞かない。たしかに今日でも米国型の金持ちは日本にもいるが、極めて少数派である。また日本においては会社のオーナが持株を自分の作った財団に寄付するケースが多い。しかしこれは明らかに相続税対策であろう。 このようなお金持ちの行動に違いが出てくる原因の一つは、先週号で述べたように、お金持ちの成り立ちの相違が影響していると考えられる。日本のお金持ちの典型は、持っていた土地を売った人々であったり、あるいは親の遺産を相続したものである。どちらも自分の才覚で財を成したわけではない。日本の場合、会社の経営者と言えど、ほとんどがサラリーマンであり、収入もたかが知れている。けっしてお金持ちではない。むしろ都心に50坪ほどの土地を持っている商店主の方がずっと金持ちなのである。一方、米国のお金持ちの典型は大企業の経営者や、自分で事業を興し、会社の株式を公開し、創業者利益を獲得した人々である。 所得の形態に相違があれば、その消費にも違いが発生する。米国のお金持ちは、寄付を行うだけではなく、大きな家を購入し、消費を行う。これは彼等の所得が相対的に恒常所得に近いからと考えられる。金を費消しても「また稼げば良い」と考えているからである。ところが一方、日本のお金持ちの場合は全く事情が異なる。所得は一回こっきりである。土地は売ってしまえばお終いである。土地売却による所得は、恒常所得とは正反対の種類のものである。使ってしまってはいけないのである。特に先祖伝来の土地を売って得た所得は子々孫々に受け継がせる義務があると考えるのである。 お金持ちの形態によって、その国の経済も影響を受ける。お金持ちが米国のように寄付や消費、さらには新規の投資を行い、資金を国民経済の循環に戻している国がある。一方、ひたすら貯蓄に励んでいる日本のお金持ちの姿が対照的である。しかし、筆者はけっして日本のお金持ちの行為を非難しているわけではない。むしろ当然の行動と考えている。ところでここまで述べてくると、次にはお金持ちが預けている資金の使われ方を考える必要があることに気が付く。
- 日本お金持ちとリスク
米国ではお金持ちになるほどハイリターンを求める傾向がある。昨年問題になったヘッジファンドの顧客も大金持ちばかりである。一方、持っているお金の性質上、日本のお金持ちほどリスクを嫌うものはいない。とにかく元本保証、確定利率付きでなければならない。したがって日本ではどうしてもお金持ちの資金は銀行、郵便局、生保そして農協に向かうことになる。そして株式投資に向かう比率は小さい。ましてやこのようなお金持ちがベンチャー企業のスポンサーになることはまずない。日本には1,200兆円の個人の資金があるが、際立って比率が大きいのは預貯金と保険である。これも日本のお金持ちが極端にリスクを嫌う結果である。規制緩和による銀行窓口での「投信」の販売もカラ振りであった。「ラップ口座」を売り物に、鳴り物入りで進出して来た外資系証券会社も苦戦しているはずである。とにかく日本の「お金持ち」は特別なのである。 一番の問題は、この膨大な預貯金と生保資金の行方である。それでも高度成長期やバブル期には、この巨額の資金は設備投資や土地の購入に向けられ、資金は日本経済の中で一応循環していたのである。生保も資金でビルをどんどん建設していた。ところが最近は投資の対象がパッタリなくなった。リスクを避ける巨額の資金の行き場、つまり運用先がなくなったのである。現在この資金の行き先は、一つは外債の購入を始めとした海外へであり、もう一つは日本の国債の購入である。この結果、当然国内の有効需要が不足することになる。住宅投資も限界に来ており、国内の景気が後退するのは当たり前である。さらに2年前には「財政再建」の声が国内に起こり、緊縮財政と言う政策ミスを政府が行い、景気はさらに深刻な状態になった。以上が資金面から見たここ数年の経済の流れである。 次に個別の金融機関の動きを見てみよう。ここで取り上げるのは農協である。農協の資金の流れを見ることが、日本の典型的なお金持ちの資金の流れを見る場合に分りやすいからである。農協は以前から運用能力以上の資金を集めていた。特に大都市圏の農協は、土地の売却代金による預金を集め、運用資産が膨らんでいた。本来は農業関連の投資資金を貸し付けるのが農協の役目だったはずなのに、それに必要な資金量を遥かにオーバーする資金が集まったのである。農協が自分で運用できない分は県信連に運用を任せることになるが、県信連も総てを自分で運用できないため、その上の農林中金に運用を頼むことになる。しかし農林中金も全部運用できない。つまり農林系金融機関全体で運用できない資金がだぶついていたのである。バブル崩壊前から資金の運用難に農林系は直面していたのである。そこで目を付けたのが「住専」である。「住専」の融資先があやしくなり、銀行が「住専」への融資を引き上げ始めた頃から農林系の「住専」への融資が増え始める。リスクを嫌う農林系金融機関にとって、大手銀行が母体となって作った「住専」は格好の融資先であった。 数年前その「住専」が整理されたのであるから大騒ぎになったのである。大蔵省の銀行局長が農林系の融資は保証すると言った「念書」を書いたことによって問題はさらにこじれた。筆者は、よく「住専」がけりがついたと感心したほどである。 この他にも農林系の資金はノンバンクに流れていた。長銀系の日本リースにも多額の農林系の資金が融資されていた。このように本来リスクを嫌うはずの資金が、適当な運用先がなく、皮肉にもリスクの大きい所ばかりに流れてしまっていたのである。 バブル崩壊後は、農林系の金融機関さらにリスクを嫌うようになっているはずである。そうなれば向かうのは国債の購入である。昨年の夏には、国債は利回りが0.64%と言うとんでもない水準まで買われた。一体誰がそんな水準まで買い進んだのか興味がある。まさかまた農林系金融機関ではないであろう。 日本のお金持ちがリスクを極端に嫌い、金融機関もリスクを取らないとしたなら、日本においては政府が国債を増発し、資金の運用先を提供し、その資金を公共投資に振り向ける他はないのである。また銀行は一般の融資にも極めて消極的である。したがって政府が保証する他はない。信用保証枠も20兆円から30兆円に増額される見通しである。つまり日本においては、全く金融機関の本来の機能が働かず、全てのリスクを政府が背負っているのである。「小さな政府」が実現すれば全てが解決するとは一体どこの国の話なのか。米国のように経済活動に政府の介入を嫌う国は、事業の成功者は収入を積極的に社会に還元しているのである。私立大学でさえ巨額の補助金を国から得ている日本で、「小さな政府」を唱えること自体が自己矛盾である。 財政を赤字にせずに景気を回復させる方法は二つしかない。一つはお金持ちがバンバンお金を使うことである。もう一つは、リスクを恐れない企業家がどんどん現れ、日本の銀行がリスクを恐れず彼等に必要な資金を融資することである。しかし二つとも可能性はない。したがって政府が財政赤字を拡大させながら支出を増やす他はないのである。ところで今週号では農協などの農林系金融機関を取り上げたが、いずれ「日本の銀行とリスク」について述べることにする。
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