平成9年2月10日より
経済コラムマガジン



99/3/29(第108号)


完全競争市場の話
  • 完全競争市場と価格
    完全競争市場においては、供給者が無数、あるいは多数存在し、互いに競争している。価格は市場の需要と供給で決まり、供給者はこれを受け入れることになる。このような競争的な市場では、どの供給者も自分の供給量を減らして、価格をつり上げるようなことはできない。
    経済学の教科書にはよく「パレート最適」と言う言葉が載っている。パレートはかなり昔のイタリアの経済学者である。彼は、「完全競争市場こそが資源の最適な配分を実現すること」を証明した。そして今日ほとんどの経済学者は、「パレート最適」の実現こそが市場経済にとって最も重要なことと信じている。したがって市場が十分機能するため、規制や政府の介入を極度に批難する。
    たしかに市場に競争制限的な力が存在すると、価格は柔軟に動かなくなり、資源の無駄が生じる。ある商品の市場における競争が制限され、価格が高く維持されると、供給者側に超過利潤が発生し、供給者はその商品ばかり作ることになる。この結果、この商品は供給過剰となるが、価格は下がらないままで推移することになる。つまり経済全体で見れば、この過剰な商品を作るための原料や労働が無駄に使用されていることになる。
    価格が統制されている社会主義国の経済を見れば、このことはもっと簡単に理解できる。たとえば当初の予想に反して消費者の需要が「靴」から「サンダル」に移っても、計画経済の国では市場が機能しないため、需給の調整が簡単にできない。この結果、「靴」の過剰と「サンダル」の不足が発生することになるが、この解消は難しい。そしてこの場合にはやはり資源の無駄が生じることになる。一方、市場経済では、このような時には「靴」の価格が下落し、「サンダル」の価格が上昇し、これらの価格が変化することにより、需給の調整が行われる。つまり市場経済においては無駄が最小限におさえられ、限られた資源が社会の効用を最大化するように使われるのである。
    そして市場が機能して資源が最適に配分されるには、市場が競争的であること、理想的には「完全競争」であることが必要と主張されている。独禁法や公正取引法は、法律の面から市場の競争を促すことが目的である。また、今日よく主張される「規制緩和」も、市場への参入を促し、市場の競争を確保するためである。
    しかし、現実には純粋な「完全競争」市場と言うものは存在しない。比較的に「完全競争」に近いと言う市場が存在するだけである。多くの場合には、参入が制限されていたり、供給者が組合を作り、提供する商品やサービスの価格に制限を加えている。ほとんど「完全競争」と言う市場があっても、その商品は国民生活全体から見れば、比重はそんなに大きくないはずである。ところが今日、各分野で規制緩和が唱えられており、一般的に競争は激化する傾向にある。さらに関税の引き下げなど、交易条件も緩和の傾向にあり、日本国内の供給者はこの外国からも競争の圧力を受けている。

  • 完全競争市場の過酷さ
    先週号では企業を中心にした市場は寡占が一般的と述べたが、ほとんどの自営業や零細小企業は競争市場に置かれている。ただし前段で述べたように競争市場と言っても、完全競争状態ではなく、何らかの競争制限が伴っている。典型的な例は農業である。農業は農業関連法で保護されていたり、農家はほとんど農協の組合員である。零細小企業も大手企業の系列に属するケースが多い。もっとも市場によっては極めて完全競争に近い場合もある。
    市場が完全競争に近づくほど、価格の維持は難しくなり、供給者にとって競争は過酷なものになる。しかし近年の貿易の自由化や規制緩和は、このような業界をターゲットにしているように思われる。今は大企業のリストラによる失業が話題になっているが、考え方によればこのような自営業や零細小企業の競争激化の方が深刻である。「米」も関税化が決定しているが、関税は将来的に低くなると予想される。つまり「米」は国内の競争に止まらず、今後は国際的な競争にさらされることになる。農業はどの国でも各種の制限などで保護されているが、このような保護がなければ、直ぐに過酷な完全競争の状態となる性質を持つ。
    このような業界はこのような流れに対抗するため、自分達が供給する商品やサービスを差別化して、競争の激化を乗り越えようとしている。しかし、はたしてこれだけで今後一段と進行する規制緩和に対処できるか疑問である。特に農産物では、以前は数々の地方の名産と言うものがあったが、既に最近ではことごとく中国などからの輸入品に市場を奪われているのが現状である。
    たしかに規制緩和や競争激化は、価格の下落を招き、消費者にとっては良いことではあるが、供給者にとってはたまらない状況である。単純な経済学者はのんきに「競争」はパレート最適を実現する必須条件であり、パレート最適は資源の最適配分を決定すると今だに主張している。しかし、日本の現状を見れば、これだけ生産設備が余っており、失業者も300万人に達する勢いである。何故、生産資源が余っている今、資源の最適配分による資源の節約が一番重要な事柄なのか筆者にはとても理解できない。
    競争が激化し、パレート最適が実現しても、国内にはそれによってつくり出された商品を買う購買力はない。つまり輸出に活路を見つける他はなく、その次には「円高」が来るだけである。
    日本を都会と地方に分けると、基盤となる経済は地方の方が競争的である。一見、都会の方が競争的に見えるが、都会の方はどちらかと言えば、来週号で取り上げる「寡占」下の競争である。地方は近年規制緩和が進み、一歩間違えると「完全競争」に陥る産業を多く抱えているのである。
    筆者は、けっして市場の機能否定したり、規制緩和に反対しているのではない。今と言う時期が悪いのである。これだけ需要が落ち込んでいる今日、規制の緩和による競争激化は、新たなる失業を生むことになる。日本のような成熟した経済社会では価格が低下しても、消費はそれほど増えない。消費の価格弾性値が小さくなっているのである。このことは最近の経済指標の推移を見れば分かることである。これまで日本においては、国内向け産業は各種の規制で競争が制限されて来た。そしてこのことによって価格は維持されてきた。しかしこのシステムが国民の所得分配を平準化する働きを持っていたのである。端的に言うならば、民間が失業対策を行って来たようなものである。今日これが否定されている。しかし、今後この分野の競争激化により発生する失業には、何の受け皿も用意されていないのである。

来週号は「寡占市場の話」である。話の展開によっては2週にわたる可能性がある。



99/3/22(第107号)「独占市場の話」
99/3/15(第106号)「本誌の経済予想とその間違い」
99/3/8(第105号)「景気の現状(99年春)」
99/3/1(第104号)「立派な社会と景気回復」
99/2/22(第103号)「現代の日本経済と投資」
99/2/15(第102号)「需給ギャップと投資」
99/2/8(第101号)「99年度の経済を見通す」
99/2/1(第100号)「公共投資の将来を考える」
99/1/25(第99号)「今後の景気対策を考える(その2)」
99/1/18(第98号)「景気の見通しを考える」
99/1/11(第97号)「今後の景気対策を考える(その1)」
98/12/28(第96号)「不況の原因と消費税減税を考える」
98/12/21(第95号)「米国経済の光と影を考えるーーその2」
98/12/14(第94号)「米国経済の光と影を考えるーーその1」
98/12/7(第93号)「自自連立政権を考える」
98/11/30(第92号)「公共投資と経済を考えるーーその2」
98/11/23(第91号)「緊急経済対策を考える」
98/11/16(第90号)「公共投資と経済を考えるーーその1」
98/11/9(第89号)「「空気」を考えるーーその2」
98/11/2(第88号)「「空気」を考えるーーその1」
98/10/26(第87号)「景気対策論議を考える」
98/10/19(第86号)「為替レートの今後のトレンドを考える」
98/10/12(第85号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその3」
98/10/5(第84号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその2」
98/9/28(第83号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその1」
98/9/21(第82号)「為替レートのトレンドを考える」
98/9/14(第81号)「バブルの清算と公金投入を考える」
98/9/7(第80号)「公金投入の整合性を考える」
98/8/31(第79号)「政治と経済の混乱を考える」
98/8/10(第78号)「今回の不況の原因を考える」
98/8/3(第77号)「新政権の人事を考える」
98/7/27(第76号)「小淵新自民党総裁誕生を考える」
98/7/20(第75号)「橋本総理退陣を考える」
98/7/13(第74号)「マスコミの驕りを考えるーーその2」
98/7/6(第73号)「マスコミの驕りを考えるーーその1」
98/6/29(第72号)「参院選と経済を考える」
98/6/22(第71号)「為替介入の背景を考える」
98/6/15(第70号)「橋本総理と円安を考える」
98/6/8(第69号)「日本の金融を考える」
98/6/1(第68号)「経済への関心を考える」
98/5/25(第67号)「世論と経済政策を考えるーーその2」
98/5/18(第66号)「世論と経済政策を考えるーーその1」
98/5/11(第65号)「アンケートと経済政策を考える」
98/5/4(第64号)「今回の景気対策を考える」
98/4/27(第63号)「消費の限界を考えるーーその2」
98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」
98/4/13(第61号)「恒久減税を考える」
98/4/6(第60号)「今回の自民党の景気対策を考える」
98/3/30(第59号)「米国の対日経済要求を考える」
98/3/23(第58号)「新日銀総裁の就任を考える」
98/3/16(第57号)「今回の不況の深刻さを考える」
98/3/9(第56号)「日米の景気対策を考える」
98/3/2(第55号)「日経新聞と経済を考えるーーその2」
98/2/23(第54号)「日経新聞と経済を考えるーーその1」
98/2/16(第53号)「貸し渋りと景気を考える」
98/2/9(第52号)「政治と経済を考える」
98/2/2(第51号)「官僚と経済を考える」
98/1/26(第50号)「「小さな政府」を考えるーーその3」
98/1/19(第49号)「「小さな政府」を考えるーーその2」
98/1/12(第48号)「「小さな政府」を考えるーーその1」
97/12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」
97/12/15(第46号)「景気の現状と対策を考えるーーその8」
97/12/8(第45号)「景気の現状と対策を考えるーーその7」
97/12/1(第44号)「京都会議と経済を考える」
97/11/24(第43号)「景気の現状と対策を考えるーーその6」
97/11/17(第42号)「景気の現状と対策を考えるーーその5」
97/11/10(第41号)「景気の現状と対策を考えるーーその4」
97/11/3(第40号)「景気の現状と対策を考えるーーその3」
97/10/27(第39号)「景気の現状と対策を考えるーーその2」
97/10/20(第38号)「景気の現状と対策を考えるーーその1」
97/10/13(第37号)「市場の心理を考える」
97/10/6(第36号)「公共事業とマスコミを考える」
97/9/29(第35号)「リクルート事件と経済を考える」
97/9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」
97/9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」
97/9/8(第32号)「住宅と貯蓄を考える(その1)」
97/9/1(第31号)「労働組合と経済を考える」
97/8/25(第30号)「競争時代の賃金を考える」
97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」
97/8/11(第28号)「米国の景気を考える(その2)」
97/8/4(第27号)「米国の景気を考える(その1)」
97/7/28(第26号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その2)」
97/7/21(第25号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その1)」
97/7/14(第24号)「香港返還と中国経済を考える(その2)」
97/7/7(第23号)「香港返還と中国経済を考える(その1)」
97/6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」
97/6/23(第21号)「投機と市場を考える」
97/6/16(第20号)「規制緩和と日米関係を考える」
97/6/9(第19号)「ビックバンと為替を考える」
97/6/2(第18号)「内需拡大と公共工事を考える(その2)」
97/5/26(第17号)「内需拡大と公共工事を考える(その1)」
97/5/19(第16号)「金利と為替を考える」
97/5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」
97/5/5(第14号)「為替の変動を考える」
97/4/28(第13号)「日本の物価と金利を考える(その2)」
97/4/21(第12号)「日本の物価と金利を考える(その1)」
97/4/14(第11号)「日本の土地価格を考える」
97/4/7(第10号)「当マガジン経済予測のレビュー」
97/3/31(第9号)「日本の株式を考える」
97/3/24(第8号)「たまごっちと携帯電話を考える」
97/3/17(第7号)「政府の景気対策を考える」
97/3/10(第6号)「オリンピックと景気を考える」
97/3/3(第5号)「為替レートの動向を考える(その2)」
97/2/24(第4号)「為替レートの動向を考える(その1)」
97/2/17(第3号)「日本の金利水準と為替レートを考える」
97/2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」
97/2/1(第1号)「株価下落の原因を考える」「今後の景気動向を考える」

日常的に起こる経済問題をトーク形式で解説
日頃忙しいビジネスマンへのオンラインマガジン