- 独占市場と価格
今週号からしばらく市場の競争条件と価格について述べたい。多くの経済理論は「完全競争」を前提に組み立てられている。これは前提条件を単純化することが、より容易に物事の本質を捉えるには便利であるからである。しかし現実の社会には「完全競争」と言うことはない。一方、この反対の概念である「独占」と言う現象も純粋な形では存在しない。現実の市場は両者の中間に位置する「寡占」と言う状態が一般的と考えられる。ただ、同じ「寡占」でも「完全競争」に近いものと、「独占」に近いものがあることはたしかである。今週号ではまず独占を取り上げる。 さらにこれらの市場の競争状態を考える場合、需要者側から見る立場と供給者側から見る立場がある。一般的には供給者側から見るのが普通であるが、まれには需要者側に競争制限的な行動が見られる。消費者の共同購入と言うのがこの典型例である。消費者が組合と言う形を採って、供給者者と価格交渉を行うケースである。この場合は個々の消費者が交渉するよりも、より需要者側に有利な形で価格が決定する。しかし、今回は主に供給者側の競争制限的な行動を取り上げることにする。 どうも競争制限的な動きが行われるのは供給者の数が少ない時や、大きなシェアーを持つ企業が存在する場合である。そして極端なケースが供給者が一社の場合であり、これが市場の「独占」である。 一企業が市場を独占している場合には、競争相手がいないのであるから、価格を自由に決めることができる。特に供給している商品が消費者にとって必需品の場合には、原価を大きく上回る価格を設定することができ、大きな利益が見込める。しかし、現実には、このようなケースでは「独禁法」や「公正取引法」が適用されるか、あるいは価格が認可制になっているのが普通である。電力、ガス、鉄道など地域独占となっている市場の料金は通常監督官庁の認可となっている。 大きな企業同士の合併も公正取引委員会の許可が必要である。これが自由なら、いたる所に実質的な独占が発生し、消費者にとって不利益が発生するからである。しかし企業合併に関して公正取引委員会の許可基準も、最近では甘くなっている。これまでは合併の判定のポイントが、主に国内の競争状態であった。しかし最近では、国際間の取引が増えてきており、世界市場での価格支配力が問題になるからである。各国の合併判定基準も同様に甘くなる傾向にある。したがってこれからも世界規模の企業合併が増えることが予想される。
- 新しい独占のスタイル
市場の「独占」と言う言葉はよく使われるが、実際は純粋な形での市場の「独占」は存在しない。あるとしても地域的な独占である。前段で述べた「電力」「ガス」などがその典型例である。日本ではこれらの業種おいて、地域毎に一社しか存在せず、一応独占の形になっている。 しかし、厳密には価格を自由に設定することができる独占が成り立つためには、供給している商品に代替物がないことが必要である。よく経営学の教科書には、市場の何割かを占めれば、市場を支配できると書いてあるが、これは正確ではない。かりに市場を形式的に独占的に支配していても、代替物が存在すれば、価格を自由に上げることはできない。これは重要な点であるが、よく見落とされる事柄である。地域独占となっている「電力」と「ガス」の間にさえ代替関係はある。 旧国鉄は形式的には独占に近い存在であった。特に長距離輸送については「独占」と言ってもよい状態であった。以前は消費者も長距離輸送の場合には選択の余地がなく、国鉄を利用する他はなかったのである。国鉄も自分達が市場を独占しているものと勘違いをしていた。国鉄の組織全体が誤解していたのである。しかし、航空会社が力をつけ客を奪い、宅急便が小荷物を国鉄から奪った。自家用車も増え、国鉄の旅客数は伸びない状況に陥り、さらに高速道路の延伸により高速バスも登場したのである。国鉄は独占企業と言われながらも慢性的な赤字会社となったのである。このような国鉄にとって、民営化は避け難い事態であった。 このように現実には独占の状態を維持することは難しい。また国際間の交易の壁が低くなりつつあり、競争も国際的になっている。そして自分の企業は、市場を支配していると勘違いをした瞬間から没落は始まるのである。まさに「大競争時代」である。 しかし、近年新しい独占の形が目立つようになっている。主に情報産業やバイオテクノロジーなど先端産業に見られるものである。これらは特許権に守られていたり、ノウハウが公開されていないものである。特に80年後半から米国を中心にこの流れは強まっている。日本経済の台頭に危機感を持った米国は、日本が米国の技術を製品化することにより成功していると考え、「知的所有権」の尊重を戦略的に主張し始めた。先進国の需要構造も米国が得意とするハイテク産業の比重が増している。特に情報産業の分野では「知的所有権」を持つことは、重要である。そしてこのことが、既存の産業における独占と同じ効果を持つことになる。 分かりやすい例がパソコンのOSである。パソコンユーザは特定のOSで作動するソフトやデータを持っている。そしてソフトやデータは年々増えて行く。実際ユーザにとってこれらは資産のはずである。しかし、これらは他のOS環境では動かないのである。つまりどんなに優れたOSが出現しても、現状ではユーザはOSを変えることはできない。またソフトメーカもOSメーカに依存せざるを得ないのである。たしかに最近ではサーバにおいてLINUXと言うOSの登場が注目されているが、どこまで普及するか見物である。 パソコンのOSは、例えるなら道路や鉄道であり、まさしくインフラの一種である。パソコンがこれだけ普及した今日、このOSが一企業の支配下にあること自体が問題であると筆者は考える。 どの国の独禁法も、従来の産業を対象としており、このような知的独占を十分に考慮していない。現状はむしろ「知的所有権」は保護される対象である。たとえば特許権は開発者に開発のインセンティブを与えることを主眼に置いている。ところがこの「知的所有権」保護がむしろこの種の独占の弊害をもたらしている。「知的所有権」保護は供給者の方を向いており、消費者の方を向いた独禁法との関係がこれから重要と考える。 バイオテクノロジーの分野でも同様な問題が表面化すると思われる。特に遺伝子組み換え技術を使った新品種と特許権の関係が問題である。米国がこの分野で「知的所有権」をあまりにも強く主張することがあれば、国際的な問題となろう。筆者は、「知的所有権」と「独禁法」の関係を各国とも調整する必要があると考える。
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