- 完全競争市場と価格
完全競争市場においては、供給者が無数、あるいは多数存在し、互いに競争している。価格は市場の需要と供給で決まり、供給者はこれを受け入れることになる。このような競争的な市場では、どの供給者も自分の供給量を減らして、価格をつり上げるようなことはできない。 経済学の教科書にはよく「パレート最適」と言う言葉が載っている。パレートはかなり昔のイタリアの経済学者である。彼は、「完全競争市場こそが資源の最適な配分を実現すること」を証明した。そして今日ほとんどの経済学者は、「パレート最適」の実現こそが市場経済にとって最も重要なことと信じている。したがって市場が十分機能するため、規制や政府の介入を極度に批難する。 たしかに市場に競争制限的な力が存在すると、価格は柔軟に動かなくなり、資源の無駄が生じる。ある商品の市場における競争が制限され、価格が高く維持されると、供給者側に超過利潤が発生し、供給者はその商品ばかり作ることになる。この結果、この商品は供給過剰となるが、価格は下がらないままで推移することになる。つまり経済全体で見れば、この過剰な商品を作るための原料や労働が無駄に使用されていることになる。 価格が統制されている社会主義国の経済を見れば、このことはもっと簡単に理解できる。たとえば当初の予想に反して消費者の需要が「靴」から「サンダル」に移っても、計画経済の国では市場が機能しないため、需給の調整が簡単にできない。この結果、「靴」の過剰と「サンダル」の不足が発生することになるが、この解消は難しい。そしてこの場合にはやはり資源の無駄が生じることになる。一方、市場経済では、このような時には「靴」の価格が下落し、「サンダル」の価格が上昇し、これらの価格が変化することにより、需給の調整が行われる。つまり市場経済においては無駄が最小限におさえられ、限られた資源が社会の効用を最大化するように使われるのである。 そして市場が機能して資源が最適に配分されるには、市場が競争的であること、理想的には「完全競争」であることが必要と主張されている。独禁法や公正取引法は、法律の面から市場の競争を促すことが目的である。また、今日よく主張される「規制緩和」も、市場への参入を促し、市場の競争を確保するためである。 しかし、現実には純粋な「完全競争」市場と言うものは存在しない。比較的に「完全競争」に近いと言う市場が存在するだけである。多くの場合には、参入が制限されていたり、供給者が組合を作り、提供する商品やサービスの価格に制限を加えている。ほとんど「完全競争」と言う市場があっても、その商品は国民生活全体から見れば、比重はそんなに大きくないはずである。ところが今日、各分野で規制緩和が唱えられており、一般的に競争は激化する傾向にある。さらに関税の引き下げなど、交易条件も緩和の傾向にあり、日本国内の供給者はこの外国からも競争の圧力を受けている。
- 完全競争市場の過酷さ
先週号では企業を中心にした市場は寡占が一般的と述べたが、ほとんどの自営業や零細小企業は競争市場に置かれている。ただし前段で述べたように競争市場と言っても、完全競争状態ではなく、何らかの競争制限が伴っている。典型的な例は農業である。農業は農業関連法で保護されていたり、農家はほとんど農協の組合員である。零細小企業も大手企業の系列に属するケースが多い。もっとも市場によっては極めて完全競争に近い場合もある。 市場が完全競争に近づくほど、価格の維持は難しくなり、供給者にとって競争は過酷なものになる。しかし近年の貿易の自由化や規制緩和は、このような業界をターゲットにしているように思われる。今は大企業のリストラによる失業が話題になっているが、考え方によればこのような自営業や零細小企業の競争激化の方が深刻である。「米」も関税化が決定しているが、関税は将来的に低くなると予想される。つまり「米」は国内の競争に止まらず、今後は国際的な競争にさらされることになる。農業はどの国でも各種の制限などで保護されているが、このような保護がなければ、直ぐに過酷な完全競争の状態となる性質を持つ。 このような業界はこのような流れに対抗するため、自分達が供給する商品やサービスを差別化して、競争の激化を乗り越えようとしている。しかし、はたしてこれだけで今後一段と進行する規制緩和に対処できるか疑問である。特に農産物では、以前は数々の地方の名産と言うものがあったが、既に最近ではことごとく中国などからの輸入品に市場を奪われているのが現状である。 たしかに規制緩和や競争激化は、価格の下落を招き、消費者にとっては良いことではあるが、供給者にとってはたまらない状況である。単純な経済学者はのんきに「競争」はパレート最適を実現する必須条件であり、パレート最適は資源の最適配分を決定すると今だに主張している。しかし、日本の現状を見れば、これだけ生産設備が余っており、失業者も300万人に達する勢いである。何故、生産資源が余っている今、資源の最適配分による資源の節約が一番重要な事柄なのか筆者にはとても理解できない。 競争が激化し、パレート最適が実現しても、国内にはそれによってつくり出された商品を買う購買力はない。つまり輸出に活路を見つける他はなく、その次には「円高」が来るだけである。 日本を都会と地方に分けると、基盤となる経済は地方の方が競争的である。一見、都会の方が競争的に見えるが、都会の方はどちらかと言えば、来週号で取り上げる「寡占」下の競争である。地方は近年規制緩和が進み、一歩間違えると「完全競争」に陥る産業を多く抱えているのである。 筆者は、けっして市場の機能否定したり、規制緩和に反対しているのではない。今と言う時期が悪いのである。これだけ需要が落ち込んでいる今日、規制の緩和による競争激化は、新たなる失業を生むことになる。日本のような成熟した経済社会では価格が低下しても、消費はそれほど増えない。消費の価格弾性値が小さくなっているのである。このことは最近の経済指標の推移を見れば分かることである。これまで日本においては、国内向け産業は各種の規制で競争が制限されて来た。そしてこのことによって価格は維持されてきた。しかしこのシステムが国民の所得分配を平準化する働きを持っていたのである。端的に言うならば、民間が失業対策を行って来たようなものである。今日これが否定されている。しかし、今後この分野の競争激化により発生する失業には、何の受け皿も用意されていないのである。
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